昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本があります。約750ページにもなる分厚い本ですが、昭和十二年七月の盧溝橋事件から十月末の上海事変ころまでの特電を集めたもので、当時の事件が生々しく伝わってきます。では、事件毎に一部を抜き出して引用してみましょう。時は昭和十二年のことです。
巻頭にある写真を掲載しておきます。
平漢戦線負傷兵の後送
引用開始
【南京朝日特電七月十五日発】
南京政府は北支事変以来全く不遜極まる態度をもって望み和平解決を実行するが如き誠意を有していない。即ち政府当局者は公然と非は日本側にありと宣伝し、地方党部及び各機関に命令して計画的民衆運動を煽動し抗日商売の馮玉祥等は二十九軍および旧西北軍系軍隊に対し『抗敵英雄たれ』と歯の浮くような通電を発して得意になっていると云われ、抗日戦線の巨頭孫科は広東行きを中止し、上海にあって人民戦線一派と連絡をとり、政府部内の自重派を圧迫して民衆運動の指導に当って居ると伝えられて居るが、駐支英国大使ヒューゲッセン氏が北戴河より急に南京入りをするに至ったのは、本国政府の訓令によるよりも南京政府の懇望によったもので、飽く迄外国勢力に依存して局面を有利に導かんとする支那流の政策で、外交部当局者はしきりに南京在留の外交官及び外国記者を招致し、勝手な宣伝に躍起となっている。
某外国人記者などは余り露骨な宣伝振りに呆れて我が大使館に事実を確めに来る始末であり、一方南京政府としては、この機会に地方軍を整理せんとする腹黒い魂胆はいよいよ露骨で新聞を利用して二十九軍将兵慰労義金を募集し英雄扱いをし安価な憂国心をそそって、いやが上にも二十九軍及び韓復軍、山西軍をして日本軍と衝突せしめ、労せずして北支の中央化を図らんとする魂胆である事は明瞭であり、二十九軍その他の北支地方軍の南京弁事処をして常にニュースを放送させているが、この手段を選ばぬ老獪な国内政策に対して外人筋でも不愉快に思って居る。こうした重大時局に際し徒に小策を弄し民衆を欺瞞に陥れる抗日政策は益々時局を急迫に導くものであり、いよいよ和平解決を困難ならしめるものであって、支那を大混乱の渦中に投げ込む責任は南京政府が負うべきであるといわれて居る。
活気横溢・豊台の守り
豊台十七日発・朝日特派員 團野信夫
・・・・ 鉄条網のはりめぐらされた兵営は、はちきれるばかりの活気に満たされている。事変勃発当時恐怖して寄りつかなかった支那人達がこのごろになるとドンドン近づいてくる。十日に人夫を募集したところが百名のうちやっと三十人ばかり狩り集めたが、夕方労銀を支払ってやると二、三日経つうちにドンドン増して、此頃では使ってくれと頼みにくるのがあるそうだ。彼等の戦争観によれば、戦争即ち徴発掠奪であったものが金を与えられたのでびっくりしたものらしい。
どんな急忙の際にも徴発の代償は必ず十分に支払うべしというのが豊台部隊の合言葉だ。戦火の中に見るこの静けさ安らかさは日本軍への民衆の信頼を物語るものだろう。・・・・・
一文字山は三十メートルばかりの小丘だ。サラサラした砂に青い雑草がところどころ茂っている。麓の支那家屋で支那の女が大釜に飯をたいている。銃声に一時は逃げ出そうとしたそうだが、日本軍は一向掠奪にやってこないので踏みとどまり何くれと世話をやいてくれるそうだ。
丘の上に立つと左方向に砲弾の穴のあいた盧溝橋城の城壁があり、右前方には永定河畔の森が翠の曲線を描いている。右背後は北平の街が紫色に霞んで白塔が望まれる。美しい景色に陶然としつつしばし戦場であることを忘れている、と突然北寧線の彼方から二発の銃声だ「ソラ撃った」哨兵の言葉に思わず首を縮める。いま馮治安軍には北平の学生が演劇隊まで組織して排日宣伝に入りこみ抗日の歌を教えたり、政治教育をほどこしたり大車輪の活動をつづけてるという。幹部将校と部下兵士の思想的離間が事態の円満解決を困難にしている。二発の銃声もその意味を暗示するのか「今夜はまた撃ちますよ」と哨兵はつぶやいた。
宛平県城攻撃
【豊台朝日特電二十日発】
十九日支那側に対して発した重大通牒に基き我が方は二十日正午以後の支那側の第一線部隊の動静を厳重監視中、午後二時三十二分に至り盧溝橋付近二十九軍前線より又復不法な射撃を受けたので、遂に堪忍袋の緒を切らし前日の通牒に基き断乎、河邊部隊は砲撃を開始し砲弾は敵の後方陣地に命中しつつあり。
【豊台二十日発同盟】
十九日夜来支那軍の背信的射撃に対し隠忍自重して居たわが最前線部隊は最早これ以上の忍耐を許さず遂に宛平県城及び盧溝橋方面の第二十九軍に対し断固膺懲砲撃を開始した。雷電の如き砲声は殷々として河北の野を震わせ、わが砲兵隊より放つ巨弾は宛平県城内城壁上などに炸裂、支那側よりもこれに応戦午後二時四十分今や激戦続行中。
事件不拡大遂に絶望
陸軍当局談(二十日午後六時三十分発表)
北支事件発生以来我駐屯軍は政府の方針を体し隠忍自重事件の和平的処理に最善の努力をつづけて来たが、第二十九軍側において再び我軍に不法射撃を加え或は北平、天津間において我軍用電線を切断し更に本二十日午後一時八宝山及び長辛店附近の支那兵は、我に向い盛んに砲撃を行いしをもって豊台の我軍は座視する能わず遂にこれと戦を交うるの已むなきに至り軍の堅持せる事件不拡大の希望が全く蹂躙せらるるに至ったことは遺憾である。
引用終わり
今でも中共は、南京事件などについて「余り露骨な宣伝」をしていますけれど、この某外国人記者のように呆れて事実を確かめたくなる人はいないんでしょうかね。だけど、確かめる先が朝日新聞だったりすると元も子もないですけど。
>彼等の戦争観によれば、戦争即ち徴発掠奪であったものが金を与えられたのでびっくりしたものらしい
こういう話もネットでは見ますけど、日本の誠実さはあまり公になりませんよね。
>>確かめる先が朝日新聞だったりすると
確かに怖いですね、嘘を本当のようにするのが得意ですからね。で、嘘がわかっても大きく訂正を発表しないし。
これらの記事は当時の記者が見たままのものでしょうから、訴求効果があると思い掲載しています。
>>そういえばこの連載の記事も朝日
そうです、他に読売や同盟、大毎なども出てきます。
今の朝日は、自社の先輩記者が取材した内容まで否定するのでしょう。
全く信用できない会社です。
かような特電は、検閲は入るのでしょうか?
聞くところでは、従軍記者で、それなりの許可がある者の記事は検閲をフリーパスだったとか。
「朝日新聞の戦争責任」と言う本にあるように、大戦中の朝日は大本営をも煽る勢いの記事が多かったようですが、この頃はまだそうでも無い様ですね。
しかし、記者の思想を引いてみても、真実の一部は揺るぎない物だし、当時の日本軍はまだ大いに軍人勅諭5箇条の心得も身に染みていたのでしょうね。
歴史というのは、低い方に流れるというか、成る可くして成っていく様子がよく分かりますね。
この頃の特電からも、軍が精いっぱい不拡大方針を守って、悔しさに耐えている様子が窺えますね。
もし意図が侵略であったなら、これ幸と攻め込んでいたでしょう。