英国人バジル・ホール・チェンバレンは、1850年生にまれ、1873年(明治六年)5月に来日、1905年(明治三十八年)まで三十年以上にわたり日本で教師として活躍しました。彼の著「日本事物誌1」から、
画像はモースの「百年前の日本」からです。

引用開始
清潔は、日本文明のなかで数少ない独創的なものの一つである。・・・
一般的に考察して、世界に冠たるこの日本人の清潔は、敬神と関係はない。日本人はきれい好きだから清潔なのである。彼らの熱い入浴は――というのは、彼らのほとんどすべてが華氏で約110度の非常に熱い湯に入る――冬は身体を温かくもしてくれる。生ぬるい湯は反作用として寒気を惹き起こすが、お湯がきわめて熱いときには、そういうことはなく、かえって風邪をひく心配もないのである。
東京の町には銭湯(公衆浴場)が1100以上あり、毎日五十万人が入湯するものと算定される。普通料金は大人が六銭、子どもが三銭、乳児は二銭である。さらに、立派な人の家には、それぞれ浴室がある。他の都市には(村にも)同様の設備がある。いつもとは限らないが、一般的に言って、男女を別々にわける仕切りがある。浴場設備や自宅の浴室がないときは、人びとはたらいを家の外に出す(行水)。ただし、現代法規を実施する責任を持つ警官が近所を巡回して来ないときに限る。西洋人はわざとらしく上品ぶるが、日本人はそれにもまして清潔を尊ぶのである。
ヨーロッパ人の中には日本人のやり方のあらを探そうとして、「日本人は風呂へ入ってから上ると、また汚い着物を着る」と言うものがいる。なるほど旧派の日本人には、毎日下着を替えるヨーロッパの完全なやり方などはない。しかし、下層階級の人でも、身体はいつも洗って、ごしごしこするから、彼らの着物は、外部は埃で汚れていようとも、内部がたいそう汚いということは、とても想像できないのである。日本の大衆は世界で最も清潔である。
日本人が風呂に入る習慣の魅力は、この国に居住する外国人のほとんどすべてがそれを採用しているという事実によって証明される。温浴のほうが冷水浴よりも健康的であるのは、気候のためでもあるらしい。冷水浴を続けると、リューマチにかかる者もあり、熱を出す人もあり、絶えず風邪を引いたり、咳がとまらなくなる人もある。そこで、外国人はほとんどすべてが廻り道をして、結局は日本式に到達するのである。日本式の温浴に外国が寄与したものがあるとするならば、その主たるものは、個人専用浴室を使うことになったことであろう。
日本の家庭では同じ風呂に全員が入る。男性は女性より身分が高いから、まず第一に男子が長幼貴賎の席順で入浴するのが普通である。それから後に婦人方が入浴し、それから幼い子どもである。最後に召使いが夜おそい時刻に風呂を楽しむ。ただし、外の銭湯にやらしてもらえなかった場合のことである。
入浴しようとする者は誰でも、まず第一に、浴槽の外側で、汲みだした湯を身体にかけて身体をきれいにする、ということを知っておかねばならない。
今日では石鹸もだいぶ使用されている。日本人の固有の洗剤は糠袋であった。これは一握りの糠を小さな布に入れて縫ったもので、これを使えば気持よく柔かい感触で身体を洗うことができる。かくして、各人は、すでにきれいにした身体を浴槽に入れ、充分に熱湯に浸る醍醐味を満喫するのである。
入浴に対する国民的情熱の結果は、この火山国に豊富に存在する温泉を、あらゆる階層の人びとが広く利用することになっている。時にはこの贅沢を、考えられないほど極度にまで享受する。 上州の伊香保から遠くない小さな温泉場の河原湯――このような温泉場は日本に多いが、場所はこの世の最果にあるのかと思うほど、四方は切り立つ山々に閉じ込められている――ここでは、湯治客は一月間も続けて湯の中に浸かる。ひざの上には石をのせて、眠っているときに身体が浮かないようにしている。
著者が数年前にそこを訪れたとき、この宿の主人は、八十歳の元気な老人で、冬中お湯の中に入っているのが常だった。なるほどこの場合には、湯は体温より一度か二度低かった。だからこそ、このような不思議な生活が可能となるのだ。また或る場合には、温泉で名高い或る村の住民は、忙しい夏の間は身体が汚れていてすみませんと、この著者に弁解した。「一日に二度しか風呂に入るひまがないものですから」。
「それじゃ、冬には何度入浴するのですか」。
「そうですね、一日に四度か五度です。子供たちは寒いと思うといつも風呂に入るんです」。
海水浴は昔あまりやらなかった。しかし1885年(明治十八年)ごろ、上流階級がヨーロッパの習慣を真似してやり始めた。中流および下層階級がそれにならったのは数年後のことで、今では海岸には海水浴場が散在し、衛生上の監督を受ける。
夏になると、団体として引率されてくる学校生徒の姿をいつも見かける。大磯、牛臥(沼津)、鎌倉、逗子は東京の紳士階級の好む海水浴場である。
引用終わり
日本人の清潔好きは、この頃に来日したほとんどの外国人が賞讃しています。当時はアジア経由の船旅が主であったので、途中の国、特に中国
の汚さ、不潔さそして民衆の狂暴さとよく比較されています。
>>男も女も香水をブンブン
それでなくとも体臭の強い人種が、風呂にもはいらなければたまりませんね。
このチェンバレンも、日本の道路の綺麗さにも驚いていたようで、各家の住人がそれぞれ家の前を掃き清めるからだと観察しています。
ヨーロッパでは、王室でも18世紀頃まで食事は手づかみだったらしいし。
日本に行ったオーストラリア人に、何が気に入ったかと聞くと、大抵「どこもかしこもクリーンなところ」と言います。成田空港で乗り換えただけでもそう思うみたいです。
パリでは糞尿は”オマル”で、窓からぶちまけていたのは有名な話ですね(笑)。再度失礼いたします。
>>今でもシャワーは週に一回
今でもそうなんですか、よく我慢できるものですね。
アメリカの空港のトイレなども大変汚いですしね。日本にはない風景です。
k 様
>>留学生の土産話
ほんと、日本ではこれは笑い話ですが、彼等は真面目に感心しているんでしょう。
>>綺麗過ぎると免疫がなくなり立派な軍人さんが育たない弊害もあります。
確かに、戦う前に病気に罹って・・
それも一つの戦術だったりしてね。
パリの糞尿ブチマケは本当だったのですね。以前に聞いたときは俄かには信じられませんでしたが。
いくら昔でも日本では考えられません。
川や土手にはゴミが浮き、山間部は大型ゴミの不法投棄だよ。
決して綺麗とは言えないよ。
シンガポールだっけかな?唾吐いたら罰金とか。
日本もそれくらい厳しく取り締まって欲しいな。
そう言うのを取り締まれば街も綺麗になり、綺麗になれば心も綺麗になる。
犯罪とかも減るでしょう
>>決して綺麗とは言えないよ。
確かに、公衆道徳面は退化傾向ですよね。信号待ちで、車の灰皿から吸殻を全部道路に捨てる人も見ますしね。
>>綺麗になれば心も綺麗になる。
いいですね、この考えは大賛成です。