今回ご紹介しているのは、スウェーデン人ツュンベリー著の「江戸参府随行記」です。
ツュンベリーは植物学者そして医学博士で、東インド会社所属のオランダ船に員外外科医として乗船し、1775年(安政四年)8月13日、オランダ船の主任医官として長崎に来航しました。この年は、杉田玄白らの訳で有名な『解体新書』が出版された翌年にあたります。
「江戸参府随行記」にある今から230年前にツュンベリーが見た「日本及び日本人」の章から掲載しています。
時代が違いますが、画像は19世紀末のおもちゃ屋さん

引用開始
この国民の好奇心の強さは、他の多くの民族と同様に旺盛である。彼らはヨーロッパ人が持ってきた物や所有している物ならなんでも、じっくりと熟視する。そしてあらゆる事柄について知りたがり、オランダ人に尋ねる。それはしばしば苦痛を覚えるほどである。
当地へやってきた商人のなかでは、とくに商館付き医師が唯一の博識者だと日本人は考えている。そこで出島の商館でもそうだったが、とくに幕府への途次や首府滞在時は、医師はいつも賢人であり、日本人はあらゆる事柄、とりわけ数学・地理学・物理学・薬学・動物学・植物学・医学について教えてもらうことができると信じている。
謁見では、我々は将軍の宮殿で老中や他の幕府高官に頭のてっぺんから足先まで熟視された。それは我々の帽子、剣、衣服、ボタン、飾り紐、時計、杖、指輪等々にまで及んだ。さらに我々の書式や文字を見せるために、彼らの面前で字をしたためざるを得なかった。
この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。
彼らの銅や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。
農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい。
節約は日本では最も尊重されることである。それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、変わらず愛すべき美徳なのである。節約というものは、貧しい者には自分の所有するわずかな物で満足を与え、富める者にはその富を度外れに派手に浪費させない。節約のおかげで、他の国々に見られる飢餓や物価暴騰と称する現象は見られず、またこんなにも人口の多い国でありながら、どこにも生活困窮者や乞食はほとんどいない。一般大衆は富に対して貪欲でも強欲でもなく、また常に大食いや大酒飲みに対して嫌悪を抱く。
清潔さは、彼らの身体や衣服、家、飲食物、容器等から一目瞭然である。彼らが風呂に入って身体を洗うのは、週一回などというものではなく、毎日熱い湯に入るのである。その湯はそれぞれの家に用意されており、また旅人のためにどの宿屋にも安い料金で用意されている。
日本人の親切なことと善良なる気質については、私はいろいろな例について驚きをもって見ることがしばしばあった。それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然だと思われる現在でさえも変わらない。
国民は大変に寛容でしかも善良である。やさしさや親切をもってすれば、国民を指導し動かすことができるが、脅迫や頑固さをもって彼らを動かすことはまったくできない。
正義は広く国中で遵守されている。君主が隣国に不正を働いたことはないし、古今の歴史において、君主が他国に対して野望や欲求を抱いた例は見いだせない。この国の歴史は、外国からの暴力や国内の反乱から自国を守った勇士の偉業に満ちている。しかし他国やその所有物を侵害したことについては、一度も書かれていない。日本人は他国を征服するという行動をおこしたことはないし、一方で自国が奪い取られるのを許したこともない。
彼らは常に祖先の慣習に従い、また現在も従っており、他民族の慣習を受け入れることはない。裁判所ではいつも正義が守られ、訴えは迅速にかつ策略なしに裁決される。有罪については、どこにも釈明の余地はないし、人物によって左右されることもない。また慈悲を願い出る者はいない。正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。
正直と忠実は、国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。強奪はまったくない。窃盗はごく稀に耳にするだけである。それでヨーロッパ人は幕府への旅の間も、まったく安心して自分が携帯している荷物にほとんど注意を払わない。だが、こうした一方で、少なくともオランダ商館に働く底辺の民衆は、桟橋からまたは桟橋への商品の荷揚げまたは荷積みのさいに、特に砂糖や銅をオランダ人からすくねることを罪とは思っていないのである。
この国民がいつの時代にも猜疑心が強かったとはまったく信じ難い。おそらくそれは、過去に人々の動揺や内乱によってもたらされたものであろう。しかしそれより大きいのがヨーロッパ人の欺瞞で、それが日本人にこの害をうえつけ、つのらせてきた。それは今では、少なくともオランダ人と中国人との貿易においては際限ないほどになっている。
迷信は他の国民に比して、この国民の間により広くより深く行き渡っている。それは彼らがほとんど学問を知らないことと、異教の神学や無知な僧侶らがこの国民に教え込んだ誤った原理によるものである。このような迷信は祭り、神事、神聖なる約束事、ある種の治療法、吉凶による日取りの決め方等々に見られる。・・・・・・
引用終わり
見た目は似ていても、違う傾向をもつアジア人とは同一視してほしくないですね。でも、多くの欧米人が、明確に違いをわかっているわけではないですね。残念ですが。
>>昔を学ぶことによって、また素晴らしい日本人に気付きます
日教組に嘘の暗黒史観を刷り込まれた人たちに、是非このような客観的評価を見て欲しいと思います。
反日や日教組の嘘をどんどん暴いてやりましょう。
milesta 様
当時以後も、日本は独自の文化圏という見方をする外国人が多いようですが、まだまだアジアで一くくりにされているのも残念です。特に例の近隣とは明確に区別されなければなりませんね。
>>この支那人と日本人をひっくるめてアジア人と思われる日本はとんだ災難ですね
これを思うにつけ、福沢諭吉の「脱亜論」が思いだされます。
かれも途中で隣国の民族性を見抜いてからは、あの国とは拘らないことが日本のためになると言ってくれました。
朝鮮はロシアの防波堤だけにして、それ以上のかかわりを持たず、その後もこれを守っていれば、戦争にもならなかったかも知れませんね。