2007年07月24日

親日台湾人の中国観2

 今回ご紹介する著者は、ほとんどの日本人は、中国人の民族性を全く理解していないと嘆いています。日本国内、或は日本人同士では、日本人の交際マナーはすばらしいものがあると思いますが、他民族を相手にする場合は、その民族性を十分把握した対応が必要でしょう。特に中国のような民族を相手の場合は、日本人の美徳がことごとく悪用、利用されているようです。
楊應吟氏の著「素晴らしかった日本の先生とその教育」という本の中から、氏の中国観が記されている部分を引用してみます。
写真は著者(左)の高雄工業学校時代
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引用開始
日本の戦争は自衛のため
 そもそも日本が明治維新を起こし、近代国家への変貌を急いだのは、西欧列強のアジアへの植民地化から自国を防衛する必要があったからでした。当時のアジアを見ると、インド、ビルマはイギリスの植民地に、インドシナ半島はフランスに、インドネシアはオランダの植民地とされておりました。更に日本にとって衝撃的だったのは、アヘン戦争でアジアの大国、清国がイギリスの手に落ちたことでした。日本はいつ自国が列強に呑み込まれるかという強い危機感を抱き、考えたことは清国と朝鮮と共に列強に対して防衛を張ることだったのです。
 日本は両国に散々この危機を訴えて近代化を促しましたが、両国はかたや中華思想かたや事大主義に囚われ、新興の小国、日本に対して逆に敵意を表す始末でした。その間に列強の魔手は東アジアに伸び、中国、朝鮮がその手に落ちれば、次は日本という結果は免れず、そして終に日本は朝鮮の独立を求めて、清国に宣戦布告をしたのでした。これが日清戦争であり、結果は清の大敗となりました。
 漸く清国は近代国家の意義を認識しはじめ、一方日本は専門機関まで設けて大量の清国留学生を受け入れ、日本からも清国の要請を受けて多くの日本人が教師や軍事顧問として赴き、清国の近代化に協力しました。

 しかし、新国家が成立するや、中国は内戦状態に陥り、その隙間に欧米が日本を仮想敵国とし日本を締め出すという構図が出来上がり、更にソ連が共産化という手段で東アジアを制覇しようとして動きだし、内戦状態に一層拍車をかけることとなりました。その中で中国は反日政策を取り始め、故に日本は満州国の樹立と華北の防共のために親日諸政権を支え、中国の平和安定に乗り出したという経緯がありました。
 日本にとって絶対に列強に支配されてはならない地域は朝鮮半島でした。ハルフォード・マッキンダーというイギリスの地政学者は、日本のような島国が独立を守っていくには、その周辺の大陸に近い半島部分を、大陸の勢力によって支配されないことが重要だと主張しています。朝鮮戦争を戦ったマッカーサーも、マッキンダーや当時の日本人と全く同じ判断をしました。
 マッカーサーは東京に司令部を置き、そこから朝鮮戦争を指揮し、北から来る敵に対さなければならない立場にありました。皮肉にも彼は日本の大本営と完全に同じ立場に立たされた時に、初めて日本の立場が理解できたと言います。・・・・・

 彼は朝鮮戦争を経験して、日本の置かれていた情況、立場を知り、日本を去る時には、自分は初めは日本を改造しようとしたが、実はそんな必要がなかったのだという言葉を残して去って行ったとのことです。マッカーサーは帰国後、アメリカ上院において、日本は終始自衛のために戦ったのであり、侵略戦争をしたのではないという主張をしておりました。
 清国が欧米列強の侵略から自国を守りうるだけの力を持ち、その努力をしていれば、日本が大陸に出ることはなかったかも知れません。しかしその時、清国政府は腐敗し切り、何ら有効な策を持たず、アジアの大国としての責任を果たすことがありませんでした。これは朝鮮においても同様のことが言えます。この両国の責任は決して小さなものとは思われません。そうした責任を省みることなく、日本ばかりを責めるというのは道理に反します。・・・・

 日本は地政学的に置かれている地理上の課題があったばかりでなく、その隣国が中国と朝鮮であったことが不幸の始まりであったのかも知れません。そしてその不幸はいまだに続いているように思えます。
・・・・大東亜戦争があって、結果は日本が破れましたが、弁償金にも相当するような、日本が満州国などに置いていった多額の財産は、台湾での国民党と同じく共産党が手にし、彼らはそれにより色々な建設が出来たはずなのです。更に、あの時にあった租界は終戦後になくなっています。こうしたことへの日本の功績は実に大きかったと言ってよいものです。
 大陸にも我々のように日本によって恩恵を受けた人たちもいたはずです。そうした人達の話を聞くことが出来ればもっとより多くのことがわかるのでしょうが、これまでの政治動乱で亡くなった人もいるでしょうし、お国柄で言い出せる環境ではないのでしょう。残念なことです。

 日本に原爆が落された直後、ソ連は一斉に満洲に攻め入り、略奪と強制連行を行いました。満洲各地にある重要産業施設を戦利品として本国に送り、その額はアメリカ・ボーレー調査団の報告によると、約八億九千五百万ドルと言われています。
 建国後、わずか十三年位の間でしたが、日本が満洲に築いた財産は相当なものでした。満洲の重工業は全中国の約90%を占める程まで成長し、毛沢東をして中共七全大会(1945年)で「もし、我々が全ての根拠地を失っても、東北さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことが出来る」と言わしめました。
 毛沢東は、ソ連の満州国進攻後、すぐに東北占領を指揮しました。そしてその後に国民党がやってきて、満洲を舞台に激しい国共内戦が展開されたのでした。その後、ソ連が満洲を撤退する際には、日本から接収した関東軍の武器の一部や財産が中国共産党に渡ったとされています。
 かつて、金門島、馬祖島で戦争があったとき、蒋介石の要請で、白団といって旧日本軍人八十九名が台湾に派遣されたことがありました。彼らは台湾軍の教育に当たりましたが、これにより台湾軍の士気が一気に上がったといいます。
引用終り
posted by 小楠 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国
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