「明治日本の女たち」という本があります。著者はアリス・ベーコンというアメリカ人です。彼女は1858年生まれで、1872年に、ベーコン家が岩倉使節団に連れられて渡米していた十二歳の山川捨松(後の大山巌伯爵夫人)のホスト・ファミリーとなったことから、当時十四歳のアリスとは姉妹同然に暮し、津田梅子らとも知り合いました。このような縁で、1888年に来日し、華族女学校や東京女子高等師範学校で英語を教え、
1899年に二度目の来日時には、津田塾大学の前身である女子英学塾の教壇にたちました。では、「明治日本の女たち」から一部見てみましょう。
写真右から二人目が使節団当時八歳の津田梅子

引用開始
日本では礼儀作法は行き当たりばったりに学ぶものではない。適当に周囲を見渡して真似するだけではだめである。作法は専門家について学ぶのだ。 日常生活のこまごまとしたことすべてに決まりがあり、礼儀作法の師範はそれらを熟知している。こうした師範の中でも、とくに有名な人たちがいて、それぞれ流派を作っている。
作法は細かい点では異なっているが、主要なところはどの流派も同じである。お辞儀ひとつとっても、体と腕と頭の位置に決まりがある。ふすまの開け閉て、座り方と立ち方、食事やお茶の出し方など、すべてに細かい決まりがあり、若い女性に教え込まれる。
しかし、教えられるほうはうんざりしていることだろう。私が知っている今どきのふたりの若い女性は、礼儀作法のお稽古には飽き飽きしていて、できることならさぼりたいようだった。お作法の先生が帰ってしまった後に、彼女達が先生のしゃちこばったいかめしいしぐさを茶化して、ふざけているのを目にしたこともある。
ヨーロッパ風のマナーが、古くからある日本の日常の礼儀作法にどれだけ浸透していくのかはまだわからない。しかし、礼儀作法の師範のような人はじきに過去の遺物になってしまうのではないだろうかと、少しばかり残念に思う。
日本の若い女性が、予期せぬことに直面してもけっして取り乱さないのは、しっかりと礼儀作法を教えこまれているからではないだろうか。アメリカの若い女性ならば、ぶざまにまごついてしまうような場面でも、日本の女の子は落ち着き払っている。・・・・・
ここまで、私は昔の日本で女性に許されていた教育について述べてきた。こうした教育は効果的で、じつに洗練されたものであった。
ペリー提督によって眠りを覚まされる前に教育を受けた魅力的な日本の婦人を知る外国人は、誰もが昔の日本の女子教育のすばらしさを認めるだろう。
こう書いていると、柔和な顔に輝く瞳をした、ある淑女の姿が目に浮かぶ。東京に住んでいたときに、彼女と親しくなれたのは幸運なことだった。夫に先立たれ、子供を抱えて文無しになった彼女は、東京にある官立学校で裁縫の先生をして、わずかな収入を得ていた。貧しくて多忙な日々を送っていたはずなのに、いつも完璧なまでに貴婦人然としていた。礼儀正しく、微笑みを絶やさず、知的で洗練された読書家で、質素で家事をそつなくこなす、日本で過ごした楽しい時間をふり返るたびに、彼女のことが思い出される。こうした女性こそが、昔の日本女性の教養をよく示している。
侍の女たち
侍の女性の心意気が今日でも健在であるのは1895年の日清戦争の際に彼女たちが示した優れた行動力と忍耐力からも明らかだ。
自己を犠牲にする昔ながらの精神は、正しいとは言えないかもしれないが、多くの立派な行為を生み出した。
日本の女性はアメリカ人には想像できないほどあらゆる面で男性に依存しているにもかかわらず、夫や兄弟、息子たちを笑顔と明るい言葉で危険と死の待つ戦地へと送り出した。愛する者をお国のために捧げるのに、悲しみの涙を見せるのは不忠であるとされた。最愛の者が戦死したという知らせを受けても、けっして取り乱しはせず、国家のために家族が犠牲になるのは家にとって栄誉なことだと言える忍耐力を持っていた。
このような献身的な日本女性の様子は、津田梅子氏がニューヨークの『インディペンデント』紙に書いた以下の記事からもわかるだろう。
私の心に浮かぶのは、若いひとり息子を明るい笑顔で戦場に送り出した、ある年老いた女性である。晩年を迎えた彼女にとって、息子は唯一の頼れる存在であった。まだ若いうちに夫に先立たれ、辛く悲しい人生を送ってきたが、息子が教育を受けて良い人生が送れるよう、並々ならぬ努力をしてきた。
ようやく彼が職に就いて、家計を支え、大切に育ててくれた母親に報いることができるようになってほんの数年しか経ていなかった。息子とその妻をとても誇りにしている母親の姿は微笑ましいものだった。年老いた母はその小さな家庭で、安心して老後を送れるはずだった。
しかし、一瞬にして、すべてが変わってしまった。息子が戦場へ送られることになったのだ。それでも、母親はまったく表情を曇らせることもなく、笑顔で、楽しげに出発準備の手伝いをした。ひとりでいるときも、他の人たちといるときも、ため息をついたり、悲しそうな表情を見せたりすることは一度もなかった。息子にでさえ、心配したそぶりを見せなかった。お国のために、そして自身の名誉のために出陣する息子の精悍な兵隊姿を見た彼女の顔は喜びで満ち溢れていた。戦場へ赴く兵士には、生死にかかわらず、名誉が与えられるのである。・・・・・
戦艦赤城を指揮し、黄海の戦いの最中に戦死した坂元艦長の年老いた母親についても、感動的な逸話が語り継がれている。艦長は母と妻、三人の子を残して死んでいった。戦死が確認されると、海軍より使者が派遣され、家族に悲しい知らせがもたらされた。まず、妻に伝えられたが、使者が家を去る前に、その知らせは母親の耳にも入った。母親は士官のいる部屋までよろめきながら出ていって、しっかりと礼儀正しく挨拶をした。目に涙はなく、声もはっきりしていた。そして、「お知らせを聞いて、息子が多少なりともお役に立てたことがわかりました」と言ったのだった。・・・・
このような例は枚挙にいとまがない。しかし、以上の話だけでも、今日の日本に残る精神を理解してもらえるだろう。このような教育を受けた女性が家庭を守っている日本が勇敢な国で、その兵士たちが戦に勝ち続けるのは当然であろう。今、世界を驚かせている日本の精神や勇気は、女性の存在に負う面もあるのだから、日本国中の妻や母親の栄誉もたたえられなければならないだろう。
引用終わり
「南京の真実」映画制作決定 ! ようやくにしての感もありますが、実に喜ばしいことです。さっそくリンクバナーを貼りました。
反日や左翼は今も盛んに日本文化の破壊を企図していますね。
南京の真実の映画、是非とも成功させましょう。私も及ばずながら協力します。
そして国家破壊の元凶、浅卑新聞の大嘘も暴くことになりますね。
>>このような教育を受けた女性が家庭を守っている日本が勇敢な国で、その兵士たちが戦に勝ち続けるのは当然であろう。<< 日本の国力は女性の内助の功に由るところが多いのでしょうね。それは明治に限らず、綿々と受け継がれているのだと思います。
当時の日本人を育てたのはこのような武士の妻なのでしょう。
女性、母親の力は本当に大切ですね。
日本が今でも国力を保持できてるのは、日本女性が連綿とこの精神を持ち続けてくれていることのお陰と言いたかったのでした。
どうもご丁寧に有難うございます。
引用された部分から、主旨は明確に判りましたよ。
>>日本が今でも国力を
これも確かにそうですね、マスゴミに出てくる大部分の女性が反日をバラ撒くのに対して、まだまだしっかり国を考えている女性の方々も沢山いらっしゃるようです。
うがった見方をすれば「家庭教育の強固さ」を維持しているシステム(家庭内での役割の分担→労働と家庭の維持の分業)の崩壊を目的としたものが戦後のアメリカの政策の根底にあったのではないでしょうか?
(アメリカは日本を知るにつれ、ある意味で”恐怖”したはずです。移民では中国人のほうが先に入っており日本人はあとからでしたが、法律レベルで差別されたのは日本人だけであったはずです。これは裏返せば他の人種は入ってきても別に”問題”ないが、日本人が入ってくると”やばい”という恐怖があったのではないでしょうか。日本人が育んできた資質の中の一部が世界のレベルを凌駕していたのは紛れもない事実ですから)
教育の根幹であり、基礎であり、大部分を決めるのが家庭内教育です。
(性格から思考や志向、知能までおおよそ幼少期に基礎ができると言います)
その辺が非常に大事なはずなんですが、置き去りにされつつありますよね。
>>教育の根幹であり、基礎であり、大部分を決めるのが家庭内教育です。
全く同感です。今の学校で人格教育は全然期待できないと思います。これができるのは家庭教育しかないのでしょうが、大切な時期を保育所などに預けやすいようにする政策などはどうかなと感じています。
>>比較できる下劣な国が隣に有ったことは日本にとって幸運ですね。
船旅でアジア経由で来日した人たちは皆、中国の不潔さと対照的な清潔好きな日本人のことを書いていますねー。
かの国からは国外に出てこないように監視が必要でしょう。