2006年03月05日

昭和天皇1

侍従長の回想
藤田尚徳著

昭和21年2月

・・・そして思いもかけず、私は陛下の御胸中をじかに聞く機会を得たのである。その心境を他人に表明なさったことなど、おそらく陛下の御一生にかってなかったことではあるまいか。
 苦しみがあってもうったえるべき人のない天皇、愚痴のやり場もないのが日本の天皇の姿であった。陛下は発言したくても、その意見を公になさることはなかったわけで、戦争の責任についても、もちろん一言もお述べになったことはない。ただマッカーサー元帥に対して、「一切の責を自分で負う」と表明されただけであった。
 何かの奏上で御前に出ると、「椅子にかけよ」とおっしゃった。私が椅子に座ると、陛下は心もち身体を前にゆすりながら、静かな声で語られた。陛下は単刀直入に戦争責任論を口になさった。
 「申すまでもないが、戦争はしてはならないものだ。こんどの戦争についても、どうかして戦争を避けようとして、私はおよそ考えられるだけは考え尽くした。打てる手はことごとく打ってみた。しかし、私の力の及ぶ限りのあらゆる努力も、ついに効を見ず、戦争に突入してしまったことは、実に残念なことであった。 ところで戦争に関して、この頃一般で申すそうだが、この戦争は私が止めさせたので終わった。それが出来たくらいなら、なぜ開戦前に戦争を阻止しなかったのかという議論であるが、なるほどこの疑問には一応の筋は立っているようにみえる。如何にも尤もと聞こえる。しかし、それはそうできなかった。
 申すまでもないが、我国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。
 この憲法上明記してある国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し干渉し、これを掣肘することは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議をつくして、ある方策をたて、これを規定に遵って提出して裁可をを請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。
 もしそうせずに、私がその時の心持次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持によって何となるか分からないことになり、責任者として国政につき責任をとることが出来なくなる。
これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない」
 「だが、戦争をやめた時のことは、開戦の時と事情が異なっている。あの時には終戦か、戦争継続か、両論に分かれて対立し、議論が果てしもないので、鈴木が最高戦争指導会議で、どちらに決すべきかと私に聞いた。
 ここに私は、誰の責任にも触れず、権限をも侵さないで、自由に私の意見を述べ得る機会を、初めて与えられたのだ。だから、私は予ねて考えていた所信を述べて、戦争をやめさせたのである。
 ポツダム宣言の諾否について、両論対立して、いくら論議しても終に一本にまとまる見込みはない。しかも熾烈な爆撃、あまつさえ原子爆弾を受けて、惨禍は急激に増える。
 この場合に私が裁決しなければ、事の結末はつかない。それで私は、この上戦争を継続することの無理と、無理な戦争を強行することは皇国の滅亡を招くとの見地から、胸のはりさける想いをしつつも裁断を下した。これで戦争は終わった。
 しかし、このことは、私と肝胆相照した鈴木であったからこそ、このことが出来たのだと思っている」
posted by 小楠 at 00:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 書棚から真実を
この記事へのコメント
"我国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。" ・・・・当時の天皇陛下の御心中、察し余る話しですね。現在の皇族方にあって、唯一寛仁さまが皇位継承問題について語られていますが、勇気ある発言と思います。
Posted by カピタン at 2006年03月06日 11:10
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