2007年02月10日

天孫の降臨

 今日は古事記の前回からの続きを掲載しておきます。神話でも重要な位置にある、天孫降臨の部分です。
sakuya.jpg

※道案内の神、猿田毘古神
 さて、日子番能邇邇芸命(ヒコホノニニギノミコト)が天降りなさろうとする時に、道中の多くの道に分かれる辻に、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がいた。
 そこで、天照大御神と高木神の仰せで、天宇受売神(あめのうずめのかみ)に「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に気おくれしない神である。そこで、あなた一人で行って、『吾が御子が天降りする道に、どうしてこのように居るのか』と聞いて欲しい」と仰せになった。そこでアメノウズメノ神が問われたことに答えて「私は地上の神で名前は猿田毘古神(さるたひこのかみ)といいます。ここに出ているわけは、天つ神の御子が天降りされると聞きましたゆえ、道案内の役目としてお仕えしようと思って、お迎えに参りました」と申し上げた。

※天孫降臨
 こうして、アメノコヤネの命とフトダマの命、アメノウズメの命、イシコリドメの命、タマノオヤの命、合わせて五つに分かれた部族の長を加えて天降らせになった。その時に、石屋戸からお招きした八尺(やさか)の勾玉・鏡[八咫の鏡(やたのかがみ)]、また草なぎの剣[天叢雲剣]、また常世のオモヒカネの神・タヂカラヲの神・アメノイワトワケの神をもお加えになり、天照大御神は「この鏡はひたすら私の御魂として、私を拝むのと同じように敬ってお祭りしなさい。次に
オモヒカネの神は、私の祭りに関することをとり扱って政をしなさい」と仰せられた。

 この二柱の神(天照大御神と思金神)は、五十鈴の宮に丁重に祭ってある
 次に登由気神(とゆけのかみ)は渡会の外宮に鎮座されている神である。
 次にアメノイワトワケの神、亦の名は櫛石窓神(くしいわまどのかみ)と言い、亦の名は豊石窓神(とよいわまどのかみ)と言う。この神は宮門守護の神である。次にタヂカラヲの神は伊勢の佐那県(さなのあがた)に鎮座しておられる。そして、かのアメノコヤネの命は、中臣連(なかおみのむらぢ)らの祖神であり、フトダマの命は忌部首(いむべのおびと)らの祖神であり、アメノウズメの命は、猿女君(さるめのきみ)らの祖神であり、イシコリドメの命は作鏡連(かがみつくりのむらじ)らの祖神であり、タマノオヤの命は玉祖連(たまのおやのむらじ)らの祖神である。

 さてそこで、天つ神はヒコホノニニギノ命に仰せを賜り、ニニギノ命は高天原の神座をつき離し、天の幾重にもたなびく雲を押し分け、神威で道をかき分けかき分けて、天の浮橋から浮島にお立ちになり、筑紫の日向の高千穂の霊峰に天降りになった。その時、天忍日命(あめのおしひのみこと)と天津久米命(あめのつくめのみこと)の二人が、立派な靫を負い、頭椎の太刀を腰に着け天のはじ弓を手に執り、天の真鹿児矢を手に挟んで、先に立ってお仕え申し上げた。彼らは大伴連(おおとものむらじ)らの祖先と久米直(くめあたい)らの祖先である。

 この時、ニニギノ命が仰せられるには、「この地は朝鮮に相対しており、笠沙の御碕にまっすぐ道が通じていて、朝日のまともにさす国であり、夕日の明るく照る国である。だから、ここはまことによい土地だ」と仰せられて、地の磐石に届く太い宮柱を立て、天空に千木を高くそびえさせた、壮大な宮殿にお住まいになった。

※木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)
 ニニギノ命は笠沙の御碕で美しい少女にお逢いになった。そこで「誰の娘か」と問われると、答えて「オオヤマツミの神の娘で、名は神阿多都比売(かむあたつひめ)亦の名はコノハナサクヤヒメと言います」と申した。
 また「お前には兄弟がいるか」と問われると、「私には姉の石長比売(いはながひめ)がおります」とお答え申し上げた。そこで、「私はあなたと結婚したいと思うが、どうか」と仰せられると、「私にはお答えできません。私の父オオヤマツミの神がお答え申し上げるでしょう」と答えて申し上げた。
 そこで、その父のオオヤマツミの神に娘を乞いに使いを出されると、大変喜んで、姉のイハナガヒメを副え、机の上に沢山の物を載せて献上した。ところがその姉は酷く醜かったので、ニニギノ命は恐れをなして送り返され、ただ妹のコノハナサクヤヒメだけを留めて、一夜の契りをお結びになった。

 そこでオオヤマツミの神は、ニニギノ命がイハナガヒメをお返しになったので、深く恥じ入り申し送って言うには、「私の娘を二人並べて奉りましたわけは、イハナガヒメをお使いになるならば、天つ神の御子の命は、雪が降り風が吹いても、つねに岩のように永遠に変わらずゆるぎなくましますであろう。またコノハナサクヤヒメをお使いになれば、木の花が咲き栄えるように、ご繁栄になるであろうと、祈誓して奉りました。このようにイハナガヒメを返して、コノハナサクヤヒメ一人をお留めになりましたから、天つ神の御子の御寿命は、木の花のようにはかなくいらっしゃるでしょう」と申した。こういう次第で、今に至るまで、天皇方の御寿命は長久でなくなったのである。

 さてその後、コノハナサクヤヒメが、ニニギノ命の所に参って申すには、「私は身重になって、やがて出産する時期になりました。この天つ神の御子は、私事として生むべきではありません。だから申し上げます」と申した。
 そこでニニギノ命が仰せられるには、「サクヤ姫は、ただ一夜の契りで妊娠したというのか。これは私の子ではあるまい。きっと国つ神の子に違いない」と仰せになった。それでサクヤ姫は答えて、「私の身ごもっている子が、もしも国つ神の子であれば、産むときに無事に生まれないでしょう。もしも天つ神の御子ならば、無事に生まれるでしょう」と申して、ただちに戸口の無い大きな産屋を造って、その中に入り、土で塗り塞いで、出産の時になると、火をその産屋につけてお産をした。そしてその火が盛んに燃える時に生んだ子の名は火照命(ほでりのみこと)で、これは隼人の阿多君の祖神である。次に生んだ子の名は火須勢理命(ほすせりのみこと)である。次に生んだ子の名は火遠理命(ほをりのみこと)、亦の名は天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)である。
終わり

 ここで国つ神と言うのは、地上の神、天つ神は高天原の神のことを言います。
posted by 小楠 at 08:13| Comment(2) | TrackBack(1) | 古事記で見る日本
この記事へのコメント
以前TBした記事ですが、天孫降臨の物語なので、重なりますが、こちらにもTBさせていただきました。
その中のアメノウズメとサルタヒコのやりとりを見て、この頃から女性は男性を上手にコントロールしていたんだなぁと思って笑ってしまいました。
Posted by milesta at 2007年02月10日 14:39
milesta様
以前も貴ブログのこの部分拝読致しました。再度見てみましたが、
貴ブログの天孫降臨のほうが楽しく読めますね。
古事記そのものからの引用は日本語に漢字をあててあるので、どうも読みづらいように思いながら記載しています。
先ずは神武天皇のところまでを、折を見て時々掲載しようと思っています。
Posted by 小楠 at 2007年02月10日 16:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/3320875
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

『コノハナサクヤヒメ』 西野綾子・文 阿部 肇・絵
Excerpt: コノハナサクヤヒメ阿部 肇、西野 綾子 他 (1989/08)ひくまの出版この商品の詳細を見る 秋篠宮家に親王殿下がお生まれになった。紀子妃殿下のご懐妊のニュースを聞いたときも、お生まれになっ..
Weblog: 本からの贈り物
Tracked: 2007-02-10 14:37