2007年03月10日

イザベラ・バード2

初めて見る外国人

 イザベラ・バードの「日本奥地紀行」では、彼女が訪れる村の人々にとっては彼女が初めて見る外国人でした。そのあたりの記述はたくさんありますが、その中から一つと、彼女の旅に同道した日本人たちに対する彼女の評価や日本人の子どもこと等を掲載してみます。
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引用開始
 外国人がほとんど訪れることもないこの地方では、町のはずれで初めて人に出会うと、その男は必ず町の中に駆け戻り、「外人が来た!」と大声で叫ぶ。すると間もなく、老人も若者も、着物を着た者も裸の者も、目の見えない人までも集まってくる。宿屋に着くと、群衆がものすごい勢いで集まってきたので、宿屋の亭主は、私を庭園の中の美しい部屋へ移してくれた。ところが、大人たちは家の屋根に登って庭園を見下ろし、子どもたちは端の柵にのぼってその重みで柵を倒し、その結果、みながどっと殺到してきた。・・・・・・

 私は、宿を出ると、千人も人々が集まっているのを見た。・・・・
これら日本の群集は静かで、おとなしく、決して押しあいへしあいをやらない。・・・・・
(次の宿を)朝早く起き、ようやくここを出発することができた。
 二千人をくだらぬ人々が集まっていた。私が馬に乗り鞍の横にかけてある箱から望遠鏡を取り出そうとしたときであった。群衆の大逃走が始まって、老人も若者も命がけで走り出し、子どもたちは慌てて逃げる大人たちに押し倒された。伊藤(通訳)が言うのには、私がピストルを取り出して彼らをびっくりさせようとしたと考えたからだという。そこで私は、その品物が実際にはどんなものであるかを彼に説明させた。優しくて悪意のないこれらの人たちに、少しでも迷惑をかけたら、心からすまないと思う。

 ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。
 群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。

 旅が終わると、心づけを欲しがってうろうろしていたり、仕事をほうり出して酒を飲んだり雑談をしたりすることもなく、彼らは直ちに馬から荷物を下ろし、駅馬係から伝票をもらって、家へ帰るのである。ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折り賃として何銭かをあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持がよい。・・・・

 私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。

 私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。

 私はいつも菓子を持っていて、それを子どもたちに与える。しかし彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいない。許しを得ると、彼らはにっこりして頭を深く下げ、自分で食べる前に、そこにいる他の子どもたちに菓子を手渡す。子どもたちは実におとなしい。しかし堅苦しすぎており、少しませている。

 子どもには特別の服装はない。これは奇妙な習慣であって、私は何度でも繰り返して述べたい。子どもは三歳になると着物と帯をつける。これは親たちも同じだが、不自由な服装である。この服装で子どもらしい遊びをしている姿は奇妙なものである。しかし私は、私たちが子どもの遊びといっているものを見たことがない。――いろんな衝動にかられてめちゃくちゃに暴れまわり、取っ組みあったり、殴りあったり、転げまわったり、跳びまわったり、蹴ったり、叫んだり、笑ったり、喧嘩をしたりするなど!

 頭のよい少年が二人いて、甲虫の背中に糸をつけて引き綱にし、紙の荷車をひっぱらせていた。八匹の甲虫が斜面の上を米の荷を引きながら運んで行く。英国であったら、われがちに掴みあう子どもたちの間にあって、このような荷物を運んでいる虫の運命がどうなるか、あなたにはよくお分りでしょう。日本では、たくさんの子どもたちは、じっと動かず興味深げに虫の働きを見つめている。「触らないでくれ!」などと嘆願する必要もない。

 たいていの家には竹籠があって、「鋭い音をたてるきりぎりす」を飼っている。子どもたちは、この大声を立てるきりぎりすに餌をやるのを楽しみにしている。

 街路にあって速く流れる水路は、多くのおもちゃの水車を回している。これがうまくつくられた機械のおもちゃを動かす。その中で脱穀機の模型がもっともふつうに見られる。少年たちはこれらの模型を工夫したり、じっと見ながら、大部分の時間を過ごす。それは実に心をひきつけるものがある。
 休暇になっているが、「休暇の宿題」が与えられている。晩になると、学課のおさらいをする声が、一時間も町中に聞こえてくる。休暇が終わって学校がまた始まると試験がある。学期の終わりに試験があるのではない。これは学生たちに休むことなく知識を増進させたいというまじめな願望を示す取り計らいである。
引用終わり
posted by 小楠 at 09:50| Comment(4) | TrackBack(2) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
明治の頃の子供達って本当に穏やかで、礼儀正しいのですね。それも庶民が。
オーストラリアに住んでいると、日本人はとても繊細だと感じるのですが、これを読んでその源がわかった気がします。普段の生活が穏やかで、小さなことを観察したり、感動したり、気や心が敏感になる環境に暮らしてきたのだなぁと思います。
Posted by milesta at 2007年03月10日 12:01
milesta 様
今時はごく身近にある自然と遊ぶようなところがなくなってしまったようで、自然というとアウトドアー用品とか、特別にお金をかけての遊びになったりしますね。
道端で遊んでいるような子供もめっきり見なくなってしまって。
その点オーストラリアではどうでしょうか。
Posted by 小楠 at 2007年03月10日 12:32
ここは田舎なので、自然の遊びは豊富ですね。我が家の小さな庭にはトカゲやきれいな色のカエルが住んでいますし、休みの日は海やブッシュ(林)に行けば、お金をかけずに楽しめます。
女の子でも、カニを掴まえたり、トカゲを触ったりできるのは、ここにいるからかもしれませんね。
Posted by milesta at 2007年03月10日 13:31
milesta 様
>>ここは田舎なので

いいですね、不便さえなければ田舎の自然が多いところが子供にはいいのではないですか。
全ての生き物に対する命の大切さが自然に身について、優しい心が育つと思います。
Posted by 小楠 at 2007年03月10日 17:55
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