今回ご紹介しているのは、1889年(明治二十二年)四月に来日した駐日英国全権公使ヒュー・フレイザー夫人、メアリー・クロフォード・フレイザーの著「英国公使夫人の見た明治日本」という本です。
彼女の日本に対する気持は「回想録」のなかで、「私のふたつのほんとうの故郷、日本とイタリアでは、美がしっかりと生きています。それは、たんにあなたが目にするひとつのみごとな景色のことではなく、風景にふれることと啓示を受けることが一体になりうるということです。自然は或る瞬間に何かを語りかけます。それはあなただけにたいしてであり、和音が言葉に置きかえられないように、翻訳できないものです。しかし、それは明晰で、ごまかしようもなく、神々しいものなのです・・・」という言葉に表れているでしょう。では、書簡風のこの本から。

引用開始
1889年6月・中国観や皇后陛下の慈善事業
東京で出されている新聞のひとつに、「日々新聞」というのがありますが、最近、日本と中国の相互関係について、きわめて公正な評論を発表しております。
私がそれに興味を持ちますのは、私たちがこちらへくる前に、ずいぶん長く中国にいたからです。
船でただの五日の隔りでしかありませんが、中国はこれまでのところ、現代の日本についてはっきりした考えを持っているとは、けっして申せません。中国は、自分より年若いこの国民にたいして、一定の威張った気持を捨て去ることができないのです。たしかに日本は、かつて中国の熱心な生徒ではありました。しかし何度も主張されていますように、けっして中国に貢ぎ物を運ぶ国ではなかったのです。
「日々」の記者は、中国問題を扱う際に慎重さがなによりも必要であると力説します。というのは、中国はなかば嫉妬から、またなかば日本への軽蔑から、いつでも喧嘩の種を拾いあげる態勢にあり、これは双方にとり、きわめて不都合なことになりかねない、と言うのです。
他方、日本は中国と闘っていまだ負かされたことがないという誇らしい自意識と、隣国が日本をゆえなく軽蔑しているに違いないという不快な確信とを合体させているとものべています。喧嘩はさし迫っているように思われますが、記者は賢明にも、同胞にたいして、それが双方になんの益ももたらさないこと、
そして西洋列強に、調和を回復させるという名目で、領地を奪い影響力をのばす機会をあたえるだけだということを想起させています。中国人は、現代の日本人とは、ほとんどなにも共通のものを持たないように思われます。そして、そして、私たちが「天上国」の外交官たちに公式の晩餐会で会いますと、彼らは休戦旗を掲げて敵中に暮らす人々といった風情で、しかも、そのような事態をけっして喜んではいない、という印象をあたえます。・・・・・・・
私はこの前の手紙で皇后陛下が慈善事業にたいへん興味を持っておられることを話しました。ご自身の創設になる施設、東京慈恵会病院のために自ら特別の援助をされた方法について、少し胸を打つ、ささやかな説明が公表されました。
この病院の活動は、その施設よりも大きくなりすぎ、新しい建物が絶対に必要となっていました。そこで皇后は、寄付をお考えになるにあたり、ご自身の個人的支出――それは慈善活動のために、つねにかなり苦しいものでしたが――をできるかぎり切りつめることから始められました。その結果、8446ドル(円)と8厘という相当な額を、病院に贈られたのです。10厘が1銭、100銭で1ドル(円)で、それはだいたい2シリングにひとしいのです。ですから、どんなにすばらしいご自覚のもとに倹約を実行されたかがおわかりでしょう。
皇后付きの女官のひとりからうかがったのですが、陛下は昨年、「手袋片方も、ハンカチーフ一枚も」ほとんどお求めにならず、ほしい助けも受けられない病気の人々のことを考えられるだけで、深く胸を痛めておられたとのことです。皇后はあちこちの病院を何度も訪ねられ、そのつど、どの病棟のどのベッドのかたわらにもたたずまれ、患者にやさしいお言葉をかけられるのです。このご行程は、だいたい朝九時に始まり、一時まで続けられ、軽い昼食をとられた後、再び病棟にもどられて五時ごろまで続けられ、そのころにはさすがの皇后もお疲れになったことを自ら認められ、お供の女官たちも「私たちの足がどこにあるのかわかりませぬ」と申すことになります。
皇后陛下は、病院にたいしてと同様に、女子教育についても多くのことをしてこられました。そして、英国とアメリカの夫人たちがかなりの教科を担当している華族女学校は、皇后によって創立されたのです。
日本の少女たちは高等教育がたちまち好きになり、学位免状を得ようと熱心に勉学しています。この進歩がもたらした興味深い帰結のひとつは、「道徳矯正会」とかいう日本女性の集まりで、その大部分はキリスト教徒です。
彼女たちは集会を開き、著名な男性を招いてその講演を聞き、そして目下、結婚に関する法律の改正をもとめて政府に請願しようと準備しています。その言い分とは、夫の不貞も妻の場合におけると同様きびしく罰せられるべきであるというもので、この国の現行法では、妻の不貞に対する刑のみきわめて重いのです。なお、日本では、減少しているとはいえ、まだ習慣として存在し合法的でもある畜妾ということについて、彼女たちがどのように対処しようとしているのかは発表されておりません。
この習慣にたいして、キリスト教徒でない妻はほとんど怒らないのです。というのは、妾の身分がいかなるかたちであれ、妻の権利や威厳を妨げることは許されていないからです。しかしキリスト教徒の女性には、もちろんこの問題への別の見方があります。
ただ私は、これらの課題について、私の日本の姉妹たちにひとこと申し上げたいのです。それは、男性のモラルもあるていど引き締められ、女性関係も法によって規制されるべきだともとめたのは日本の女性だけではないということです。
そして、その要求にたいして、可能な解答は、東洋の女性から出されるのであれ、西洋の女性からであれ、ただひとつなのです。それはつぎのことです。貞潔な生活を強制しうる法律があるとすれば、神の手になるもの以外にありません。でも、あなたの夫の心の最良の警察官は、あなた自身なのです。もしあなたが、彼にあなたを、あなただけを愛するようにさせるやさしさや機知を持ちあわせていないのでしたら、いくら判事さんたちに助けをもとめても、むだというものです。
引用終わり
この最後の部分は女性に対してだけでなく、男性に対しても同様のことが言えるでしょう。
文脈から当時の日本には文化・文明人がたくさんいたということも判ります(支那大陸には殆どいなかった模様であることも判ります)。何ゆえ現代の日本には消えてしまったんでしょうか? やはり戦後の教育でしょうか。誤って民主主義なんかを人民に吹き込んだもんだから”差別”も”区別”も一緒くたにしてしまったバチですね。節度のある社会は区別は必要ですよね。明治天皇皇太后さまを知る機会を作っていただきありがとうございます。一世紀も前なのに日本は欧米よりも文明国だったことが判りました。当時の日欧男女の権利主張の差異も判りました。男だけが権利を主張するのはいけませんが、女も適度の権利のほうが良い場合も有りますよね。Women's Libが盛んだったころ「雌鳥歌えば国亡ぶ」とも揶揄されましたから(笑)。
『昭憲皇太后』。おじゃまします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E6%86%B2%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%90%8E
>>やはり戦後の教育でしょうか
GHQはアメリカの中でも共産思考の連中の天国だったのでしょう。
それに阿ねた敗戦利得者のバカ学者たちが大学の主流になってもてはやされたことが悔やまれます。
未だに残り滓が大学に居座っていますが。
昭憲皇太后のご紹介有難うございます。