順序を無視して最終部分をまず最初に引用したいと思います。引用するのは、児島襄著「史録 日本国憲法」です。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
著者が貴重な御教示と資料の提供を受けたとされる人名を挙げると、入江俊郎、牛場友彦、大石義雄、木戸幸一、佐藤達夫、佐藤朝生、白州次郎、高木八尺、松本重治、福島慎太郎、楢橋渡、細川護貞、三辺謙、清宮四郎、河村又介、宮沢俊義、松本正夫、岩倉規夫、山本有三、田中耕太郎、ヒュー・ボートン、チャ−ルス・ケーディス、セオドア・マクネリー、フランク・リゾー、ジャスティン・ウィリアムズ、となっています。

引用開始
閣議が終わったのは、午後九時(昭和二十一年三月五日)そして、直ちに入江法制局次長を中心にして、内閣書記官長室で「要綱」作成作業がはじまった。“総司令部憲法案”の字句を修正するのだが、原本の英文を動かさずに日本文の表現を整えるのである。・・・・
翌日、三月六日午前九時から閣議が開かれ、「要綱」の審議がおこなわれたが、午前十時すぎ、ハッシー海軍中佐が英文の“総司令部憲法案”十三部を持参して、公式の英訳である旨の確認の署名を、楢橋書記官長に求めた。
「これからワシントンに行く。極東委員会十一カ国に一部ずつ、米政府に一部、日本政府に一部、合計十三部の署名をもらいたい」
ハッシー中佐はそう述べて、楢橋書記官長の署名が終ると、一部を残して、そそくさと辞去した。・・・・・
「要綱」の審議は、午後四時すぎに終り、政府は午後五時、次のような勅語とともに発表した。
「・・・国民の総意を基調とし人格の基本的権利を尊重するの主義に則り、憲法に根本的改正を加え、以て国家再建の礎を定めんことを庶幾(こいねが)う。政府当局其れ克(よ)く朕の意を体し、必ず此の目的を達成せんことを期せよ」
マッカーサー元帥も、用意していた声明を発表した。
「予は日本の天皇ならびに政府によって作られた、新しく且つ開明された憲法が、日本国民に余の全面的承認の下に提示されたことに、深い満足をもつものである・・・」
幣原首相も、談話を発表した。
「畏くも天皇陛下におかせられましては・・・非常なる御決断を以て、現行憲法に根本的改正を加え・・・民主的平和国家建設の基礎を定めんことを明示せられたのであります・・・茲に政府は、連合国総司令部との緊密なる連絡の下に、憲法改正草案の要綱を発表する次第であります」
そして、八日、松本国務相も記者会見で――
「(議会の修正権について)従来、私の考えていたのは一部改正としての修正権で・・・この度のように憲法の全部改正については、充分議をつくして考えていなかった・・・・」
国内では、共産党をのぞく各政党はいずれも歓迎の意を表明し、国外、とくに米国の新聞は、戦争放棄条項に奇異の目をみはった
『ニューヨーク・タイムズ』紙が「世界平和は日本の一方的行為で確保されるものではなかろう」と、「ユートピア的」な条項に首をひねれば、『ニューヨーク・サン』紙は、「この子供らしい信念」に平和愛好諸国がこたえることを期待すると述べた。
だが、内外の反応で一致していたのは、「要綱」が日本製ではなく米国製ではないか、端的にいえばマッカーサー総司令部または米国政府が、日本に押しつけたものではないか――という疑惑であった。
前掲のマッカーサー元帥、幣原首相、松本国務相の発言をたどってみても、マッカーサー元帥は、天皇が自発的に憲法改正を考えたようにいい、幣原首相は「非常なる御決断」と暗に天皇の苦慮をほのめかし、松本国務相に至っては、担当大臣でありながら、今回のような改正は考えていなかった、と日本側の草案ではないことを告白しているかの如き言明をしているからである。
さらに、強い印象を与えたのは、「要綱」の文章が明らかに翻訳調であることと、その内容が、たとえば第十二条の「生命自由及幸福希求に対する権利」が米国の独立宣言そのままであったり、さらにリンカーン大統領の有名な“ゲティスバーグ演説”や、F・ルーズベルト大統領の演説の一部に酷似した文句が発見できるなど、いかにも“アメリカ臭”が濃いことである。
この点にかんしては、むしろ、米国での反響が目ざましかった。メルボルンの新聞『エイジ』の米国特派員は、ある米国一流紙の論説委員が英文草案を読んだとたん、「それでこの日本語訳はできているのか?」と叫んだ、と報道した。
その意味では、口語体で翻訳臭をかくそうとした松本国務相の計画はむしろ逆効果であった、といえるが、・・・・・
当時の関係者の回想で一致しているのは・・・・天皇を“象徴”にし、軍隊を廃止するという「日本国憲法」第一条、第九条においても、その感慨はいちじるしい。
この改正部分は・・・・マッカーサー総司令部でも、むしろ、意表外であった。独立国家であれば、元首と軍隊の存在はしごく常識的な必須要件であると考えられるからである。だが、米国の戦後政策は戦争防止、いいかえれば、敵国が再び脅威とならぬようその“キバ”をぬくことを基本にしている。・・・・・
草案作成を担当したマッカーサー総司令部は、日本の事情や将来の変化に対する綿密な配慮を要求されず、「指令」の一種のつもりで憲法草案を策定した気配が、うかがえるのである。
「日本国憲法」は、平和条約締結後もひきつづき、日本が米国の“準占領”下にあるような被保護状態を維持する役割をつとめ、松本国務相が心配した政治の無責任気運を醸成したことも、指摘されるであろう。
引用終り
あの時点で、どんなに抵抗してもGHQの思うとおりにしかならなかったかもしれませんが、松本大臣が孤軍奮闘して日本の伝統を守ろうとしていたことが悲しく、お気の毒に思えて仕方ありません。
(一冊の本を読んだだけの印象なので的を射ているかどうかわかりません。)
白州次郎氏はこのとき「終戦連絡事務局次長」の肩書きでしたから、連絡業務に徹していたのでしょうか。彼は英国仕込みの英語を話し、粗野な米国民生局の連中をバカにしていたようなところも、あの白州次郎の本から読み取れますね。
憲法要綱に対する米紙コメント2つ
>平和は日本の一方的行為で確保されるものではなかろう
>「この子供らしい信念」に平和愛好諸国がこたえることを期待する
とは悲しい&笑えない話ですね。
コメントありがとうございます。
これは結構皮肉たっぷりの論説ですよね。
今の護憲派もこのとおり、世界から見れば、子どもらしい信念なのでしょう。
こんな幼稚な議論がまかりとおる日本が普通ではなくいかに国防音痴かを示していますね。