2007年06月11日

幕末明治の英紙報道8

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース
日本の茶屋の夜と朝

 昭和48年に初版が発行された「描かれた幕末明治」という本をご紹介しています。これはイギリスの絵入り新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に掲載された1853年から1902年までの日本関係の記事を翻訳したものを一冊の本にまとめたものです。
幕末から明治への激動の日本の姿を今に伝える一資料として、その内容を抜粋引用してみましょう。
挿絵は、宿の少女
girl.jpg

引用開始
1873年11月15日号
 日本は旅行のためのよい設備をそなえている。この点では、多くの東洋諸国とは異なっている。われわれの言葉の意味でのinn(旅館)は存在しないが、日本人なりのそういう場所は、「茶屋」(tea houses)と称するものによって、充分提供されている。
 こうした場所のひとつふたつは、大抵の村々に見出される。ある村々では、こうした場所は大きな建物である。すべてが極めて念入りなやり方で清潔さを保っており、しばしば日本式に設計された裏庭があり、そこには小型の岩や滝や湖や寺や盆栽の木が置かれている。ただヨーロッパ人旅行者は多少の食料品を用意して行かなくてはならないが、それは、日本の食糧がほとんどヨーロッパ人を満足させないからである。
 それに、いくらか飲める物と、敷布と、枕と毛布は、自分で持参しなくてはなるまい。

 苦力もしくは運搬人は容易に雇えるから、われわれは、日本国内をいとも気楽に旅行することができるのである。これらの茶屋の部屋は、床にたいへん立派な柔らかい藁でできた畳があり、部屋の三方は紙製の、日本の風景を描いた横にすべる板[襖]でできている。夜になって家を締めるときには木製の横にすべる板でできた外側の防壁[雨戸]があり、これらには家を安全にするためかんぬきが使われる。朝になっても、これらの外側の板が外されるまで、光は部屋に入ることはできない。こうした場所のひとつで私がはじめて眠った夜のこと、私は、朝目がさめても、終夜灯が尽きてしまって、あたりは真っ暗であった。今何時だろうかと思ったが、あまりに快適だったため、何時か知るためマッチをするのがめんどうであった。

 人々がそのあたりを動き出すのが私には聞こえたが、しばらくすると、私のところから2、3ヤード以内のところで、雷のような騒音がした。この騒音のとどろきはほんの一瞬間ほど続いてすぐにやんだが、しかしまもなく、2番目の突発音が続き、それは家が粉々にくだけるかのような響きであった。
 いったい何事が起り得たのだろうか。この大きな雷鳴の3番目の響きが起ると、何とかこの秘密を明かしてやろうという気を起させた。そこで私は、手を伸ばすと、横にすべる板を押しあけることができ、この雷鳴の主がすぐわかった。それはこの家の女たちの一人が、外側の板戸を開けて、昼間はこれをしまっておくために作られた隅の戸袋のところまで溝[敷居]に沿ってこれを押して行くだけのことであった。家全体が木と、そして、太鼓のようにきちんと枠に張られた紙とでてきているために、これらの外側の板を動かすという単純な動作なのに、あたかもギリシャ神話のジュピターが、みずから稲妻を発射しつつあるかのような音を生ずるのである。

 私はあの恐ろしい騒音と、それを生み出した原因の単純さの対照を知ってよろこんだ。何か怖いものを見るのかと期待していたのに、私が見たのは、その日の仕事を始めようとしていた少女の絵画的な衣装だけなのであった。
 外には、古風な庭園があり、そこには奇妙に刈り込まれた小型の木々や、岩や、湖があり、晴れ渡った朝がほんの1、2分前までひたっていた暗闇と対照をなしてあらわれたのである。
 少女は、私が外を見ているのを見ると、おきまりの「オハイヨウ」[おはよう]という挨拶をし、まもなくイタリアのカルデロのような皿に炭火を入れて――日本の冬の朝は寒いので――、また竹の取っ手のついた古風な土びんに茶を入れて、運んできた。起きて、着替えをする前に茶を啜ることは、気持ちの良いものであった。

 前夜私は、灯火をもってきた少女の印象がたいへん強かったので、彼女を私のスケッチブックの主題としてとりあげておいた。暗くなるとすぐ、このたいへん奇妙な形のランプもしくは角灯が部屋に運びこまれる。角灯はどこの茶屋でも同じものであり、木の台と枠、そして、炎をすき間風から守るためそのまわりに貼った紙とでできている。炎は、原始時代の素焼きのびんのような小さな真鍮の器に油と灯心を入れたものによって起される。このランプの大きな紙の表面は、点火されると、部屋のまわりにかなりの量の光を投げかけるが、その光は物を書いたり読んだりするのには充分とは思われなかった。そのため、夜なにかしたいと思うなら、やはりろうそくをもっていく必要がある。
引用終り
posted by 小楠 at 07:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
こういう日常の何気ないことは、日本人が書き記すという機会がないでしょうから、貴重な記録ですね。
雨戸の開け閉めなんて毎日のことで気にも留めていませんでしたが、ふと気がつくと実家を出てからは雨戸のある家に住んだことがありません。だから我が子たちは雨戸を知らないのです。こうして知らない間に消えていくものもあるのだなぁと、この昔の外国人の記述が気づかせてくれました。
Posted by milesta at 2007年06月12日 08:39
milesta 様
最近では木製の雨戸はめったに目にしませんね。
昔は防犯だけでなく、台風の時にも役に立ちました。
今ではアルミ製のものは戸袋も含めて売られていますが、需要のほうはほとんどないに等しいです。
別荘など、長期に留守となる家には、見られますが。
Posted by 小楠 at 2007年06月12日 14:36
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