2007年06月30日

郎坊事件特派員特電

郎坊の激戦

 昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本があります。約750ページにもなる分厚い本ですが、昭和十二年七月の盧溝橋事件から十月末の上海事変ころまでの特電を集めたもので、当時の事件が生々しく伝わってきます。また、日本軍を執拗に挑発し、和平を阻害する裏には、ソ連と中国共産党の策謀そしてアメリカの蒋介石援助があることは周知の通りです。
 では、事件毎に一部を抜き出して引用してみましょう。時は昭和十二年のことです。
写真は行進する鯉登(こいと)部隊
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引用開始
【豊台二十六日(七月)発同盟】河邊部隊発表
 二十五日午後十一時頃、通信隊保護のため天津より派遣されたる○○部隊が郎坊駅附近にて通信線を補修中突如第三十八師百十三旅二百二十六団の部隊より射撃を受けたるも部隊長は第三十八師を友軍と見て俄に交戦することなく郎坊駅より慎重敵状を偵察したるも、敵は不法射撃を止めざるのみか駅を包囲するに至ったので遂に二十六日午前零時過ぎ応戦を開始した。
 郎坊には元来第百十三旅第二百十六団の第一及び第二営があるが、我部隊を包囲したる敵部隊の兵力は迫撃砲を用いたる約十七個連で更に宛平より騎兵を有する約三個団、武清県より約一営の部隊が郎坊に向け前進中である。
 我軍は支那側のこの不信行為に極度に憤慨二十六日払暁鉄道輸送により○部隊を郎坊に急派する一方、二十六日朝六時五分爆撃機数台を現地に飛行せしめ爆弾投下を行った。支那軍は我爆撃に仰天退却を開始した模様だが、我部隊は依然郎坊駅によって敵状を監視中である。尚二十五日夜来の戦闘により我部隊は十数名の死傷者を出した。

頭上で砲弾炸裂!鉄兜は飛ぶ 
郎坊二十六日発・朝日特派員・岡部孫四郎

 二十五日午後十一時三十分、郎坊駐屯の張自忠麾下第三十八師の兵約一千名が我が郎坊監視隊五ノ井部隊に不法発砲すとの情報が川岸部隊にあり、続いて二十六日午前一時五分支那兵迫撃砲の砲撃を開始す。次いで同一時十分重傷者三名、一時半六名に増加、遂に二時七分無電不通となる。
 これだけの情報を耳にして郎坊救援に急行の鯉登(こいと)部隊に随伴、先発したのは本社記者二名、写真班二名だけだ。きのうに変わって沿線も殺気を帯びている。朝から勿論列車の運転は休止。
 沿道には警備兵の姿がチラホラと見える「こりゃ大きくなるぞ」ぐっと胸に直感、「今日こそ報道のために身を捧げるのだ」と決意して沿道の彼方此方に目を見張る。
 午前八時列車はまっしぐらに北平平原を突っ走っている。空に爆音が聞える。列車の窓口から顔を出すと真上に飛行機が戦場の方に快翔して行く、と間もなく耳をつんざく迫撃砲の炸裂する音が引っ切りなしに起る。敵か味方か同行の川岸部隊北川参謀が、「我軍の砲撃です」と教えてくれる。あと五分で郎坊だという地点で敵の大砲、迫撃砲、機関銃の弾丸が我等の列車を狙っている。

 これ以上の進行は不利だ、我々が列車を降りた辺りは身長の二倍もある一面の高粱畑で神出鬼没の支那軍を追って攻撃前進が始まった。
 高粱畑を縫うて我軍の努力は並大抵ではない。記者は戦線を離れて郎坊駅に入った。その途端、続いて起る機関銃の猛射、郎坊駅の硝子窓をつんざく弾丸、「これは危険だ」当分構内にいることに決める。午前八時ちょっと前だったろう、支那兵が猛射する機関銃が物凄い音を立てて構内を突き抜けて傍の家の壁にプスリと当って又刎ね返る。凄い、全く凄い、と思った時だ、耳が聞えなくなった。目も真暗だ、ヒヤリと顔に水がかかったと直感した。
「やられたか! なあに支那兵にやられて堪るか」と思わず腰の拳銃に手が触れた。顔をなでて見た、何処も痛まぬ、大丈夫だったのだとホッとして掌を見るとベットリと血潮がついている「やられてるかな」と不安になった。記者の前に今まで立っていた人――「これは珍しい煙草だ」といって軍人煙草をくれた兵士が倒れているではないか、続いて又一人貫通銃創負うて倒れている。鉄兜が飛んで血を吐いてころがっている。一面鮮血に染まって凄惨、戸と云わず壁と云わず血飛沫を浴びて物凄い光景だ。・・・・・

 記者は流れ出る涙を拳で拭って黙祷を捧げた。黙祷を捧げた後、駅の西方に当って続け様に迫撃砲が炸裂して物凄い黒煙が上がっている。名誉ある五ノ井部隊の戦死傷者に「仇は必ずとってやるぞ」。
 鯉登部隊の大追撃だ。爆音が聞える、我が飛行機だ、○○機、続いて○機ぐっと機首を下げた。爆弾投下! 黒煙! ほんの数秒である。支那軍陣地も兵舎も木っ端微塵だ。支那兵は蜘蛛の子を散らしたように高粱畑の中に逃走し始めた。
 駅を中心に西と東の陣地は間もなく皇軍によって占領された。
 人一人居ないと思われた郎坊の街から一人二人駅近くの支那人は皇軍奮戦の姿を盗み見しながら食い残しの食物を拾って行く。街々に残る血痕、プスプス燃え上っている不発弾、街の角々の大穴、破壊された家々が今見たばかりの悪夢を不気味に物語っている。
 正午、張自忠軍一千の兵士が陣取って居た郎坊付近の支那兵陣地に足を踏込んで見る。駅を一歩外に出ると三十個に近い手榴弾が不気味な姿を投出していて。敵は我が駐屯所の裏屋根に這い上って盛んに手榴弾を投げた跡がありありと看取出来る。街の大きな商店は掠奪に遭ったと見え、どれもこれも見る影もないまでに荒らされて居る兵舎の営門は無残に破壊されている。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
この記事へのコメント
 これは、鮮烈な描写。
 記者自身の気持ちの高揚が伝わりますね。
 何千人も何万人も死んだと伝わりますが、「現場」では周りの数人が死ぬと言う事実は非常に重いと言うのも、伝わってきますね。
Posted by tono at 2007年07月19日 15:58
tono様
ここでも現地の支那軍は、同胞からの掠奪は当たり前だったということでしょうか。
今も騒いでいますが、支那人の常識で日本軍の犯罪を捏造したことがよくわかる報告ではないかと思います。
Posted by 小楠 at 2007年07月19日 17:08
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