2007年03月24日

世界の中の日本文化

ヨーロッパより高い文化

 1922年アメリカ生まれのドナルド・キーン著「果てしなく美しい日本」という本の中から、第二部の平成四年七月二十日、夏季講座富山会場における彼の講演「世界の中の日本文化」の部分を引用してみます。
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引用開始
 ポルトガル人の中には、相当優秀な人がいました。いちばんよく知られている人は、後で聖人にもなったザビエル(1506〜1552)です。彼はこう書いています。「日本人は我々によく似ている国民である。同じ程度の文化を有する国民である」と。
 「よく似ている」という言葉はとてもおもしろいと思います。私たちの常識ではヨーロッパ人が日本に着いた場合は人種が違うと思ったはずですが、私が読んだかぎり人種が違うということが、どこにも書いてありません。それらしい表現は全然ないんです。それどころかヨーロッパ人によく似ているというふうに書いてあります。

 もう一つ印象的な表現は「同じ程度の文化を持っている」と。それはヨーロッパ人として、あまり言いたくない表現です。つまり、ヨーロッパ人の文化の中心は宗教で、日本にキリスト教がなかったのに「同じ程度の文化がある」というのは、ヨーロッパ人として言えそうもない表現のはずなのです。
 しかし、実際に日本文化の水準は、ヨーロッパ文化の水準よりも高かったと思います。高かったけれども、大きな欠点が一つあった。その大きな欠点はキリスト教がなかったということです。それで、「文化の程度がヨーロッパより非常に高い」、「文化のかなめとしてのキリスト教がない」の二つを合わせると、ヨーロッパと同じ程度になるとザビエルは思ったんじゃないか。このように私は解釈したいと思います。

 ヨーロッパの文化よりも水準が高かったという証拠はほかにもあります。
 日常生活から考えてもそうです。当時、ヨーロッパでは王様でも手で食べていました。食堂にはナイフがあったのですが、フォークはありませんでした。ザビエルの時代は十六世紀ですが、十八世紀の始めごろもまだ同じことでした。
 ヨーロッパの王様の中で自分は神だ、太陽と同じような存在だと思い込んでいたフランスのルイ十四世(1638〜1715)は、手でさいて食べていました。彼の食堂にフォークはちゃんとありましたけれども、彼は手で食べるのが紳士のやり方だと思っていたのです。手でフランス料理を食べることはあまり気持のいいものではないと思います。また、王様が食べて食べかすをそこに捨てる。食堂の中には犬がいて、犬がその残り物を喜んで食べたんでしょうね。私たちの常識ではきわめて非衛生的です。

 ルイ十四世はベルサイユの宮殿を完成し、文芸を保護しました。ベルサイユの宮殿は建築として最高にすばらしいものです。今私たちはベルサイユ宮殿を見て「フランス人はよくもこんなすばらしいものを十七世紀に作れたものだ」と思います。しかし、あまりきれいではありませんでした。具体的な話は避けますけれども、きわめて非衛生的なところだったと思っています。
 それと比較してみますと、日本のほうは衛生的なだけでなくて、一般の生活水準が高かったと思います。「同じ程度の文化」というのはザビエルの言葉ですが、私たちからみるときっと日本のほうがより生活しやすかったはずです。

 神戸市立美術館におもしろい南蛮屏風があります。その左手には、ポルトガル人がどこか外国から船に乗るところが描かれています。船に乗っている間は実に汚い環境だったし、食べ物もひどいものだったし、ネズミやいろいろな虫がくっついていたはずですから、日本に着くとまったく地上の極楽に着いたと思ったに違いないと思います。ともかく屏風を見るとポルトガル人がどんなに喜んだかということがちゃんとわかるんですね。

 しかし、当時のポルトガル人は日本人の欲しいものを持っていました。それは、キリスト教ではありません。その一つが「たばこ」でした。おそらく輸入品の中でもいちばん愛されたものはたばこだったでしょう。たばこはもともとポルトガルのものではありませんでした。北米大陸の先住民が初めて吸ったものなのです。日本人がどんなにたばこを好んだかということは簡単に証明できます。外来語の中で平仮名で書かれるものに「たばこ」があります。他の外来語はほとんど全部カタカナになっています。それほど「たばこ」は、日本化されて日本の国籍をもった外来品でした。

 ヨーロッパ人が持ってきたもので、ぶどう酒も大いに日本人の気に入りました。いくら飲んでも酔わないという完全な嘘も書いたくらいでした。鎖国時代に入ってもぶどう酒が欲しかったために、長崎から注文して取り寄せた人もいました。ぶどう酒を造る方法がまだ知られていなかったからです。

 他にどういう輸入品があったかというと、ビードロ。今でいうガラス製品ですね。当時すでに日本にもガラスがあったはずですが、細かい細工の製品はありませんでした。その他インドネシア、インドなどのサラサや今でいう毛織物のラシャ、そういうものはポルトガル人が日本に持ってきて、日本人は喜んでそれを買ったわけです。

 日本人は、昔も今もそうですが、珍しいものを非常に喜んでいました。珍しいものを喜ぶことは必ずしも人間の本能ではないんです。外国のものを嫌うような国民もありますが、日本人は昔から珍しい動物、珍しい工芸品など、何でも欲しがっていました。
 かわりに日本人がポルトガル人に何を売ったかというと、まず陶磁器です。ポルトガル人は伊万里焼をたいへん喜び、大量に輸入しました。また、塗り物、漆器もそうです。漆器はヨーロッパに全然ありませんでしたから、日本の漆器に初め接触するポルトガル人が漆器に「ジャパン」、つまり日本という名前をつけたわけです。今そういう呼び方はないですけれども、十九世紀まで残っていました。ジャパンというのは、日本あるいは漆器のことだったんです。
 他に例えばもぐさ、あれはポルトガル人が初めて知って輸入したんです。刀はもちろんで、日本人はいつも刀を誇りに思って外国人に売りました。ともかく一種の貿易ができたのです。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:10| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本
この記事へのコメント
はじめまして・・・・・
拙ブログにコメントして下さり大変感謝致します。

私も、ほんの10年前までは、戦後教育に毒されていた1人でした。
しかし、8年ほど前に「南京大虐殺はなかった」というようなタイトルのサイトに出会ったことによって、今までの考え方を改めるに至りました。

貴ブログを拝読していると、本当に日本人、日本文化の素晴らしさをひしひしと感じますね。
ベルサイユ宮殿は、おトイレがなく、宮殿外の敷地内で勝手気ままに紳士、淑女たちが用を足していたという驚愕の歴史的事実を知ると・・・・・ルイ王朝時代の肖像画の優雅さは一体何なんだろうと考えさせられます。
日本の場合、江戸時代には下水が存在していたんですよね。凄いです。
リサイクル精神も豊かで、現代の日本人は見習うべきところは沢山あることも知ってます。
知れば知るほど私の祖国である日本が好きになっていく今日この頃です。
長文にて大変失礼しました。
また寄らせて頂きます。それでは・・・・・
Posted by お竜 at 2007年03月25日 15:23
お竜様
コメントさせて頂き失礼しました。
早速来て頂いて有難うございます。
当時の江戸は世界の大都市だったようで、日本に住み、日本人の目でだけ見ていると、その良さはわかり難いのでしょうね。
そういう意味もあって、できるだけ多く外国人の日本評を掲載していきたいと考えています。そこから日本の良さを多くの、特に日教組に騙されている若い日本人に知ってもらいたいと思っています。
Posted by 小楠 at 2007年03月25日 18:09
オーストラリアでは、イギリスからの入植者がやって来たときに、原住民は「高い文化程度」「キリスト教」の両方を持っていないと認識されて、子供達が親から無理矢理切り離されて施設に入れられ何年間にもわたって「文化的な生活」と「キリスト教」の教育が行われました。(今では、これは間違った政策だったと政府が認めていますが。)
日本でも「文化程度が低い」と判定されたら、同じようなことが行われていたかも知れません。この時代までに高い文化を築いてくださった先人たちに感謝しなくてはなりませんね。
Posted by milesta at 2007年03月25日 21:06
milesta 様
オーストラリアは悲劇でしたね、原住民はほとんど全部殺されたとか。
彼らの宣教師は侵略の先鋒でしたからね。
ただ日本は、彼らが来た時にも全国の統治体制が整っていたことで、侵略は無理と判断したのでしょう。
本当に古の日本人には感謝です。
Posted by 小楠 at 2007年03月26日 09:59
宗教が無いのに日本には優れた文化が有ったことを知ってさぞかし驚いたんでしょうね。特に日本刀と伊万里焼。欧州人の考えではキリスト教以外は全て邪教。政治・文化・学問など宇宙のことは全てキリストで始まってキリストで終わるくらいですから。
ザビエルはその優れた日本文化のルーツは支那だから支那へも行きたいということでインドから支那を目指して广東省にたどり着きましたが上陸を果たせず病死したそうです。あの汚い支那の空気を吸っただけでも亡くなりますよ。
ところでザビエルが立ち寄ったマラッカへ行って見て来ました教会跡を。以前とは変わってすっかり整備されていて観光地になっていました。
Posted by k at 2007年03月27日 11:52
ケイ様
列強はキリスト教を知らない民族を野蛮と決め付けていたようですね。
ところが日本は違っていた。逆に日本人の方が外人を野蛮人と見ていたのは当っていました。
>>マラッカへ行って見て来ました
先日のお留守はマラッカ方面へご旅行でしたか。あちらの方に入ったことがないので、又ブログでご紹介して下さい。

Posted by 小楠 at 2007年03月27日 16:13
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