2006年03月06日

昭和天皇2

侍従長の回想
藤田尚徳著
東京裁判主席検察官キーナンの回顧

 憲法第五十五条に、「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」とあった。
 キーナン検事は、この点に触れて、後に次のように述べている。
 「・・・首席検察官として、余は天皇を戦犯人として、起訴する証拠はないと考えていた。証拠の示すところによれば、天皇が終始和平を望んでいたということは、はっきり証明されている。
 余は個人としては、天皇を自らの立場を説明するだけでよいから、証人として法廷に出廷させたいと思っていた。しかし同じように国王をいただく英国側から、そういうことは忍び難いとの反対があった。
 マッカーサー元帥が余に語ったところによれば、もし天皇が証人として出廷されたならば、天皇自身は、我々が証拠によって見出した彼に有利な事実をすべて無視し、日本のとった行動について、自ら全責任を引き受ける決心であったという。
 すなわち記録によって、天皇は立憲国の君主であり、また職責上必ず側近者の輔弼にもとづいて行動しなければならなかったことが証明されているが、それにもかかわらず、天皇はもし出廷されたとしたら、このようなことを自己弁解に用いるようなことは一切しなかったであろう」

天皇とマッカーサー
マッカーサー回想記では、天皇との会見は次の内容が記されている。
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためお訪ねした」

皇太子の家庭教師バイニング夫人の日記には、天皇が
「貴下は私を絞首刑にしてもよい。(You may hang me) しかし私の国民を飢えさせないで欲しい」と発言したとある。
posted by 小楠 at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚から真実を
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