2007年02月28日

モースの日本観察4

世界無二の日本の意匠

モース著の「日本その日その日1」から、モースの観察した1877年の日本の一部をご紹介しています。ここでは東京の加賀屋敷に住みだしたころのもので、博覧会見学で見た日本の芸術と自然を見る目に感心しています。
スケッチは博覧会場の展示品のひとつ
geijutsu.jpg

引用開始
 昨日私は人力車夫を月極で雇ったが、非常に便利である。彼は午前七時半にやって来て、一日中勤める。私が最初に彼の車に乗って行ったのは、上野の公園で開かれたばかりの産業博覧会で、私の住んで居る加賀屋敷からここまで一マイルばかりある。・・・・・
 入場料は日曜日は十五セントで平日は七セントである。入口は堂々たる古い門の下にあり、フィラデルフィアの百年記念博覧会の時みたいに廻り木戸があった。・・・・
 内には倭生の松、桜、梅、あらゆる花、それから日本の植木屋の面食らう程の「嬌態と魅惑」との最も驚嘆すべき陳列があった。松の木は奇怪極る形につくられる。・・・・

 何百人という人々を見ていた私は、百年記念博覧会(フィラデルフィアの)を思い浮かべた。そこには青二才が多数いて、生姜パンと南京豆とをムシャムシャやり、大きな声で喋ったり、笑ったり、人にぶつかったり、色々な悪さをしていた。
 ここでは、只一つの除外例もなく、人はみな自然的に且つ愛らしく丁寧であり、万一誤ってぶつかることがあると、低くお辞儀をして礼儀正しく「ゴメンナサイ」といって謝意を表す。

 虫の蝕った材木、即ち明らかに水中にあって時代のために黒くなった板を利用する芸術的な方法に就いては、すでに述べる所があった。この材料で造った大きな花箱に、こんがらかった松が植えてあった。腐った株の一片に真珠の蜻蛉や小さな青銅の蟻や、銀線でつくった蜘蛛の巣をつけた花生けもある。
 思いがけぬ意匠と材料とを使用した点は、世界無二である。長さ二フィートばかりの額に入っていた黒ずんだ杉板の表面には、木理をこすって目立たせた上に、竹の一部分と飛ぶ雀があった。竹は黄色い漆で、小さな鳥は一種の金属で出来ていた。別の古い杉板の一隅には竹の吊り花生けがあり、金属製に相違ない葡萄の蔓が一本出ていた。蔓は銀線、葉と果実とは、多分漆なのだろうが、銅、銀等に似せた浮ぼりであった。意匠の優雅、仕上げ、純潔は言語に絶している。
 
 日本人のこれ等及び他の繊美な作品は、彼等が自然に大いなる愛情を持つことと、彼等が装飾芸術において、かかる簡単な主題を具現化する力とを示しているので、これ等を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる。
 彼等は誰も夢にだに見ぬような意匠を思いつき、そしてそれを信用し難い程の力と自然味とで製作する。彼等は最も簡単な事柄を選んで、最も驚く可き風変わりな模様を創造する。彼等の絵画的、又は装飾的芸術に於いて、驚嘆すべき特徴は、彼等が装飾の主題として松、竹、その他の最もありふれた物象を使用するその方法である。
 何世紀にわたって、芸術家はこれ等から霊感を得て来た。そしてこれ等の散文的な主題から、絵画のみならず、金属、木材、象牙で無際限の変化――物象を真実に描写したものから、最も架空的な、そして伝統的なものに至るまでのすべて――が、喧伝されている。

スケッチは産業博覧会会場
hakuran.jpg

 この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷――自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである。東京市住所姓名録の緒言的各章の中には、自然のいろいろに変わる形況を、最もよく見ることのできる場所への案内があるが、この事実は、自然をこのように熱心に愛することを如実に示したものである。

 播磨の国の海にそった街道を人力車で行きつつあった時、我々はどこかの神社へ向かう巡礼の一群に追いついた。非常に暑い日だったが、太平洋から吹く風が空気をなごやかにし、海岸に大きな波を打ちつけていた。
 前を行く三、四十人の群衆は、街道全体をふさぎ、喋ったり歌ったりしていた。我々は別に急ぎもしないので、後ろからブラブラついて行った。と、突然海から、大きな鷲が力強く翼を打ちふって、路の真上の樫の木の低い枝にとまった。羽を乱したままで、鷲はやかましい群衆が近づいて来るのを、すこしも恐れぬらしく、その枝で休息するべく落着いた。

 西洋人だったらどんなに鉄砲をほしがったであろう! 巡礼達が大急ぎで巻いた紙と筆とを取り出し、あちらこちらから手早く鷲を写生した有様は、見ても気持がよかった。かかる巡礼の群には各種の商売人や職人がいるのだから、これ等の写生図は後になって、漆器や扇を飾ったり、ネツケを刻んだり、青銅の鷲をつくったりするのに利用されるのであろう。
 しばらくすると群衆は動き始め、我々もそれに従ったが、鷲は我々が見えなくなる迄、枝にとまっていた。

 維新からまだ僅かな年数しか経っていないので、博覧会を見て歩いた私は、日本人がつい先頃まで輸入していた品物を製造しつつある進歩に驚いた。一つの建物には測量用品、大きなラッパ、外国の衣服、美しい礼服、長靴や短靴、鞄、椅子その他すべての家具、石鹸、帽子、鳥打帽子、マッチ、及び多数ではないが、ある種の機械が陳列してあった。
 
 海軍兵学校の出品は啓示だった。大きなケーブル、ロープ、滑車、船の索具全部、それから特に長さ十四フィートで、どこからどこまで完全な軍艦の模型と、浮きドックの模型とが出ていた。写真も沢山あって、皆美術的だった。日本水路測量部は、我国の沿岸及び測量部にならった、沿岸の美しく印刷した地図を出していた。・・・・
 学校用品は実験所で使用する道具をすべて含んでいるように見えた。即ち時計、電信機、望遠鏡、顕微鏡、哲学的機械装置、電気機械、空気ポンプ等、いずれもこの驚くべき国民がつくったものである。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
>日本人がつい先頃まで輸入していた品物を製造しつつある進歩に驚いた。

これは今でもそういう傾向にありますね。そして手本よりも、使いやすいものを作り出してしまったりしますよね。要するに工夫好きなんですね。こちらにきて「英語に工夫って言葉はないの?」と思ってしまうことが度々あります。
Posted by milesta at 2007年03月01日 09:00
milesta 様
>>英語に工夫って言葉はないの?

どうも日本語のニュアンスを考えて英語でと思っても、言葉がないですよね。
日本のように言葉の選び方でちょっとした違いを表現できるところから、色んな工夫をする能力にも影響しているのではないでしょうか。
Posted by 小楠 at 2007年03月01日 09:39
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