2007年02月26日

モースの日本観察2

日本の植木屋さんは世界一

 モース著の「日本その日その日1」から、モースの観察した1877年の日本の一部をご紹介しています。ここでは日本は子供にとって安全な国であることを面白い視点で述べ、ままごと遊びを見たり植木屋さんの手腕に驚いたりしています。そして隅田川の河開きの体験など、モースとご一緒に楽しんで下さい。モースは見て興味を持ったものを沢山スケッチしていますので、それらも一部掲載します。
スケッチは隅田川の川開きの一部
sumida.jpg

引用開始
 この国民に奇形者や不具者が著しく少ないことに気がつく。その原因の第一は、子供の身体に気をつけること。第二には殆ど一般的に家屋が一階建てで、階段が無いから子供が墜落したりしないことと思考してよかろう。指をはさむドアも、あばれ馬も、噛み付く犬も、角ではねる牛もいない。牡牛はいるが必ず紐でつながれている。
 鉄砲もピストルもなく、椅子が無いから転げ落ちることもなく、高い窓が無いから墜落もしない。従って背骨を挫折したりすることがない。換言すれば重大な性質の出来事の原因になるような状態が、子供の周囲には存在しないのである。投石は見たことがない。・・・・我々からして見れば、日本人が彼等の熱い風呂の中で火傷して死なぬのが不思議である。・・・・

 この広い世界を通じて、どこでも子供達が、泥のパイや菓子をつくるのを好むのは面白いことである。日本の路傍ででも、小さな女の子が柔軟な泥をこねて小さな円形のものをつくっていたが、これは、日本にはパイもパンもないので、米でつくる菓子のモチを現しているに違いない。
 この国の人が――最下層の人でさえも――が、必ず外国人に対して示す礼譲に富んだ丁寧な態度には、絶えず驚かされる。私は続けさまに気がついたが、彼等は私に話しかけるのに先ず頭に巻いた布を解いて、それを横に置くのである。一台の人力車が道路で他の一台に追いつき、それを追い越す時――我々は早く東京に着きたくて急いでいたのでこれをやった――車夫に必ず詫び、そして、通訳の言によると「お許しが出ますれば・・・」というようなことを言う。

 我々は多くの美しい生垣を通過した。その一つ二つは二重の生垣で、内側のは濃く繁った木を四角に刈り込み、それに接するのは潅木の生垣で、やはり四角に刈り込んであるが、高さは半分位である。これが町通りに沿うてかなりな距離並んでいたので、実に効果的であった。
 日本の造園師は、植木の小枝に永久的の形がつく迄、それを竹の枠にしばりつけるという一方法を持っている。私の見た一本の巨大な公孫樹(いちょう)は、一つの方向に、少なくとも四十フィート、扇のように拡がりながら、その反対側は、日光も通さぬ位葉が茂っていながらも、三フィートとは無かった。樹木をしつける点では日本人は世界の植木屋中第一である。・・・・・
 我国の園芸家が日本人の持つこの巧妙な芸術に注意を向けたならば、どんなに立派な食卓の中心飾りが出来ることであろう。
 
 日本に着いてから数週間になる。その間に私は少数の例外を除いて、労働階級――農夫や人足達――と接触したのであるが、彼等は如何に真面目で芸術的の趣味を持ち、そして清潔であったろう!遠からぬ内に、私はより上層の階級に近づきたいと思っている。この国では「上流」と「下流」とがはっきりした定義を持っているのである。
 下流に属する労働者達の正直、節倹、丁寧、清潔その他我国において「基督教徒的」とも呼ばれる可き道徳のすべてに関しては、一冊の本を書くことも出来る位である。

 東京でアサクサと呼ばれる一郭は、外国人に珍しい観物の一つである。大きな寺院が付近の低い住宅の上にそそり立っている。この寺院に達する路の両側には、主として玩具屋や犬の芸当や独楽まわし等の小店が櫛比している。お茶屋や菓子屋もないではないが、ここに於ける活動と陳列との大多数は、子供の興味を中心にしたものである。鳩の餌を売っている場所もある。鳩は大群をなしてお寺の屋根から舞い降り、地面の上や餌をやっている人々の上にとまる。・・・・・

 私は「河を開く」というお祭りに行った。この正確な意味は聞かなかった。このお祝いは隅田川で行われるので、東京中の人が何千人となく河の上や河岸の茶店に集まってくる。我々三人は晩の八時に加賀屋敷を出た。・・・・・
 車夫は急いでいたので全速力で走りながら、人々に通路をあけさせるために「ハイ、ハイ、ハイ」と叫び続けるのであった。・・・・

 川の光景には思わず茫然とした。広い川は見渡す限り、各種のボートや遊山船で埋まっていた。我々はある大名の庭を横切ることを許されていて、この家の召使いが我々のために河の端に椅子を持って来て呉れた。数分間座っていた上で、我々はもっと近く見物することにきめたが、恰度その時一艘の舟がお客を求めながら河岸に沿って静かに近寄った。我々が乗ると間もなく舟は群集の真中まで漕ぎ出た。

 この時我々の眼前に展開された光景以上に不思議なものは、容易に想像できまい。ありとあらゆる大きさの舟、大きな、底の四角い舟、日除けや天蓋を持ったのが多い立派な伝馬船・・・
 それらはいずれも日除けの端につるした色鮮やかな提灯の光で照らされている。そして舟の中央には必ず敷物がひろげてあり、その上では大小とりどりの皿や酒徳利をならべたのを取巻いて、家族が友人と共に坐り、芸者達は三味線をかき鳴らして、奇妙な作り声で歌を歌う。

 広い川はかくの如き提灯で照らされた舟で完全に被われている。ある舟では物静かな酒盛りが行われ、すべての舟に子供が乗っており、そしてどちらを向いても気の良さと行儀のよさとが見られる。河の向う岸では橋に近く光輝燦爛たる花火が発射されつつあり、我々はこの舟の迷路の中で、衝突したり、後退したり、時に反対の方向に転じたりしながら一時間ばかりかかってやっとそこへ行くことが出来た。・・・・・

 近寄って見ると、十人ばかりの裸体の男が大きな舟に乗ってローマ蝋燭を発射したり、複雑な性質の花火を仕掛けたりしている。その有様にはまったく肝をつぶした。これは実に忘れられぬ光景であった。乗船した河岸に帰ろうとして、我々は反対の方向に進む多くの舟とすれちがった。船頭達は長い竿で舟を避け合ったり、助け合ったりしたが、この大混雑の中でさえ、不機嫌な言葉を発する者は一人もなく只「アリガトウ」「アリガトウ」「アリガトウ」或は「ゴメンナサイ」だけであった。かくの如き優雅と温厚の教訓!而も船頭達から!
 何故日本人が我々を、南蛮夷狄と呼び来たったかが段々に判ってくる

引用終わり
posted by 小楠 at 07:47| Comment(5) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
こんにちは。
私がこの本を心待ちにしていたのは、すっかり内容を忘れていたからです。こんなことが書かれていたのですね。
これを読むと、日本て、楽しそうで、気分良く過ごせそうで、良いところですね〜。混雑の中「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」しか聞こえないというのは、当たり前のように思うけれど、最近では日本でも、満員電車での喧嘩などが多いようですから、当たり前ではなくなってきているのですね。
Posted by milesta at 2007年02月26日 10:44
milesta 様
彼ら自身が、西洋文明が日本の美徳を破壊していると考えていたことも、多く書かれていますね。
悪貨は良貨を駆逐するといういい例でしょう。
Posted by 小楠 at 2007年02月26日 15:30
小楠様

 私もこの本を昔読んで、内容を忘れていました。また読み返したいと思います。E.S.モースは、本当に日本の文化と民族が好きだったのですね。そして感覚の鋭い眼で、日本のあちこちを訪れていたのでしょう。

 私は、1981年にボストン郊外の港町セイラムを訪れた事があります。そこにピーポディ・エセックス博物館があり、かつて館長をした事のあるモースの日本コレクションを見ました。特に根付けの収集数は大変多く、その素晴らしさに驚かされました。
 戦前特に明治時代は、欧米人でも優れた人々が来日していたのだとつくづく感じます。
http://www.peabody.yale.edu/
Posted by 茶絽主 at 2007年02月27日 00:45
前投稿で URL の貼リ付けを間違えました。
恐れ入りますが、下記と交換して下さい。
http://www.pem.org/collections/
Posted by 茶絽主 at 2007年02月27日 00:52
茶絽主様
>>かつて館長をした事のあるモースの日本コレクション

そうでしたか、それは羨ましいですねー。
日本人では気がつかない日本人の美点や特質はこうして外国の方々から高い評価を受けていることが沢山ありますね。
さて、今の日本ではどうでしょうか。
ピーポディ・エセックス博物館のサイトのご紹介有難うございました。
Posted by 小楠 at 2007年02月27日 07:33
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