2007年07月31日

フランス青年の明治5

中山道から横浜へ
『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
写真は木曽福島の家並み
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引用開始
 中山道は、まずいくつかの山頂や人気のない小さな谷を見下ろす荒涼とした高原を通り、東海道のように活気のある村のある、両側が切り立った平地にたどりつく。少し先は静かな地域となり、人の住んでいる中心地は非常に広々して閑散とした所だ。人も周りの景色のように牧歌的な性格をしている。家は大きな石で葺いた平らな屋根が突き出ていて、スイスやチロルの山小屋のように木のバルコニーがついている。たくましく日に焼けた目鼻だちのはっきりした住民たちは、都市の技術革新を知らずにいる。大人たちは非常に愚直な表情をしていて、子供や若い娘たちは手に負えないくらい内気なのには驚かされた。

 この高地にはあまり外国人が来ないので、通りすがりに好奇の目で見られた。朝など、私たちが宿屋の玄関先で大きな靴の紐を結んでいたり、夕方、食事の際に私たちがフォークやスプーンで食べているのを見物しに来る人たちで周りに人垣ができるほどだ。ある茶屋では、女中さんが怖がって近づくことができなかったほどだ。またある宿屋ではある晩、人生で二度とないほどのアリガトの嵐にあった。宿屋のおかみさんがルイ(同行の友人)に直してもらおうと壊れたオルゴールを持ってきて、修理の様子を心配そうに見守っていた。彼女がぜんまいを回し、長い間眠っていた音色が流れ出すと、彼女は感謝の念を際限なく示した。・・・・

 湖の近くのシモノスワ(下諏訪)という村での休憩の後に、私たちは浅間火山に程近い和田峠の先の少し寂しい地域に着いた。少し先の、日本で最も寒い場所の一つと言われる追分では、また雨が降り出し、・・・・
 ここで私たちは三日間も足止めをくった。通過してきた道も、これから通る道も、橋が流されてしまい、川の流れは激しくなり、警察も船で渡ることを許可してくれなかった。・・・・
写真は下諏訪の宿で
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 この足止めは、日本語の勉強に少し役立ったが、この言葉は非常に難しく、そのうえ書いてあるとおりに読むには不都合に思えた。・・・
 十月十日、やっと警察の許可が下りて何里か進み、熊谷の百七十五人も旅行者がいる混んだ茶屋まで行くことができた。
 その日の夕、日が暮れてから、私たちは果てしなく広がった東京の町に入った。・・・・

 山手に戻ってから数日後、新たな旅行に出ることにした。行き先は日光で、太陽の輝きという意味だ。知名度は「日光ミナイウチハ、ケッコウイウナ」という有名な格言でも分かる。
 ある朝早く、私たちは二頭立ての二輪馬車に乗って東京を後にした。・・・
 東京から日光までの距離は三十八里、約百四十キロで、一般の日本人の乗る乗合馬車でなく、駅馬車を頼めば、途中何度か馬を替えても、二日で行き着ける。
 人口一万五千人の宇都宮の町を過ぎると、緑豊かな道になった。・・・
 評判の茶屋スズキに着いたら、外国人旅行者でいっぱいだった。そのため、一晩泊まる所を他に見つけて、日光近辺を散策することにする。
 翌日、徒歩で海抜千三百七十メートル、鉢石より八百メートル高い所にある中禅寺湖まで行った。
写真は日光、旅館でゲイシャと一緒に、左からウーグ、シャルル、ルイ、エデュアール
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 私たちの散歩は、村を出た所の美しい眺めから始まった。松の丘の下を小さな滝状に流れている大谷川の激しい流れに沿った斜面に、みすぼらしい小屋が立っている。左側の曲がり角の上に、明るい山を背景に、真っ赤な大きな橋があり、その血の色をした赤が杉の暗い枝の下で輝いている。これは聖なる橋、御橋といって、伝説によると1638年に勝道上人が奇跡的にシンサダイヤの神(深沙大王)に助けられた場所に架けられたといわれている。・・・・・

 橋を渡ると、先細の葉の美しいモミジが、鮮やかな秋の装いの中で輝いている森林地帯に近づいた。進めば進むほど、峡谷は大谷川のエメラルド色の水に削られ狭まる。私たちは、この川の岩やそだ束の小さな橋を何度も渡った。山腹が険しくなり、木の葉の種類も変化に富んでいる。最初に苦労して登った山頂からの、特に大きな半円の中央に孤立した盆地の眺めに感動した。簡素な茶屋の屋根に太陽が遮られ、広大なパノラマが目の前に広がっていた。どの方角にも、上にも下にも、頂上にも急斜面にも、大きなピンクや赤、黄、真紅、オレンジ、朱の茂みが散らばっている。それらは、空の青色に限りなく映えていた。白い滝が見え隠れして、丸い谷の底を蛇行している急流と合流している。
 世界中どこを探しても、これ以上の秋の景色を見ることはできないと思う。・・・・

 私たちは天候にも恵まれ、日光で四日間過ごした。中禅寺の山が見える素晴らしい庭のある囲い地の中に、サンブツドーの僧院を見に行った。イギリスの皇太子が日本を訪問した時に泊ったという建物では、ショーグンの戦いを詳細に記したミサ典書のようなもので、古い貴重な絵を巻いたもの(巻物)を坊さんが見せてくれた。
 近くの滝への散歩に満足して、来た道を通って横浜に帰った。帰り道では、たくさんのイギリス人観光客とすれ違った。なかにスズキの茶屋にジンリキシャで向う三人のご婦人がいた。結局、私たちも別棟のきれいな部屋に泊ることができた。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
この方は、ジャポニズムに惹かれて「観光」に来たのでしょうか?観ることが目的だからか、景観、人々、文化など様々なことをよく観察しているし、都会と田舎、北京と日本などを比較していて、おもしろいと思いました。元々日本に関する知識があるというのが、紀行文を充実したものにしているのかもしれませんね。このシリーズは今日読み始めましたが、おもしろくて一気にここまで読んでしまいました。
Posted by milesta at 2007年07月31日 12:33
milesta 様
この本は写真が多く、文章も大変親しみやすいものです。
ウーグ・クラフトは自分で写真撮影するために、写真機材の運搬だけで人力車を数台雇って旅をしています。
日本の知識は、アーネスト・サトウの日本ガイドを参考にしたようです。
Posted by 小楠 at 2007年08月01日 07:51
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