2007年02月15日

長崎海軍伝習所3

東洋諸国と日本の違い

 海軍伝習所教育班班長のファン・カッテンディーケ著「長崎海軍伝習所の日々」から、日本のお寺や婦人についての観察の記述を見てみます。
写真は当時の長崎の町
kajiyajachi.jpg

引用開始
 1855年(安政二)にオランダ国王ヴィルレム三世陛下は、将軍に一隻の蒸気船を献上された。その時、同時にその船を用いて日本人を教育するために、将校機関部員および水兵をもって組織された一派遣隊をも付け給うた。日本人は欣んでその国王の思召しを受けるとともに、感激のあまり同派遣隊所属の人々には、二百年来厳守された規則をなげうって、自由に長崎市の内外を往来しうることすらも許可したのである。

 これら士官および部下たちは日本に雇われているのではなくて、蘭領東インド派遣のオランダ艦隊に属し、給料はオランダ政府から支給されたのである。その指揮官は、日本人に航海学の教育を授ける任務を帯びていた。
 将軍はこれら派遣隊の出島滞在に要する費用に対し、金銭的補償も与えないで派遣隊をただで使うこと欲しなかった。そこで一定の手当を支給したが、なおこの他にもいろいろの恩賞があったから、両者を合すればかなり莫大な額に上ったといえるだろう。・・・・・

 私は日本人が常に我々に対し、及ぶ限りの優しみをもって接し、未だかつて何事も私に相談することなしに、勝手に行ったことなどなかったことを認めねばならぬ。・・・・・
 ヨーロッパでは日本および日本人に対し先入主を持っているが、それもあながち無理もない。例えばキリスト教徒に対する残虐な掃滅、二世紀以上も頑迷に固守された鎖国、オランダ人の出島幽閉――これは何れの著書も憤激に満たされている――のごとき事実は、ヨーロッパ人をして日本人に良い感じを持たしめない理由である。

 しかし、日本人の外国人取扱いを非難する者は先ず1848年に出版されたフォルブスの著『支那滞在の五ヵ年』を一読するがよかろう。その一節に次のようなことが書いてある。
「イギリス人は広東で、自宅に檻禁されているも同然である。散歩しようとて散歩する町が殆どない。たまたま町に出れば侮辱されるに定まっている。いや自宅においてすら、狂暴な民衆を防ぐに安全を感じられないことを経験した。些細な原因でも、きっと激昂の酬いが憐れな外国人の頭上に下され、自分の家が損害賠償を受ける微塵の望みもなくして民衆にブチ毀されていくのを見ていなければならない」
 これによっても我々の隣国人たるイギリス人が、ただ将来の飛躍を望むばかりに、つい最近まで、広東でどれほど酷い目に遭うのを隠忍したかをよく知ることができる。

 これに反して、日本にいるオランダ人は、密貿易を行ったり国法を犯したりする者に当然与えられるべき処分とか威嚇をも、侮辱というならば論外だが、さもなき限り、未だかつて我々は日本人から侮辱された例はない。その日本の外国人取扱いをかれこれと非難するのは、いったい正しいか否かと、むしろ反問したいくらいだ。それどころかオランダ人は、往昔より幕府の手厚い保護を受け、奉行は幕府から彼らの安全を護る責任を負わされていた。これが時に厄介と思われるような規則にも服さなければならぬ結果を伴った次第である。

 我々と日本人との間を隔てた堅氷が融け、我々が打ち解けた態度で日本の士官や生徒たちと交際を始め、そうして信頼を受けているという心証を握ってから、我々はますますこの国民の善良なる側面を知ることができた。そうしてこの印象はひとり我々の側のみでなく相互的であったと言っても差支えないと信じている。・・・・・

 私は一般に日本国民は辛抱強い国民であると信じている。彼らはお寺詣りをするのが務めであると考えており、我々がお寺に詣ることも非常に喜ぶ。彼らの年長者に対する尊敬心および諸般の掟を誠実に遵守する心がけなど、すべて宗教が日本人に教え込んだ性質であり、また慈悲心が強く惨虐を忌み嫌うのは日本人の個性かとさえ思われる。・・・・・

 長崎にはお寺の数が六十、まだその外に小さな御堂は数知れない。また僧侶および役僧の数は七百を超える。こんなに沢山の徒食者やお寺を守り立てていくことは、住民僅か六万の長崎にとっては実に容易ならぬ負担であるに違いない。まだその上に、乞食は皆家々で一文、あるいは金がなければ一掴みのお米を恵まれる。この乞食の商売は女もやっている。私はこうも考える、すなわち日本にはあまり貧乏人がいないのと、また日本人の性質として慈善資金の募集に掛るまでに、既に助けの手が伸ばされるので、それで当局は貧民階級の救助にはあまり心を配っていないのではなかろうかと。・・・・・・・

 日本では婦人は、他の東洋諸国と違って一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている。もっとも婦人は、社会的にはヨーロッパの婦人のように余りでしゃばらない。そうして男よりも一段へり下った立場に甘んじ、夫婦連れの時でさえ我々がヨーロッパで見馴れているようなあの調子で振舞うようなことは決してない。しかし、そうだといって、決して婦人は軽蔑されているのではない。私は日本美人の礼賛者という訳ではないが、彼女らの涼しい目、美しい歯、粗いが房々とした黒髪を綺麗に結った姿のあでやかさを、誰が否定できようか。・・・・・

 女は下層階級の者でも一般に淑やかで、その動作は外国人と付き合う場合の態度でも、すこぶる優雅である。彼女たちは、ヨーロッパ人が女に気をくばる親切さを非常に喜ぶ、その長崎婦人の何気ない浮気をば、夫がカンカンになって怒っている光景を私はしばしば目撃した。
引用終わり

 文中にあるように
「将軍はこれら派遣隊の出島滞在に要する費用に対し、金銭的補償も与えないで派遣隊をただで使うこと欲しなかった」のです。
 嘘をついてでも金品をむしり取ろうとする、お隣の三国とは全く違いますね。まあ、日本にもそれを焚きつける下種な反日左翼がいますがね。
posted by 小楠 at 07:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
紅毛碧眼の人々は大部分が支那大陸経由かインド洋経由で大和に辿り着いたんですね。あの支那や虫垂半島を見た後の日本の素晴らしさは筆舌に尽くし難いことだったと思います。目を疑って呆然とするその姿をいまも見るかのようです。比較して始めて日本の文化文明の素晴らしさを知ってもらえたことは幸いです。オリエントの地の果ては地獄ではなくて天国だった。それに引き換え途中で寄った支那大陸のあの乱れよう下賎な獣民どもの貧しい心には世紀末感を感じ取ったことでしょう。きょうの御記事は紅毛碧眼どものアジア蔑視はすなわち支那蔑視だということが見えてくる楽しいストーリーですね。
Posted by ケイさん語録 at 2007年02月16日 09:14
ケイ様
当時来日した外国人はサンフランシスコから直行以外は、アジア経由ですね。
で、中国経由ということになりますが、ほとんどの人が中国の不潔さ、民族性にあきれて、日本に上陸してほっとしたような印象を書いています。
今でも本質は一緒でしょうね。
Posted by 小楠 at 2007年02月16日 09:28
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