2007年05月19日

江戸中期の日本評3

 今回ご紹介しているのは、スウェーデン人ツュンベリー著の「江戸参府随行記」です。今回からは、外国人ならではの面白い表現を抜き出して掲載していきます。
 ツュンベリーは植物学者そして医学博士で、東インド会社所属のオランダ船に員外外科医として乗船し、1775年(安政四年)8月13日、オランダ船の主任医官として長崎に来航しました。この年は、杉田玄白らの訳で有名な『解体新書』が出版された翌年にあたります。
「江戸参府随行記」にある今から230年前にツュンベリーが見た「日本及び日本人」の章から。
写真は幕府が最初に派遣した遣欧使節1862年
kenou.jpg

引用開始
日本語
 日本語は、多くの点でヨーロッパの言語と大きく異なっているので、その習得は大変に難しい。中国語と同様に上から下へ縦に書く。・・・・
 このような困難にもかかわらず、私は昨年の秋から冬の間とそれ以降も、最良の友人である通詞から教わって日本語を理解し、多少は話し、そして書くことにも非常な努力をした。しかしこうしたことは、彼らの無事と私自身の安全のために極秘のうちに行われねばならなかった。この目的をうまく果たすために、私はその時々に学んだ言葉や先述の語彙集をもとに、ヨーロッパではほとんど知られていない言葉についての単語集を作成した。・・・・

衣服
 衣服こそ、日本における国民特有のものであるというにふさわしい。なぜなら、それはあらゆる他民族のものと異なるのみならず、また君主から貧民に至るまですべて同一で、男女とも同じく、そしてまったく信じられないことに2500年間も変わっていないのである。
 それは国中どこでも、長い幅広の着物であり、身分や年齢に関係なく、一枚から何枚かを重ねて身に付ける。身分の高い人々や富裕な人々は上等な絹地の着物を、そして貧しい人々は木綿地のものを着る。
 女性は普通、その裾がつま先までくるし、身分の高い女性はしばしば裾をひきずり、そして男性は踵までくる。また旅人、武士、そして労働者は裾をまくり上げたり、膝までになるよう引き上げたりする。男性は無地の着物が多いが、女性はばら色の布地に花を金糸で織り込んでいるのがほとんどである。

 夏は単衣か薄い裏地がついているだけである。冬は防寒のために、木綿綿や真綿をぎっしりと厚く詰める。男性が何枚もの着物を重ね着することは滅多にないが、女性は三十から五十枚またはそれ以上を重ね着することがたびたびあり、みなごく薄いので合わせてせいぜい四ないし五スコールプンド(1700ないし2125グラム)にも満たない。
 一番下の着物は下着の役割をしており、したがって白または青っぽい地で、たいていは薄くすきとおるようである。これらの着物はすべて、腰のまわりに帯をぐるりと巻いて固定する。帯は男性では手の幅ほどで、女性ではおよそ半アールン(約30センチ)幅であり、腰の回りに少なくとも二回巻いたあとに大きな蝶結びと結び輪が十分に作れるほどの長さがある。

 男性はこの帯に刀、扇子、煙管、煙草入れ、印籠を差しこんだり、入れたりする。着物はいつも首のまわりを囲み、衿はなく、前開きである。そして首はむきだしのままで、衿巻や幅の広い布等で覆ったりすることはない。
 袖はいつも不恰好で極端に広い。その幅は半アールン以上あり、袖口は開いていてその半分は縫い合わされているので、その底の方は袋のようなものであり、寒い時はそこに両手を差し込むことができるし、またポケットの代わりに紙類や他の物を入れることもできる。若い娘は、とくに着物の袖が長いので地面にまで達することがたびたびある。

 この衣服はゆったりしていて、着衣が素早くできる。また脱ぐ時は帯を解き、袖をはずすだけで十分で、そうすれは着物はひとりでに脱げ落ちていく。・・・・
 しかしなお、それには性別、年齢、身分そして生活のありさまにより多少の違いがある。だから労働者、漁夫や船員のような身分の高くない人々が衣服を脱いで働いているのをよく目にする。 その時は着物の上半身を脱いで帯だけでささえて下に垂らしているか、またはまったく裸で腰のまわりに一本の帯状のものをまとい、それで前面を包んで自然の部分を覆った後、股間から後方にまわし背後で固定している(褌)。

 身分のある男性が外出する時は、この長い着物のほかに短い半長の着物(羽織)と、ある種のズボン(袴)を身につける。羽織は上に羽織るのであり、紗のような薄い布地で作られている。衿と袖は着物と同じであるが、しかし長さは腰のあたりまでで、そこに帯を巻きつけるのではなく、前面の上方を一本の紐で結び合わせる。通常、色は黒だが、緑色のこともある。帰宅した時や自分の職務室で上位の役人がいない時は、羽織を脱いできちんとたたんでおく。

 袴は独特の布地でできており、薄地に見えても繊維はかなり密で、絹でも木綿でもなくある種の麻から作られている。どちらかといえば、袴は女性のスカートに似ており、下方は足と足の間が縫いつけられている。・・・
 肌につける股引は、旅人や武士以外は滅多に用いない。彼らは敏捷に歩いたり走ったりするために、着物を短く端折って裾をまくり上げている。

 日本である種の礼服と称される儀礼用の衣服(裃)は、身分の低い者が上司を訪問したり、また人々が幕府へ参上したりするような儀式ばった機会にだけ使用される。・・・・先述の羽織とそれほど異なってはいない。しかしうしろで肩を両側に引張っているので、これを着ると日本人は肩幅が大変広く見える。・・・・

 着物はつま先へとどく長さなので脚は暖かく、靴下は履く必要もなければ国中どこにも履いている人はいない。旅をしている身分の高くない大衆や武士は、それほど長い着物はきていないが、木綿地の半長の脚絆を脚に巻いているのを見た。また長崎では厳冬下に寒さから足を守るため、何人かが木綿地の底で麻の短い靴下(足袋)を履いているのを見た。これは足首でしっかりし留められており、親指は別に縫いわけられていて草履をはくこともできるようになっている。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
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