皆様よくご存知の、英国婦人イザベラ・バードの「日本奥地紀行」の、1878年(明治十一年)六月十五日から始まる、「日光 金谷家にて」という部分があります。この日光金谷家は現在の日光金谷ホテルの前身で、現在のホテルの「歴史の紹介」ページにもイザベラ・バードが宿泊したことが載せられています。
では「日本奥地紀行」から金谷家に関する部分を少しご紹介します。
画像は当時の金谷家

引用開始
私が今滞在している家について、どう書いてよいものか私には分からない。これは、美しい日本の田園風景である。家の内も外も、人の目を楽しませてくれぬものは一つもない。宿屋の騒音で苦い目にあった後で、この静寂の中に、音楽的な水の音、鳥の鳴き声を聞くことは、ほんとうに心をすがすがしくさせる。家は簡素ながらも一風変わった二階建てで、石垣を巡らした段庭上に建っており、人は石段を上って来るのである。庭園はよく設計されており、牡丹、あやめ、つつじが今花盛りで、庭はとてもあざやかな色をしていた。・・・・
金谷さんの妹は、たいそうやさしくて、上品な感じの女性である。彼女は玄関で私を迎え、私の靴をとってくれた。二つの縁側はよく磨かれている。玄関も、私の部屋に通ずる階段も同じである。畳はあまりにきめが細かく白いので、靴下をはいていても、その上を歩くのが心配なくらいである。磨かれた階段を上ると、光沢のあるきれいな広い縁側に出る。ここから美しい眺めが見られる。・・・・・
金谷さんは神社での不協和音(雅楽)演奏の指揮者である。しかし彼のやる仕事はほとんどないので、自分の家と庭園を絶えず美しくするのが主な仕事となっている。彼の母は尊敬すべき老婦人で、彼の妹は、私が今までに会った日本の婦人のうちで二番目に最もやさしくて上品な人であるが、兄と一緒に住んでいる。
彼女が家の中を歩きまわる姿は、妖精のように軽快優雅であり、彼女の声は音楽のような調べがある。下男と、彼女の男の子と女の子を入れて一家全員となる。金谷さんは村の重要人物で、たいへん知性的な人である。・・・・・
近ごろ彼は、収入を補うために、これらの美しい部屋を紹介状持参の外国人に貸している。彼は外国人の好みに応じたいとは思うが、趣味が良いから、自分の美しい家をヨーロッパ風に変えようとはしない。・・・・
個人の家に住んで、日本の中流階級の家庭生活の少なくとも外面を見ることは、きわめて興味深いことである。
日光 入町 六月二十三日
当地における私の静かで単調な生活も、終わりになろうとしている。人々はたいそう静かで優しい。ほとんど動きがなさすぎるほどである。私は村の生活の外面を少しばかり知ることができるようになった。私はこの土地が全く好きになった。
入町村は、今の私にとっては日本の村の生活を要約しているのだが、約三百戸から成り、三つの道路に沿って家が建てられている。道路には、四段や三段の階段がところどころに設けてある。その各々の真中の下に、速い流れが石の水路を通って走っている。これが子どもたち、特に男の子たちに限りない楽しみを与えている。
彼らは多くの巧妙な模型や機械玩具を案出して、水車でそれらを走らせる。しかし午前七時に太鼓が鳴って子どもたちを学校に呼び出す。学校の建物は、故国(英国)の教育委員会を辱めないほどのものである。これは、洋式化していると私には思われた。子どもたちは日本式に坐らないで、机の前の高い腰掛に腰を下ろしているので、とても居心地が悪そうであった。学校の器具はたいそうよい。壁には、りっぱな地図がかけてある。・・・・
金谷さんはこの村の村長で、神社音楽であるキーキーという不協和音を演奏する指揮者でもある。彼はまた、どこか人の分からない裏の場所で薬を調合し、それを売っている。私がここへ来てからは、庭園をきれいにするのが彼の主な仕事である。彼は、堂々たる滝を作り、流れる川を作り、小さな池や、竹で丸木橋をこしらえたり、草の堤をいくつか作り、大きな木を何本か移植した。彼は親切にも私と一緒によく出かけてくれる。・・・・
ある晩、私は家族の仲間に入るように誘われた。彼らは私に絵本や案内書を見せて楽しませてくれた。日本ではたいていの地方に案内書がある。名所の木版挿絵があり、旅程や宿屋の名前、その地方についての知識などがのっている。ある絵本は縮緬でりっぱに作られてあり一世紀以上も古いものであった。
古い蒔絵や磁器、古風な錦織などを、私のために出して見せてくれた。非常に美しい楽器も見たが、二世紀以上も昔のものだという。これらの宝物は、家の中に置いてあるのではなく、すぐ傍らの蔵という防火倉庫にしまっておくのである。
部屋をごたごたと装飾品で飾るということはなく、一枚の掛物、りっぱな漆器や陶磁器が数日出ていたかと思うと、こんどは別の品物がとって代る。だから簡素さはもちろんのこと、変化に富む。他に気を散らすことなく、美術品を代わるがわる楽しむことができるのである。
金谷さんとその妹は、しばしば晩に私を訪れる。そこで私は、ブラントンの地図を床の上にひろげて、新潟へ向う驚くべき道筋を計画する。しかし、途中に山脈があって通り越す道がないことが分かると、急に計画を断念するのが常である。これらの人々はきわめて安楽に暮らしているように思われるのだが、金谷さんは、お金がないと言って嘆く。彼は金持ちになって外人用のホテルを建設したいと思っている。
彼の家で宗教の片鱗を示すものは、ただ神棚(仏壇?)である。神棚には、神社のお宮に似たものが立っており、亡くなった身内のものの位牌が入っている。毎朝その前に常緑樹の小枝と御飯と酒が置かれ、夕方になると、その前に灯火がともされる。
引用終わり
ホテル建設は立派に成就されましたね。ここに書かれているようなことを思い浮かべながら日光金谷ホテルに宿泊してみるのも、また違った趣が感じられるのではないでしょうか。