2007年06月01日

米国製憲法強要事情10

天皇最後のご聖断

児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 続けてご覧頂き、有難うございました。今回で最終と致します。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
今回が最終の引用です。ここでは新憲法発表の経緯が記されており、このくだりの続きが、今回最初に引用した米国製憲法誕生事情1となります。
 現行の“翻訳憲法”は非独立国時代のものとして捨て去り、日本人の手で、日本語で作られた憲法をわれわれ日本人の憲法として制定するのがごく当り前のことではないでしょうか。

引用開始
 総司令部は速やかな公表を希望しているが、なにはともあれ、天皇に報告しなければならない。
 幣原首相は、“総司令部憲法案”前文と明治憲法の改正手続き、つまり、民意に基づく憲法だという宣言と欽定憲法との関係について質問した。閣僚たちの意見は、結局、天皇のご意思で発表するのであれば問題はあるまい、そこで、まず首相が憲法案を内奏して、こういう内容の憲法をつくるよう努力せよ、との勅語をいただけばよい、ということになった。・・・・・

「このときの内奏は、畢竟するに敗北しましたということの御報告のようになりました。こちらで多少抵抗したためによくなったところもありますが、そういうことはあまり申しませんでした」・・・・・
松本国務相は、「当時のことは今でも目の中にあるのであります」といいながら、その八年後(昭和二十九年七月七日、自民党憲法調査会総会に於て)、そう回想しているが、まことに、松本国務相の心境は、敗北の一語につきていた。
 松本国務相は、既述の如く、憲法改正業務をいわば「国体守護の勤め」とみなして、努力してきた。
「国体を守るために敗北を承知したのに、その国体を捨てるような憲法をつくって良いのか」――とは、松本国務相がしばしば口走った発言である。
 ところが、いまや、松本国務相からみれば、「途方もない」憲法を受諾することになった。

 主権という言葉がある。対外主権、対内主権などというが、対外主権すなわち独立であり、万事を自主的に決定する力をもつことを指す。ところが、いま受けいれようとする“総司令部憲法案”の前文は、日本国民の「安全及生存」は、「世界の平和愛好国民の公正と信義」に依頼する旨を、宣言している。・・・・
 自国の運命を自主的に決定するのが主権国、独立国である。他国の意思にゆだねるのは、非主権国、属国ではないか。


 さらに、第九条は「国の主権の発動としての戦争」、「国の交戦権」を否認している。ここにも、国家の主権の放棄が唱われ、国家の本質的機能である秩序の維持と外敵の防衛権が、否定されている。いわば、独立国たることを憲法であきらめているにひとしい。・・・・・
 米国の星条旗が各州の統合の象徴であるように、天皇もまた、旗と同じ存在とみなされるわけである。おりから、天皇には権限も機能も認められず、ただ「国事」という特定の“事務”をおこなうだけである。
 世界各国の元首を眺めても、元首といい、まして君主という場合、名目的にせよ、法律の裁可権と官吏の任命権をもたぬ存在は、見当らない。その最小限の要件さえ欠くのだから、天皇は君主ではなく、ゆえに天皇制、すなわち国体は変改した、といえよう。

 松本国務相はできるだけ淡々と経過を説明しようとしたが、次第に胸がつまり、声がふるえてくるのを止めようがなかった。
 すでに二ヶ月前、一月二十二日、マッカーサー元帥は戦争犯罪人を裁く「極東国際軍事裁判所」条例を布告していた。軍、政界の幹部は続々と巣鴨刑務所に収容されている。
 ホイットニー准将は、はじめて“マッカーサー草案”を提示したとき、受諾しないときは天皇の身体(パーソン・オブ・ジ・エンペラー)の保証ができない、といった。・・・・・
 この“総司令部憲法”の受諾によって、その不安は除去されるかもしれない。だが、同時に、日本は国家として“不具”となり、天皇も君主としての“法的地位”を失う。
 そして、それを受諾する決定は、ほかならぬ天皇ご自身が下さねばならぬのである。
 
 天皇は、太平洋戦争終幕のとき、ご自身はどうなってもよいと述べられて終戦の聖断を下された。マッカーサー元帥が進駐すると、同じくわが身に全責任を負うために、元帥訪問を決意された。
 いま、終戦いらい、三度目の聖断を仰ぐわけだが、その聖断は天皇ご自身の“地位”変更のためのものであり、天皇が天皇として下す最後の聖断となるはずのものである。
 天皇の立場、天皇のお気持ちとして、ノー、というお答えはないと承知できるだけに、説明を終って敬礼した松本国務相の頭は、深くたれたまま、あがらなかった。
「仕方がなければ、それよりほかないだろう」
 天皇の言葉が聞えた。松本国務相には、天皇のお言葉は「そんなに強く、それでけっこうだと言われたような意味には思えなかった」が、いずれにせよ、聖断は下った。
 幣原首相と松本国務相は、そのまま首相官邸にもどり、待っていた閣僚たちに報告し、さらに閣議をつづけた。

 総司令部では、同日中にも発表したい意向を伝えてきたが、幣原首相は、字句の整理、勅語の用意などの都合で翌日にのばしたい、と返答した。
 草案は「憲法改正草案要綱」の形で発表されることになったが、松本国務相は、正式案は口語体にしたほうが良い、と述べた。そのほうが、「寧ろ翻訳であることをかくす」ことができる、と考えたからである。松本国務相は、口語体の法律の前例がないだけに、閣僚たちから異論がでるものと予想したが、「意外にもみな賛成」で採用された。
引用終り
posted by 小楠 at 07:13| Comment(2) | TrackBack(1) | 米国製憲法強要事情
この記事へのコメント
 日本政策研究センターの「憲法はかくして作られた」を読みました。
 もちろん、この「史録 日本国憲法」も参考文献に上がっています。
 外務大臣官邸での「原始力エネルギー云々」を含む回想等は、この本から引用しているようですね。
 憲法問題調査委員会の顧問であった元枢密院議長 清水澄 法学博士の自殺が、何よりこの憲法を物語っているのかも知れませんね。
Posted by tono at 2007年06月04日 23:49
tono 様
>>清水澄 法学博士の自殺が

当時は国体護持が最重要課題でしたね、降伏を受け入れたのも、あいまいながらこれが保証されるだろうと解釈してのことでした。
そして、まさか国際法違反の占領国の法律の変更など行われるとは考えもしていなかったのでしょう。
現状の日本は、アメリカの思惑どうり、キバを抜かれたままです。
Posted by 小楠 at 2007年06月05日 08:07
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