1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。
引用開始
私たちの現在の韓国政策は、実は日本軍国主義を免罪しているのだ。アメリカの「安全保障」のために秩序を維持し、ソ連を押さえ込み「共産主義の脅威と戦う」ために、韓国に軍隊を駐留させる必要があるなら、日本が韓国だけでなく、満州と中国に軍隊を駐留させることのほうが重要だった。私たちは自分たちの行為なら犯罪と思わないことで日本を有罪にしている。これは正義ではない、明らかにリンチだ。
韓国国民の幸福と言う点でいえば、私たちの政策の方が日本より悪い。日本の韓国統治が、自由と民主主義の原則からみて悪であったにしても、平均的国民の生活と自由という点では、状況は今よりはるかにましだった。今日、韓国国民は一人の主人に代わって二人の主人をもっている。韓国経済の安定は完全にくつがえった。そして国は経済的に二つの地域に引き裂かれている。朝鮮民族はソ連とアメリカに率いられる二つの陣営に分けられようとしている。朝鮮民族は解放されるどころか、事実上、敵対するブロックの傭兵部隊にされている。・・・略・・・
第二次世界大戦後は、アメリカとソ連が圧倒的な力を発揮して、世界を逆戻りさせているのである。そこで極東における国際法が改善されたかどうかを知るために、在満鉄道と旅順をめぐる争いを簡単に振り返ってみたい。
1896年
ロシアが満州とウラジオストクを結ぶ鉄道建設のための租借権を清国から得た。日本を狙った秘密条約で合意が交わされた。八十年間で中国まで鉄道を延ばすというものである。中国は共同経営者だが、運営はロシアに一任する。これが、いわゆる東清鉄道である。
1898年
ロシアは清国政府から中国東部と旅順港を結ぶ南満州鉄道の建設権を得た。旅順港は、日清戦争後、ロシアが日本の介入を防ぐのを助けた見返りに、中国から得たものである。
1905年
日本が日露戦争の賠償として、ロシアから南満州鉄道を獲得した。東清鉄道は引き続きロシアが保持した。
1931年、満州事変
1932年、
満州各地区の代表が瀋陽に集まり、「独立」国家満州の建国を宣言。日本に協力と保護を要請した。
ソ連が「事実の論理」を認め、日本の仲介で東清鉄道の権益を満州国へ売却することを提案する。
1935年
ソ連が東清鉄道を一億四千万日本円で満州国に売り渡した。
1943年
「三大国」首脳がヤルタで会談し、イギリス、アメリカ、ソ連が秘密協定を結んだ。東清鉄道と南満州鉄道は「中ソ合弁会社が所有すること、ソ連に最大発言権を保証すること、中国の主権が満州に及ぶことを確認した」。この点について、F.D.ルーズベルトが蒋介石の承諾を得ることになった。
四十七年間の「進展」が、これら戦略的鉄道の環境を1896年の状態にもどした。唯一の変化は、日本が注ぎ込んだ膨大な投資を、ソ連がアメリカとイギリスの協力で、自分の物にしたことである。米英両国代表団がこの取り決めから、何を日本に教えようと考えていたかは定かでない。しかし、彼らが、この取り決めは民主主義と自由を愛する心の表れであるとか、国際関係の「新路線」の表れである、と考えていたとしたら、そのわけを知りたいものである。
2006年03月26日
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まさにこの時期の歴史はこの通りだともいます。
しかし、問題はこういう大きな視点が我々の同胞の中からは散見出来なかったという点にあると思います。
我々はあくまでも「葦の髄から天覗く」という視点でしか世界を観れなかった点にあるのではないでしょうか。
中国の地に我々が足を踏み入れたことが贖罪となって大所高所から物を見る器量も気概も失ってしまったのではなかろうか。
井戸の中の蛙が、井戸という狭い領域で、お互いが大声で叫びあっているという図と見なしていいと思います。
当時のアメリカ政府に左派が多数入り込んで、結局はスターリンのお先棒を担いでいたのではないでしょうか。
こんな政府に防共などと言っても無駄だったのでしょうね。