昭和十三年八月から、支那事変の経緯と支那各地の産業、観光地等の知識を解説した内容を、現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されている幅広の手帳サイズの本です。
今回はその上巻の最後の方にある中野江漢の「支那の話」という部分から、支那について、昭和十三年(1938年)当時の人々の支那に対する見方が書かれているところを引用してみます。
対中外交交渉は、このような支那人の特質を熟知した専門家にやって欲しいものです。

引用開始
支那という国は、斯うした「天下思想」のもとに、四千年という永い間、他の国には見られぬ、世界無類の特異な政治が行われて来た。それは、天下は一人の天子[為政者]が支配するというのであるが、その天子なるものは定まっておらぬ。誰でも「天子」になることができる。実力があれば天下を征服し、徳政を施せば天下は統一されるのである。
そこで、支那では、英雄、豪傑を初めとして、盗賊、游侠、無頼漢に至るまで、志を有する者が、天下国家を争うた。そういうわけで、支那では「革命」が是認され、天下争奪のために戦争の絶えたことがなく、二十幾回も朝廷が代わっている。
そうして居る内に、いつとはなく、朝廷[為政者]と、人民とは分離して、全然別個のものになってしまった。支那の民衆は、朝廷の興亡には何等の関心を有たない。為政者は誰であってもよいのだ。種族からいっても、必ずしも漢人でなくてもよい。遼、金、元、清の如きは、漢民族が野蛮扱いにして来た夷狄であるが、これに対しても、反対もせねば、不満も言わぬ。
ただ民衆の求むるところは「安居楽業」である。世の中が平和で、自分の仕事を楽しみ、生活が安全であればよい。自分のことは自分で処理してゆけばよい。政府の保護を受けるなどということは毛頭考えて居らぬ。政府からは何もやって貰わなくともよい。どちらかといえば、なるだけ干渉して貰いたくないと望むのである。
そこで支那の為政者は、為政者として全民族の上に君臨しては居るが、他の国家のように、一から十まで国民の生活に干渉するようなことはしない。人民には、なるだけ手を触れぬようにする。自己の存続の外には何事も考えなくともよいことになっている。だが、自己を保持するためには費用が要る。人民は、その費用を負担すればよい。税金さえ納むればそれでよいのである。支那の為政者と人民とは、恰度(ちょうど)、家主と借家人というような関係と見て置けばよい。その借家[国]に住んで居るから、家賃[租税]を払うのは当然のことである。為政者は「家主」に当る。官吏は家主の代理をする。「差配」のようなものだ。
中央から地方に派遣された官吏は、いわば「収税請負人」の如きもので、政府から割当せられた税金を徴収すれば、それで任務は達せられるのである。(割当以上の収入があれば彼等の余得とる。)従って人民の安危などは殆ど眼中にない。人民のある者がどんな行為に出でようが、如何なる言論を弄しようが、自分の収納に関係のない範囲ならば、大概のことは抛って顧みない。
支那ではそういう風に、治者と被治者との関係が続けられて来たのである。だから、為政者が政治をしなくても、時には為政者が無くとも、人民は何らの痛痒を感じない。人民は人民だけで自ら治め、自ら生存して来たのである。
【自力で統一はできぬ】
支那に地方自治が発達したのは、そういう風に猫の目のように変わる政府などに頼って居られない結果は、恰度、子供の時から抛り放しに育った者と同じように、人民は是が非でも、自ら生存して行く道を講ぜなければならなくなったからである。
そうすると、支那の政治組織は、恰も中央集権的のようであるが、その実は地方分権的である。村落に於ては、その自治、教育、裁判の大部分、自衛団による警察事務、軍隊に代わる治安の維持を行っている。都市に於ては、商人の団体があって自衛の設備は勿論、仲間同志の裁判、規約の作製、度量衡の制定、教育、衛生等に至るまで、いずれも、その仕事の範囲は、外国で国家がやるべきことまで行って居る。
然らば、政府はどんなことをしているかというに、ただ外国関係のことと、租税の取立、鉄道、関税の管理、地方で解決のつかぬ司法事務の一部くらいをやって居るに過ぎない。
この人民にとっては、有っても無くてもよい為政者なるものが、シャボン玉のように、パッと出てはフッと消える。支那を指して「一盤散砂」という言葉があるが、支那という国は、恰も一つの盤の中に、砂を盛って居るようなもので、固まって居るように見えるが、その実はバラバラである。支那は、昔から統一力を欠いて居る。今まで国家として完全に統一された時代がないように、今後とても、恐らく自力で統一される時代は、永遠に来ないと思う。
嘗て「支那の若きめざめ」を期待し、それによって支那の統一を希望し、それを対支外交の方針とした時代もあったが、かかる文明流の新しき思想を以て支那を観ることの、到底失敗であったことは、その後、世界の各国が、知り過ぎる程経験させられた。
日本には、最近「新しき支那の礼賛者」が多かった。彼等は、蒋介石によって、支那は統一されたるが如くに伝え、支那は、近代文明の域に進みつつあるといって礼賛した。誤れるも亦甚しきことであった。国民政府は、どこにも支那の統一政府たるの実体もなければ、実力もなかった。国民政府が、国家としての統治力、支配力を、実力的に保障し得る区域は極めて狭い。而も、政府当局の不信、国軍と称する中央軍の実質は、今回の事変によって、天日の下に暴露された。
引用終わり
日本人はお上に頼りすぎるから失望の連続です。地方分権自立の方向へ向かったほうが賢明です。国家は外交・国策だけに専念すれば良し ですね(汗)。支那大陸が一つの為政者で成り立っていたと勘違いした日本の為政者も愚かというか無知だったんですね。≪水滸伝≫の愛読者はいなかったんでしょうか当時。『百八の湖があれば百八の賊あり、千の山があれば千の民あり』もじってみました。
わくわくしますね支那のはなしを論じると。これから遅いお昼ご飯を食べに行きます。後ほどまた。
あれ、ケイ様はまだ海外にお出かけのままでしたか?
今は江漢のような支那通がいないのでしょうかねー。
今の屈従から見ると、当時は適当にあしらっていたような感じですね。