2007年02月27日

モースの日本観察3

江ノ島実験所と周囲に見る日本人

 モース著の「日本その日その日1」から、モースの観察した1877年の日本の一部をご紹介しています。今回は彼の実験所と東京帝国大学への招聘、江ノ島実験所での日本人観察の様子です。
スケッチは江ノ島実験所
experience.jpg

引用開始
 私は日本の近海に多くの「種」がいる腕足類と称する動物の一群を研究するために、曳網や顕微鏡を持って日本へ来たのであった。・・・・
 日本には三、四十の「種」が知られている。私は横浜の南十八マイルの江ノ島に実験所を設けた。ここは漁村で同時に遊楽の地である。私がそこに行って僅か数日経った時、若い日本人が一人尋ねて来て、東京の帝国大学の学生のために講義をしてくれと招聘した。
 日本語がまるでしゃべれぬことを述べると、彼は大学の学生は全部入学する前に英語を了解し、かつ話さねばならぬことになっていると答えた。

 私が彼を見覚えていないことに気がついて、彼は私に、かつてミシガン大学の公開講義で私が講演したことを語った。そしてその夜私はドクタア・バーマアの家で過ごしたのであるが、その時同家に止宿していた日本人を覚えていないかという。そのことを思い出すと、成る程この日本人がいた。彼は今や政治経済学の教授なのである。
 彼は私がミシガン大学でやったのと同じ講義を黒板で説明してやってくれと希望した。

 (割ったスカートと言った方が適している)衣服のヒラヒラするのを身に着けた学生が一杯いる大きな講堂は、ズボンと婦人の下ばきとの合の子みたいなハカマを、スカートのようにはき私にとっては新奇な経験であった。私はまるで、女の子の一学級を前にして講義しているような気がした。この講義の結果、私は帝国大学の動物学教授職を二年間受持つべく招聘された。・・・・・

 江ノ島は有名な遊覧地なので、店には土地の材料でつくった土産物や子供の玩具が沢山ある。海胆(ウニ)の二つで作った簡単な独楽がある。小香甲の殻を共鳴器とし、芦笛をつけたラッパ(笛というか)もある。この独楽は長い間廻り、ラッパは長い高い声を立てた。これらは丈夫で手綺麗に作ってある。而も買うとなると私の持っていた最少額の貨幣は日本の一セントだったがおつりを貰うのが面倒なので三つ買った。
 小さな箱の貝細工、上からつるした輪にとまった貝の鳥、その他の上品な貝細工のいろいろを見た私は、我国で見受ける鼻持ならぬ貝細工――ピラミッド、記念碑、心臓形の品、パテをごてごてくっつけた、まるで趣味の無い、水腫にかかったような箱――を思い出さずにはいられなかった。・・・・

 人々はみな親切でニコニコしているが、これが十年前だったら私は襲撃されていたかも知れぬのである。上衣を脱いでいたので、例の通り人の注意を引いた。茶を飲むために止まると必ず集って来て、私の肩の上にある不思議な紐帯(ズボン吊り)にさわって見たり、検査したりする。
 日本の女は、彼等の布地が木綿か麻か絹で、織り方も単純なので非常に我々の着ている毛織物に興味を持つ。彼等は上衣の袖を撫で、批判的に検査し、それが如何にして出来ているかに就いて奇妙な叫び声で感心の念を発表し、最後に判らないので失望して引き上げる。・・・・・

 先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を過ぎて行く石を見ただけで、恐怖の念は示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬はただ不思議そうに石を見るだけで平気な顔をしていた。その後往来で別の犬に出くわしたので、わざわざしゃがんで石を拾い、犬めがけて投げたが、逃げもせず私に向かって牙をむき出しもせず、単に横を飛んで行く石を見つめるだけであった。

 私は子供の時から、犬というものは、人間が石を拾う動作をしただけでも後ずさりをするか逃げ出しかするということを見て来た。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである。よろこぶ可きことには、我国の人々も、私が子供だった時に比較すると、この点非常に進歩した。だが、我が都市の貧しい区域では無頼漢どもが、いまだに、五十年前の男の子がしたことと全く同じようなことをする。

 日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、すべての人々がいずれも行儀がいいということである。世話をされる人々は、親切にされてもそれに狎れぬらしく、皆その位置をよく承知していて、尊敬を以ってそれを守っている。
 孔子は「総ての人々の中で最も取扱いの困難なのは女の子と召使いとである。もし汝が彼等に親しくすれば、彼等は謙譲の念を失い、もし汝が彼等に対して控えめにすれば彼等は不満である」といった。
 私の経験は何らかの価値を持つべく余りに短いが、それでも今迄私の目に触れたのが、礼譲と行儀のよさばかりである事実を考えざるを得ない。私はここ数週間、たった一人で小さな漁村に住み、漁夫の貧しい方の階級や小商人達と交わっているのだが、彼等すべての動作はお互いの間でも、私に向っても、一般的に丁寧である。・・・

 人柄のいい老人の友人同志が面会する所は誠に観物である。お辞儀に何分かを費やし、さて話を始めた後でも、お世辞を言ったり何かすると又お辞儀を始める。私はこのような人達のまわりをうろついたり、振り返って見たりしたが、その下品な好奇心には全く自ら恥じざるを得ない。
引用終わり

 モースの観察眼や旺盛な好奇心がよく表れていますね。犬の態度から日本における犬の取り扱い方を類推するところなんかは、なかなか参考になります。
posted by 小楠 at 07:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
ここに書かれている日本人は、とても「かわいらしい」ですね。素朴で好奇心旺盛でのんびりしていて。モースが日本贔屓になったのがよくわかります。
Posted by milesta at 2007年03月01日 08:57
milesta 様
>>とても「かわいらしい」ですね

私も同じような想像をしながら読んでいました。
当時の若い女性も、なかなかものおじせず、けっこうお茶目な感じもしますね。
Posted by 小楠 at 2007年03月01日 09:34
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