2006年03月13日

中国の手口

shinso.jpg
1938年 K・カール・カワカミ著
「シナ大陸の真相」より引用

 この二十一ヶ条要求(その本質的な狙いは満州における日本の権利を保護すること)は、中国に侵害されかけているこの地域での日本の足場をしっかり固めようという意図の下に考えられた警告手段以上の何物でもなかった、というのが真相である。日露戦争後、中国が進んで日本に協力していれば、そのような要求は決してなされなかったであろう。
 「この要求の結果成立した日中間の協定は強制の下で、すなわち日本が最後通告を発した後で中国が調印した」と中国人は主張し続けており、そしてその主張は何も知らない世界によって一般的に受け入れられてきた。この口実は1915年の交渉の経過に照らし合わせてみれば言語道断である。

 この交渉の公式の記録によれば1915年2月12日(この要求が提出されてから僅か24日後、そして最後通告の出される85日前)、中国政府は回答を提出してきて、其の中で日本側の要求のいくつかは拒否したけれども最も重要な条項の大部分は受け入れた、となっている。このことは全て前記の日付で北京の日本公使に手渡された中国の回答文の中に明瞭に述べられている。4月17日までに他の全ての重要な部分も合意され、日本は要求のグループ5の部分を撤回し、他の点においてさらなる譲歩を行った。
 二十一ヶ条要求が出されたときの日本側の責任者であった外務大臣の加藤伯爵の伝記の中に、1915年の交渉の時に、日本政府が最後通告を出すことを中国側代表が非公式に求めてきた、と記されている。その理由は、そうすることによって袁世凱大統領が条約により調印しやすくなり、彼の政敵に対するもっともらしい言い訳を与えてくれるからだというのだ。
引用終わり

 うっかり中国の便宜を図ったために、このように裏切られる結果となりました。中国という国がいかに姑息な恥知らずかということを心してかからなければ、今後も日本は裏切られ続けるでしょう。かの国に対しては信義、友好などは無用だと言うことを前提に外交をするべきでしょう。
posted by 小楠 at 11:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 書棚から真実を
この記事へのコメント
中国人の怨念の深さ、面従腹背ぶり、媚と居丈高・相手国によって態度を変える国、裏切り、その謀略等々、日本人の想像をはるかに越えるものがありますね。日本の信義という観念が全くないのが中国の本質、対中外交で決して忘れてはならない鉄則と思います。
Posted by カピタン at 2006年03月14日 10:02
始めまして。拝読させていただきました。
先ほどお邪魔した際、このコメント欄を見つけることが出来なくて失礼いたしました。
中国世界は異常な世界ですね。四年ちょっといました。あそこはまともな人がいる所ではないことが了解できました。これ以上居ると、大和魂が中華魂に洗脳される危険を感じてサヨナラしてきました。
Posted by ケイさん語録 at 2006年03月21日 16:52
始めまして、
いや〜、ケイさん語録拝見しましたよ。やっぱり中国滞在のご経験がお有りだったのですねー。
>中国世界は異常な世界ですね。四年ち ょっといました。あそこはまともな 人がいる所ではないことが了解でき ました。

私なんかは本の知識ですが、やはり実体験されたかたの言葉は重いです。
ラルフ・タウンゼントやK・カール・カワカミの本の内容通りと言うことですね。ケイさんのブログ、沢山の人に見て欲しいものです。
Posted by 小楠 at 2006年03月21日 17:02
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