2007年03月19日

日本事物誌

英国人バジル・ホール・チェンバレンは、1850年生にまれ、1873年(明治六年)5月に来日、1905年(明治三十八年)まで三十年以上にわたり日本で教師として活躍しました。その後1910年(明治四十三年)から1911にかけて一度だけ来日したのが最後となり、1935年(昭和十年)ジュネーヴで死去しています。今回ご紹介するチェンバレンの著「日本事物誌1」は、
 「私は日本のことについて、常によく質問を受ける。そこで、その返事を辞書の形にして――単語の辞書てはなくて事物の辞書という形にして――本書をまとめたのである」という如く、事物毎の目次構成となっています。が、引用にあたって、1905年の序論に興味深い記述がありますので、そこから始めたいと思います。
jibutsu1.jpgchamberlain.jpg

引用開始
 サー・エドウィン・アーノルドが東京に来たとき、官吏、ジャーナリスト、教授たちなど、事実上、最高級の現代日本人を代表する顕著な人々の晩餐会に招かれた。サー・エドウィンは、このもてなしに感謝して演説をした。その演説の中で、彼は日本を高く賞賛し(賞賛するのは当然だが)、地上では天国、或は極楽にもっとも近づいている国だと賞めた
 その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲であるが卑屈に堕することなく,精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである(これらは彼の言葉通りではなく、彼の一般的な趣旨を述べたものである)。

 ――さて、日本人はこのような讃辞の雨に対して、満足したと諸君は思うであろうか。少しも満足していないのである。晩餐会に出席した主要新聞の翌朝の論説は、サー・エドウィンの言葉が真実であることを認めながらも、その演説は賞讃を伝えるものではなくて、無慈悲な非難の言葉であることを指摘した。
 編集者はその中で叫んでいる。「なるほど、美術、景色、やさしい性質か! なぜサー・エドウィンは、巨大な産業企業、商業的能力、国富、政治的賢明さ、強力な軍備を賞めなかったのか。もちろん、彼は心の底からそのように言い切ることができなかったからである。彼はわれわれの本当の値打ちを評価したのである。要するに彼の言わんとすることは、われわれは単にかわいらしい柔弱者にすぎないということである」と。

 サー・エドウィン・アーノルドの時から、一度ならずも戦争をして勝ち、世界を驚かし、日本人自身をも驚かし、彼らは決して柔弱者ではなくて、きわめて元気のよい、実行力のある国民であることを証明した。また、彼の時代から、日本の日当りのよい町や、緑の谷間でさえも、工場の煙突の煙で暗くなってきた。

 日本の商船隊の旗は、世界いたるところの海上でも見られるようになった。
それにもかかわらず、上に述べられた気持が今もなお根強く残り、現状においては、それがまったく自然なようにわれわれには見えるのである。というのは、結局、日本の新しい構造の基礎がいつまでも堅固であり、日本の急速に増大する大望を満足させ、しかも、大蔵大臣が収支償うようにできるためには、日本はもっともっと自身を現代化することを続けなければならない。その上、古い日本がわれわれにとって驚異の世界であったと同じく、わがヨーロッパの世界は、思想、企業、巨大な科学的業績の点において、日本人にとって驚異の世界であった。

 しかし、次のような相違点がある。われわれにとって、古い日本は、妖精の住む小さくてかわいらしい不思議の国であった。欧米は、鉄道、電信、巨大な商業、巨大な陸海軍、化学と数学に基づく無限の応用技術をもち、日本人にとっては、抵抗し難き悪魔と魔法使の住む不思議の国であった。

 なるほど、日本人はわれわれの文学をあまり鑑賞することをしなかった。われわれがあまりにも詩や音楽や、宗教や哲学的思索を重要なものと考えているとし、われわれを変な人間だと思っている。われわれの物質的偉大さは、当然のことながら、彼らを完全に幻惑させた。わがキリスト教と人道主義をふりかざす人びとが、実は単なる偽善者に過ぎないことを――どの東洋諸国民も知っているので――彼らもまた充分によく知っている。・・・・・

 最近の例をとれば、アメリカがハワイを併合するために、公式に挙げた理由の中には、「米国民がこの国にキリスト教文明の種を植え付けることに献身的に参加するため」という言葉が大きく打ち出されていた。狼は、いかに道徳的な狼でも、羊の衣を着るときに、もっと純白な毛が欲しいなどと望めるものだろうか。

 若い日本は、われわれの文化の明白に有用な要素はすべて吸収してしまい、それを隣人たちに伝えたいと強く望んでいる。西洋と東洋の仲買人の役を勤めることが、日本の自らに課した使命である。日本の教訓と実例が、ヨーロッパが自ら手を下すよりも、さらに急速にヨーロッパ主義の感化を中国に浸み込ませることができるであろう。・・・・・ヨーロッパが極東に対して抱く幻想は実に幼稚である。・・・・・

 今なお中国人のみならず、日本人さえをも、アラビア人やペルシャ人と同じカテゴリーに入れているのである。それも、これらの人たちがすべて「東洋人」「アジア人」であるからという根拠に立つ。これがわれわれの造った言葉の魔力である。これがさらに一歩進んで、単なる言葉を土台にし、単なる考えを材料にして、空想的な建築物が建てられる。

 その一例として、最近もっとも流行した「黄禍」がある。われわれが西洋と呼ぶ土地に、新しい強国、新しく生まれ変わった古い国が誕生しても――例えば、記憶の新しいところではドイツやイタリア、古くは合衆国やロシア――このような場合に、だれも特別の脅威を見出さない。これはありふれた歴史の流れと見なされているからである。
 ところが、「アジア」という言葉が口から唱えられた途端に、むくむくと巨大な妖怪が現れ出るのである
 事実、われわれはまたもや、すでに述べたあの矛盾という不思議な檻の中に閉じ込められてしまう。というのは、同じ人間が、或るときは日本の進歩を激賞したかと思うと、今度は日本がやり過ぎをしないかと心配するのである。
引用終わり

 ここに、西洋人の彼らには、同じ事柄についても、西洋人に対する考えと、アジア人に対する考えが人種的な違いによって変えられるという事実を述べている点が納得です。
posted by 小楠 at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/3554738
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック