モース著の「日本その日その日2」から、モースの観察した1877年の日本の一部をご紹介しています。今回もまた日本の子供たち、学生たちのことが書かれています。モースのご紹介はこれで最終にします。
スケッチは当時の人力車

引用開始
昨日の午後、実験室を出た私は、迷子になろうと決心して、家とは反対の方へ歩き出した。
果して、私は即座に迷子になり、二時間半というものは、誰も知った人のいない長い町々や狭い露路をぬけて、いろいろな不思議な光景や新奇な物を見ながら、さまよい歩いた。
晩の五時頃になると、人々はみな自分の店や家の前を掃き清めるらしく、掃く前に水をまく者も多かったが、これは若し実行すれば、我国のある町や都会を大いに進歩させることになる、いい思いつき、且つ風習である。
帰途、お寺へ通じる町の一つに、子供の市が立っていた。並木路の両側には、各種の仮小屋が立ち並び、そこで売っている品は必ず子供の玩具であった。
仮小屋の番をしているのは老人の男女で、売品の値段は一セントの十分の一から一セントまでであった。子供たちはこの上もなく幸福そうに、仮小屋から仮小屋へ飛び廻り、美しい品々見ては、彼等の持つ僅かなお小遣いを何に使おうかと、決めていた。
一人の老人が箱に似たストーブを持っていたが、その上の表面は石で、その下には炭火がある。横手には米の粉、鶏卵、砂糖――つまりバタア(麺粉、鶏卵、食塩等に牛乳を加えてかきまわしたもの)――の混合物を入れた大きな壷が置いてあった。老人はこれをコップに入れて子供達に売り、小さなブリキの匙を貸す。子供達はそれを少しずつストーブの上にひろげて料理し、出来上がると掻き取って自分が食べたり、小さな友人達にやったり、背中にくっついている赤坊に食わせたりする。
台所に入り込んで、しょうがパンかお菓子をつくった後の容器から、ナイフで生麺の幾滴かをすくい出し、それを熱いストーヴの上に押しつけて、小さなお菓子をつくることの愉快さを思い出す人は、これ等の日本人の子供のよろこびようを心から理解することが出来るであろう。・・・・
老人の仮小屋は移動式なので、彼は巨大な傘をたたみ、その他の品々をきっちり仕舞い込んで、別の場所へ行くことが出来る。これは我国の都市の子供が大勢いる所へ持って来てもよい。これに思いついて、貧乏な老人の男女がやってもよい。
別の小屋では子供達が穴から何らかの絵をのぞき込み、一人の老人がそれ等の絵の説明をしていた。ここでまた私は、日本が子供の天国であることを、くりかえさざるを得ない。
世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。彼らは朝早く学校へ行くか、家庭にいて両親を、その家の家内的の仕事で手伝うか、父親と一緒に職業をしたり、店番をしたりする。彼等は満足して幸福そうに働き、私は今迄に、すねている子や、身体的の刑罰は見たことがない。
彼らの家は簡単で、引張るとちぎれるような物も、けつまずくと転ぶような家具もなく、またしょっ中ここへ来てはいけないとか、これに触るなとか、着物に気をつけるんだよとか、やかましく言われることもない。
小さな子供を一人家へ置いて行くようなことは決して無い。彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見物する。日本人は確かに児童問題を解決している。日本の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。・・・・・
私は松浦から、日本の学生達は一緒になると、乱暴な口を利き合ったり、隠語を使ったりするのだという事実を引き出し、更に私は、彼等が米国の学生と同様、外国人の教授達に綽名(あだな)をつけていることを発見した。一番年をとった教授は「老人」、四角い頭を持っている人は「立方体」、頭が禿げて、赤味がかった、羊の肋肉に似た頬髭のある英国人の教授は「烏賊」である。
松浦は、両親達が大学へ通う子供達の態度が無作法になることに気がつき、彼等自身も仲間同志で、何故こう行為が変化するのか、よく議論したといった。・・・・・私は更に松浦に向かって、少年は本来野蛮人なのだが、家庭にいれば母親や姉に叱られる、然るに学校へ入ると、かかる制御から逃れると同時に、復誦へ急いだり、ゴチャゴチャかたまったりするので、いい行儀の角々がすりへらされるのだと話した。
日本の学生及び学生生活に就いては、大きな本を書くことが出来る。ヘージング(新入生をいじめること)は断じて行わぬ。先生に対する深い尊敬は、我国の大学の教授が、例えば黒板に油を塗るとか、白墨を盗むとか、あるいはそれに類したけちな悪さによって蒙る、詰まらぬ面倒から教授を保護する。
我国で屡々記録されるこの非文明で兇猛な行動の例証には、プリンストン大学の礼拝堂から聖書と賛美歌の本を盗み出し、ハーヴァードのアップルトン礼拝堂の十字架に、一人の教授の人形を磔にしたりしたような、我国の大学生の不敬極まる行動や、仲間の学生をヘージングで不具にしたり、苦しめたり、死に至らしめたりさえしたことがある。
日本の男の子は、我国の普通の男の子達の間へ連れて来れば、誰でもみな「女々しい」と呼ばれるであろう。我国では男の子の乱暴な行為は、「男の子は男の子」という言葉で大目に見られる。日本では、この言葉は、「男の子は紳士」であってもよい。 日本の生活で最も深い印象を米国人に与えるものは、学校児童の行動である。彼等が先生を尊敬する念の深いことは、この島帝国中どこへ行っても変わりはない。
メイン、及び恐らく他の州の田舎の学校で、男の子たちが如何に乱暴であるかは、先生が彼等を支配する為に、文字通り、彼の道を闘って開拓しなければならぬという記録を、思い出すだけで充分である。
ある学校区域は、職業拳闘家たる資格を持つ先生が見つからぬ以上、先生なしである。日本に於ける先生の高い位置を以てし、また教育に対する尊敬を以てする時、サンフランシスコ事件――日本人学童が公立中小学校から追放された――程、残酷な打撃をこの国民に与えたことはない。ここにつけ加えるが、日本人はこの甚深な侮辱を決して忘れはしないが、このようなことを許した政治団体の堕落を理解して、そのままにしている。
引用終わり
>仲間の学生をヘージングで不具にしたり、苦しめたり、死に至らしめたりさえしたことがある。
ということは考えられなかったのでしょう。それが今では・・・。
ところで教えていただいた「大工」は名前だったのですね。大工から家老になって財政改革を成し遂げた希有な人なのだと思いこんでいました。(笑)
ご教示ありがとうございます。
>>大工から家老になって財政改革
丁度職人の記事のところに書き込んでしまったので、ややっこしくしてしまいました。申し訳ありません。
恩田木工の改革の骨子は、「嘘をつかない」「正直」の実行でした。
それだけで、見事に藩政が改善されてしまうということの教訓になりました。
しかし「嘘をつかない」と「正直」で藩政改善とは、興味深いです。
私もうっかり大工と書いてしまったので慌てて書き直した次第です。
薄い文庫ですが、この本も結構面白いですよ。