2007年07月28日

フランス青年の明治3

明治東海道の旅2
『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
写真は浜松、通りの角の旅館
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引用開始
 数日後、浜松という人口一万二千人の小さな町で、今まで見たこともないようなきれいな旅館に出合った。部屋の羽目板は、漆を塗って磨いた違った色合いから成っている。女主人と息子と義妹が、夕食の間ずっと同席してくれた。義妹は優しくはにかんだ目をしたきれいな少女で、外国の食べ物を味見しようとしなかった。主人のほうは、既婚にしては珍しく歯も黒く染めず、眉も抜かず、人の良い女性だった。自然の美しさに恵まれた人が、野蛮な処置によってその魅力を失ってしまうとは、残念なことである!

 最近書いた手紙を出したのは名古屋の町からで、ここで一日半休んだ。名古屋は尾張の大名が昔住んでいた土地で、人口三十万人の栄えた工業都市であり、現在は愛知県の県庁所在地だ。・・・
 私たちの泊った宿屋は村や集落のものより劣っているが、大都市にありがちな新しいアイデアを取り入れていて、壁紙を張った食堂、テーブルクロスの掛かったテーブルがあり、じゅうたんが敷いてある。室内装飾の細かい点にもびっくりしたが、それ以上に、ヨーロッパの作法や道具をまねたり、使いこなそうと奮闘する日本人男性の格好とぎこちなさには驚かされた。・・・・
写真は名古屋、熱田神宮の祭
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 名古屋で最も注目に値する所は、間違いなく国内でも有名な城だ。・・・
五階建ての天守閣の最高層は、日本でも有名な芸術作品、対になった金のイルカ(シャチ)を載せている。その価値は、十八万円、つまり八十万フラン以上と言われている。二つのうちの一つは、1873年にウィーンの万国博に出展され、その帰途、蒸気船ニルは難破したが、幸にも釣り上げられ、不幸を免れて元の場所に納まった。
 五日前から京都にいる。熱病が治り、神戸経由で来たシャルルと落ち合った。・・・・

 日本は中世の伝統から現在の進歩へと一気に飛躍したのだ。フランスで言えば、何の段階も踏まず、シャルル七世の時代から1789年(フランス革命)の翌日になってしまったようなものだ。
 それは神秘の町京都が普通の町になってしまったということだ。十六年前だったら、外国人が京都に姿を見せることすら、まして狂信的なサムライの刀を見ずに探検することなどできなかったはずだ。今では観光客がサトウ(アーネスト・サトウ)の案内書を手に、以前は半分神であったミカドの宮殿を訪れ、神聖なお寺の隣に建っている現地資本の半ヨーロッパ風のホテルにさえ泊れるのだ。私たちはこの中の一つで、円山の丘に建っているヤアミホテルに泊っている。・・・・
写真は京都、トーローを囲んで、左からウーグ、エデュアール、シャルル、ルイ
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 町は御所の中庭から始まる、長くて広い道が整然と直角に引かれているが、元の独創性を保っていない。しかし京都・神戸間の鉄道の開通で絹製品のあふれている市場は、活気を絶やさずにいる。京都はまた娯楽に恵まれた都市で、芝居、祭り、それに音楽の夕べなどが楽しめる。
 大きな道路では、東海道沿いで見たものを百倍にした光景が繰り広げられている。ここでも他と同じように紺色の色調の服が占めている。紺色は苦力、労働者、職人の服の色で、彼らはこれを短めにきつく着ていて、背中には職業を示す標章が書き込まれている。仕事着意外、日本人の服はだいたいがキモノと呼ばれるものに集約され、男も女も同じ形で同じ原則のものだ。・・・それは長い外套のようなもので、広い袖をもち、ボタンも止め金もなく、前で交差させて、ウエストを女性は幅広の、男性は狭いベルト(帯)で締めて、芸術的で複雑な結び目を作る。・・・・

 これまで、完全にヨーロッパ風の洋服を着ている日本人をあまり見かけていない。洋装はほとんどが政府の役人か、公職についている人たちだ。通訳のイトーは最新のエレガントな三つ揃いを着て私たちのお供をしている。
 私が見た限りでは、一般の人々に取り入れられているのは麦わら帽子かフェルトの帽子と髪型、毛かフランネルの下着と傘くらいなものだ。履物は、畳が板の間か石の床にならないのならこのままでいいと思うが、シンプルで特殊な方法の履物がほとんどだ。それはわらのサンダルにしろ、木の板の履物(下駄)にしろ、男も女も同じものだ。しかし、ヨーロッパ式の髪型は結構普及していて、額を剃って、頭のてっぺんに小さな尻尾のように固めた髪の束を持っていく非常に特徴的でエレガントな髪型(丁髷)は、田舎でもすたれ始めている。この頃は逆立った頭や乱れた頭の人ばかりで、伝統的な髪型がもてはやされているのは、漁師や山に住む人たちの間だけだ。

 日本で最も豪華なのが京都の寺だが、この寺の装飾品は芸術的な財宝といっても過言ではない。町の至る所に寺があり、数多くの仏教の宗派のいずれかに属している。黒谷の僧院や真如堂の寺や、その他多くの寺の彫刻を施した御堂、その銅の壷や香炉は、円山の高い樹林の奥に隠されている。しかしなかでも重要な西本願寺は、京都市内にある。・・・どこも手入れが行き届いて清潔で、僧は礼儀正しく愛想がよい。北京の荒れた御堂や汚い坊さんを気の毒に思う。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
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