2007年07月17日

ギメの明治日本散策2

 明治初期に来日した二人のフランス人の著書から、彼らの観た、当時の日本及び日本人の姿をご紹介します。
明治九年、フランスの実業家であり、宗教や特に東洋美術に強い関心を持つギメは、宗教事情視察の目的で、画家のレガメと連れ立って来日しました。この本はギメの「東京日光散策」とレガメの「日本素描紀行」が収められています。レガメの挿絵も沢山収録されています。
今回もギメの「東京日光散策」から。
画像はエミール・ギメ
guimet4.jpg

引用開始
日本人の家で
 われわれの友人、松本さんMatsmotoはこう言ってくれた。
「東京に着いたら会いにいらっしゃい。町をお見せしましょう。浅草の寺院やその神聖な庭を見物させましょう。そこは小売店、軽業師、見世物師、花屋、小鳥屋、きれいな娘たちが開いている弓の射的場[矢場]、劇場、墓地、茶屋、お堂があり、にぎわっています。
 また、金の漆で塗られた寺院や巨大な樹木や将軍たちの青銅のくすんだ墓が見られる芝Shibaにも案内しましょう。町には古道具屋がたくさんありますから、それも案内しましょう。日本の料理屋の秘密を明かしましょう。そこではときには食べる相手が、そして常に優れた女の演奏家や魅力的な踊り子が見つかります。」

 この計画のすべてをわれわれは夢見ていた。
 横浜に到着してからというもの、われわれは松本さんに一日でも早く会いに行くことばかり考えていた。
 この若い日本人は、サンフランシスコから日本まで、われわれと一緒に船旅をしてきた。海上での二十三日間は、人間を結びつけるのに十分である。たまたまわれわれと同じ船室に入られたこの外国人が、友人となったのは当然である。彼はアメリカで真面目に勉強し、アメリカの技師の免状を持って帰国する。
 彼の家を見つけるのは、簡単ではなかった。幸いにも人力車夫たちが聡明で、話して説明しなくても、身振り手振りで十分であった。われわれをまず銀座の大通りに連れて行き、ついで橋を渡り、運河沿いにある倉庫を通って、探していた住居まで連れて行ってくれた。

 松本さんは家にいた。彼は門口にわれわれを出迎えにくる。しかし最初の言葉を交わしたときから、彼の顔には当惑の色がありありと浮かんでいる。われわれもかなり戸惑ってしまった。船の上で示してくれたあの友情は、陸地では消えることになっていたのか。悪い時間に不意に彼を訪れたのか。それとも・・・
 そんなことではなかった。松本さんはわれわれが短靴を脱がずに家に入るには、どのようにしたらよいのかと、思案にくれていたのだ。もっと問題をはっきりさせれば、自分の家にわれわれを迎えるために、どのようにして靴を脱がせたらいいのかわからないのだ。

 というのは、日本の家は非常に清潔なので、泥だらけのあるいは埃だらけの履物はどれも家に染みをつけ、台なしにしてしまうからである。柔らかな蓙[畳]が、座ったり、食事したり、眠ったりする部屋すべてに広げられている。その蓙は完璧でなくてはならないので、小ぎれいな部屋の中に、長靴を履いたまま入るヨーロッパ人の訪問は、住民に不快感を与えるのだ。
 しかし、松本さんは思い切って話した。
「お入りになって頂けますか。」
「もちろんですよ。」
「靴を脱ぐのがお嫌ではないですか。」
「ちつとも。それどころか喜んで。」

われわれは前もってこのことを知らされていたのである。

 こうして、われわれをもてなす人の顔が晴れやかになる。本当に、こうしたごくささいな習慣を受けいれないで、日本人の望みどおりにしようとしない人々は、確かに間違っている。
 履物を脱いで、われわれは狭くて急な木の小さな階段をよじ登る。一段一段にワニスが塗られ、漆の木のように光沢がある。
 松本さんは、両側がすっかり取り払われている大きな部屋に、われわれを迎え入れる。普通でない部屋の大きさに驚いているのを見て、これは風を通すために溝つきの仕切り[襖]を外した十二くらいの部屋から成っているのだと指摘してくれる。この季節の暑さは、このような、住居の仕切りを取り払うというごく簡単な方法で見事にしのがれている。
 透かしの入ったフリーズが、天井のあちこちに部屋の境界をなしていて、仕切り壁[襖]を嵌めると、家の見取図が分かるのだ。
 広々とした入口から、区切られた廊下を通して、眺めは庭とゆるやかに回る運河へと広がり、そして正面から左手にかけて、イギリス人がgodownsと呼んでいる、城塞の形をした、あの倉庫の果てしない見晴らしが望める。

 この建造物は、不燃性と言われている一種の灰色の練り土で作られており、稀に明かり窓がついている。てっぺんが括弧型に作られた奇妙な屋根は、ワニスで黒光りがする丸味のある瓦で作られ、その瓦は空に力強い不規則な花綵飾りを作り出している。運河からの出入りが非常に都合よくできているこれらの倉庫には、東京の裕福な商人たちの貯蔵品や商業用の財産が蓄積されている。
 われわれのいる部屋には一つの家具もない。くぼみに、古い肥前shizen[唐津焼]のすばらしい花瓶だけがある。それが家具のすべてである。主人はわれわれにどうか下に座って下さいと言う。
 年老いた女中が、まず火鉢shibashiを持って来る。陶器の火鉢で、パイプを打って灰を落すために、竹の筒がついている。
 ついで彼女は、とても小さな急須にお茶を持って来る。それは、非常に小さな三つの茶碗を満たすのにどうにか足りるほどのものである。
 最後に、小さな菓子を出しに来る。とてもおいしい。しかし菓子をつまむようにと、われわれのために用意された木の箸は、何の役にもたたなかった。
 こうしたことはすべて好ましかったが、われわれが一番期待していたのは、主人が話してくれた町を見物する計画が実現されることであった。
 松本さんはわれわれの苛立ちを察して、三人連れ立って浅草の寺の聖なる庭へと出発する。
引用終り 
posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/4726221
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック