2007年02月09日

明治日本体験記V

グリフィスが見た日本女性の地位

1870年12月29日〜1874年7月25日の日本
今回はグリフィスが感じ見た日本女性の地位について書かれている部分を見てみましょう。
グリフィス著「明治日本体験記」から
griffis.jpg

引用開始
 しかし、アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。
 子女の教育はよくなっており、この国の記録にはおそらくアジアのどの国よりはるかに多くのすぐれた女性が現れるだろう。まさにそういう時機に、公立・私立の女学校が開設されて、女学生が通学している。・・・・・・

 この問題の根は銭湯をのぞいたぐらいでは見つからない。歴史、文学、芸術、理想を調べてみなければならない。それには西洋の理想や偏見を基準にしてはいけない。西洋人が潔白であり宗教的だと見なしているものの中に非難すべきことが多くあるのを、日本人は正しい目で見ている。だからこれらの判断は公平でなければいけない。

 百二十三人の日本の君主のうち九人までが女性であった。神権の管理人は処女の神官である。日本の女性はその機知と天才によって母国語を文学語にした。文学、芸術、詩歌、歌謡において、名声と栄誉の長い巻物にのっていて、その額に日本人が少なくとも高名の色あせない花輪を置いた最も輝かしい人たちのなかに、女性の名前がまじっている。その女性たちの記憶は、暗唱、引用、読書、屏風、巻物、記念碑、壁、扇、茶碗の上の文章や絵画など、太平洋の東と西の外国人讃美者さえ喜ばす絶妙な芸術作品として、いまなおみずみずしく残っている。

 紳士淑女の道、道徳律、宗教的戒律が手本として試されるような人生の難儀にあたって、日本人の示した栄光、勇気、艱難に耐えること、立派な死に際、親孝行、妻の愛情などの記録が残っている。中でも歴史と物語文学、実際の日常の出来事のなかに、男性に課せられたどんな苦しみや悲しみも共にする女性の力と意志が示された例がいくらでもある。・・・・・

 女性についてこれまでのところ、私の意見は、世界のカスが日本のカスと出会う港町の生活をいそいで垣間見た結果ではなく、内地の都市や日本の首都に数年生活してみてわかったものであることを忘れないでほしい。さらに私は日本の普通の女性を他の国の普通の女性と並べて見ている。また神国の男性と社会との関係で女性の地位を述べている。そしてアジアの他の諸国に比べて日本は、女性に対する尊敬と名誉にかけてはアジアの指導者であると信じたい。

 インド、ビルマ、中国の外国人居住者が日本に来て驚きかつ喜ぶのは、日本人の女性への応じ方で、尊敬と思いやりの気持があまりにも大きいことである。女性が纏足させられることはないし、中層・下層階級の女性もアメリカなみにほとんど自由に出歩ける。アジア的、偶像崇拝的、かつ独裁的である国では考えられないような、社会的自由が日本の女性の間に広まっている。・・・・・

 日本人は一方だけに通じるのがよい規則だと思っている。夫が同じ理由で妻から離縁されることはない。勿論、日本の女性は気転、言葉、愛嬌、魅力など、一般に外からは見えないが、そのためにかえって強い手段で夫を支配することができる。男性は刀、筆、離縁、栄光を笠に着るが、女性はもっと上手な説得力で御殿にいても藁屋にいても主人を支配する。

 日本の家庭には、開港場にしか住まないたいていの外国人にはなかなか認めにくいほど善良で道徳上健全なものがあり、すばらしい女子の教育の場が見られる。そこでは上層階級の女子に限り、初歩の文学教育は個人の教師か女教師の手で行われた。
下層階級の女子は過去二世紀に国中に広まった私塾で教えを受けた。初等教育がすむと、日本女性が特別に使用する書物の勉強が始まった。この書物は相当な社会的地位にあると自負している日本の家庭にはどこにもある。・・・・・

 欧米諸国の女性と比べ、標準的に見て、日本の女性は美しいものへのあの優雅な趣味では全く同等の資格があり、服装や個人の装身具においてもよく似合って見える。また礼儀作法が女性らしく上品であることでもひけをとらない。美、秩序、整頓、家の飾りや管理、服装や礼儀の楽しみを生まれながらにして愛することでは一般に日本女性にまさる女性はない。・・・・・

 子供の教育者として日本の女性は、才能と知識のゆるす限り子供の養育に細心の注意を払い、心をこめてやさしく身を粉にしてつくすことでは、いかなる文明国の母親にも優るとも劣らない。・・・・
 日本の新しい女子教育が日本にとって重要なことは、いくら評価しても足りない。日本がいま経験している革命は完成されねばならない。日本の指導者が確信し、約束している新しい改革が、国民に正しいと認められ、国民の家庭生活の一部になる必要がある。
 新政府の仕事は家庭において遂行されねばならない。社会の基盤は家庭にあるからである。どの国でも国家は家庭のようなものである。政治の形態は色々あっても、大きくなった家族に過ぎない。どこの国でも普通の家族のことがよくわかれば、その国の政治の現実が容易に理解できる。
引用終わり

 さて、現状の日本を見て、外国人から同じくこのような評価を得られる品格、資質が続いているでしょうか?
 
posted by 小楠 at 07:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
日本女性は絶賛されてますね。
本質的には現代でもその素晴らしい特質は失われていないと信じてますが、野党の品性に欠ける女性議員が日本女性を貶めてますね。彼女たちの支持者の気が知れない。
Posted by おばりん at 2007年02月09日 17:27
おばりん様
>>でもその素晴らしい特質は失われていない

そうですね、その特質をバカにしたようなことを言うのが、あっち系の下品な者たちでしょう。
人間堕落するのは楽ですからね。
Posted by 小楠 at 2007年02月09日 19:46
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/3316072
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック