明治九年、フランスの実業家であり、宗教や特に東洋美術に強い関心を持つギメは、宗教事情視察の目的で、画家のレガメと連れ立って来日しました。この本はギメの「東京日光散策」とレガメの「日本素描紀行」が収められています。レガメの挿絵も沢山収録されています。
今回からはギメの「東京日光散策」から。

引用開始
江 戸
それぞれの地方には、将軍の指図のままに動く領主や大名Daimioがいたが、これらの首長をとおして、日本は征夷大将軍――第二位の主権者――からたえず下される命令で治められていた。
外国人、特にヨーロッパ人が、帝を法王と思い、将軍を実際の皇帝であると考えていたのは、この点であった。朝鮮人とオランダ人は、それを大君Taikounと呼んでいたが、これは大大名を意味する。・・・
京都はもはや役に立たない首府でしかなかった。古い首都は首都としての地位を降り、どのように活用するかということだけが問題となった。江戸は帝国の新しい都市となり、これら二つの都市の運命と変遷がよくわかるように、勅令によって江戸の名は廃止され、帝の居所は以後布告によって、東京と呼ばれることになった。・・・
日本の鉄道
画像は三代広重画の蒸気車

汽車は非常に快く小ぎれいである。職員は白の雲斎布[厚手の綿布]を着用していて、優美で上品である。車両は少々狭いが、便利で、アメリカと同じように次の車両に通じている。どこも清潔で、手入れが行き届き、サロン風の鉄道である。
この路線の開業式の日は大騒ぎであった。まだ誰も垣間見ることができなかった帝が自ら、住民の前に姿を現わしたのである。現人神が、列車に乗るために、わざわざ天から下りて来たようであった。・・・
(この日は開業後、天皇が初めて汽車にお乗りになった日で、開業日は明治五年九月十二日。天皇ご臨席で行われています)
鉄道の沿線は非常に単調である。ほとんど海沿いを走っていく。沿線は豊かに栽培され、数百年を経た樹木におおわれた神聖な丘が点在し、藁葺きの家のある小さな部落や多くの竹林によって彩られた地方を横切っている。・・・
田畑には、きびしい太陽の暑さから大きな麦藁帽子で身を守った、裸同様の労働者がいる。道には、青い長い着物を着て、油紙でできた大きな日傘をさしている人がいる。日傘のレンズ型の黄色い鮮かな色彩[蛇の目]が、景色から浮き出ている。
海に目をやると、漁師の小舟が行き交うのが見える。至る所活気に満ちている。
駅ごとに、多くの土地の人が、急いで車両に乗ってくる。群衆は騒々しく、陽気である。日本人はいつも旅が大好きであったし、また巡礼という口実で、自分の国を完全に知ることができるが、その日本人が即座に鉄道を採用したのだ。・・・
東京に着く前にわれわれは品川で下りる。海を見下ろす丘の上に位置している広い郊外の街である。古い仏教寺院が外国公使館の居住地として使われているのは、このあたりである。
人力車夫はわれわれに車に乗るようにと勧める。暑さにもかかわらず、われわれは徒歩で行くことにする。興味ある事物が街道でわれわれを待っているからである。
まずは四十七忠臣(浪人 roonin)の墓がある泉岳寺Singakou-djiである。彼らは伝説的になり、また名高い文学者、近松門左衛門Tchikamatsou Mouzaimon(十八世紀)の作品[『基盤太平記』]によって有名になった。この話は語られる値打ちがある。非常に特徴のある風俗のこまごまとした話に満ちているからである。・・・
注目すべきことは、歴史的な事柄を細心の注意を払って記録する日本人は、その背景を書き留めることも決して忘れない。彼らは自然の美しさをこのうえなく愛している。このような愛情を持っている日本人は、これらの事件を風景から切り離して考えることができない。・・・
すぐ側に茶屋がある。休んだ小屋は蓙でおおわれた低い演台である。覆いがしてある台の上で、古代ローマ人が何か食べるときのように、日本人は寝そべったり、しゃがんだりしている。
一人の若者が、上半身を起こして肘で支え、腹ばいになっている。・・・彼は側で同じように寝そべっている若い娘と話をしている。われわれが立ち止まろうとする様子を見て、彼はその可愛い連れに合図をした。すると、彼女はすぐに起き上がり、われわれに挨拶をし、にこにこしてわれわれのところに来る。・・・・
若い娘は笑い、話したがる。しかし、われわれに話が通じないのがわかると、他の方法で楽しませようと努める。日本には楽しむ方法はたくさんあるのだ。
画像は菓子を投げる娘

まあ見て下さい。彼女は非常に軽い小さな菓子を、われわれのところに持って来る。かりかり食べる振りをすると、わっと吹き出して、われわれの指から彼女は華奢な手で奪い取る。それは魚の菓子なのだ。睡蓮の中にそれを投げて手をたたくと、金のうろこを持った食いしん坊が集まって来て、水の上にその菓子を飛び上がらせる。非常に愉快だ。
この優美な娘は、菓子を投げ、乾いた小さな音をたてて手をたたき、頭を斜めにかしげて、菓子よりも自分の魅力で魚を引き寄せるかのようにほほえむ。
魚は来たかって? わからない。生き生きした快活な若い娘、青い蝶の着物、バラ色の睡蓮、そして水面の緑が不意に出現したので、私は唖然としていたようだ。
レガメは時間を無駄にせず、できるかぎりデッサンしていた。
引用終り
>>この頃の日本の女性は、階級などに関係なく上品な感じがしていいですね
本当に、当時のすべての日本女性は、上品だったのでしょうね。
そして結構外国人に対しても人見知りせずに、積極的に話しかけていたことも、想像外です。
milestaさんといつも同じ感想を持ちます。
先日読んだ「英国人写真家の見た明治日本」でも嬉しくなる記述がありました。TBさせてくださいね。
TB有難うございます。私も以前にこの本をご紹介しましたので、TBさせて頂きます。
おばりん様のポンティングの記事拝見しました。やはり思いは同じなんだなーと思いました。
この頃の日本人の礼儀礼節に戻りたいですね。
すでにお読みであろうとは思いつつ、milestaさんとのやり取りに思わずコメント&TBさせていただきました。
あの竹林の写真がすごく綺麗に撮れているので驚きました。
本にあるものよりずっと綺麗な感じがします。
このポンティングの写真集が出版されていないか探していたのですが、まだ見つかりません。
表紙の画像もありました。
JAPANESE STUDIES(英文)
http://www.kosho.or.jp/list/047/00029018.html
有難うございます。探してくださったのですね。
この出島書店からは、別の本を最近注文したところです。
確かに高価ですね。ちょっと考える価格です。
見た上で決められたらいいのですがね。