これより先福井藩主、松平春嶽に呼ばれて来た熊本藩士、横井小楠は春嶽に大きな影響を与え、この本の著者グリフィスも、小楠の「学政一致」の思想の分析をしたりしています。
私がこのブログでHNとして使っているのは、この横井小楠から借りたものです。
写真は横井小楠

グリフィス著「明治日本体験記」から、今回は、福井藩主の歓迎のあたりをご紹介します。
引用開始
藩庁の大広間には藩主と重臣が私を待っていて、中村が護衛をし、岩淵が同席して通訳をすることになっていた。
一行が乗った馬は大名屋敷前の大名通りと呼ぶ堀に面した広い通りを進んだ。・・・
藩庁の正門に着いて馬を下りた。・・・小石を敷いた庭の広い石畳の道を通って行った。戸口の前に大きな高い玄関がある。小姓がひざまづいて迎えてくれた。また役人の一人が絹ずれの音をたてて迎えに出て来た。
靴を脱いで中に入った。やわらかくて念の入った清潔な畳の廊下を通って謁見の間に着くと、型どおりに中に案内された。小姓と侍者がひざまづく。 大名と六人の家臣が立って迎えてくれた。テーブル、椅子、握手は当時まだ新しい物事であったが、そこにはすでにあった。藩主の前に進み出て礼をすると、藩主は寄って来て手を差し出し、あとで知ったことだが、歓迎の言葉を述べた。
握手の後、藩主から直筆の手紙を渡された。岩淵は最初から畳に両手両膝をつけ、顔をふせて座り、上目遣いに話した。次に長い名前の身分の高い家臣を紹介された。全員がテーブルについた。・・・
十歳から十二歳のかわいい男の子の小姓が小さな茶碗を金属の茶托にのせて運んできた。みんなが茶碗を持ち上げると、小姓は低くおじぎをして静かに出て行った。
藩主と家臣から、名前と身分が漢字で書いてある、人目をひく白い紙切れの名刺を渡された。
松平茂昭、福井藩主。小笠原盛徳、大参事。村田氏寿、大参事。千本久信、副参事。大谷遜、権小参事。大宮定清、家令職。
にぎやかな話し合いになった。おかげで岩縁の二枚の舌は一時間近くいそがしかった。初対面の堅苦しさが解けてきてくつろいだ気持になり、そのうち愉快になってきた。そして終わりごろにはお互いにうまくやっていけると諒解しあっていた。
アメリカ人の自由と日本人の気楽さが初めての者同士を友達にしたと言えよう。教育と文化が、二つの民族、宗教、文明に横たわる湾にたやすく橋を架けるのである。この上品で洗練された紳士たちの前で、私は心から打ち解け、一時間が楽しく過ぎた。
大名の直筆の手紙は次のようであった。
「貴国の大統領が壮健であられるのは慶賀の至りであります。福井の青年に科学を教授するため、はるばる遠い所からさっそく海を越え山を越えて到着されたことは、大きな喜びであるとともに深く感謝する次第であります。学校と学生に関する事柄については、教育を担当する役人が充分にご相談に応じます。福井は奥地であるので、何かとご不便をおかけすると思います。何なりと入用の節は遠慮なくお申し出ください。」
松平福井藩知事
この言葉が私を福井に迎え入れるにあたって、そのすべての基調になり、福井在住の一年あまりの間、絶えずあふれるばかりの親切を受けた。藩主、役人から学生、市民、子供にいたるまで、私を知って、にこにこしながらおじぎをして「お早うございます、先生」と挨拶してくれた人たちから受けた尊敬、思いやり、同情、親切しか、今は思い出せない。
私は目が覚めた。拳銃はいらなかったし、警護も必要でなかった。福井の人々の心をつかむことができた。そして今、最も幸福な思い出の中に福井の人びとがいる。
好きになった人のなかに大名の息子(松平康荘)がいた。元気なよく笑う子で、四、五歳ぐらい、ひらめきのある目をしたおもしろい子で、アメリカの子供に負けないくらい快活である。・・・・・
(絵は松平康荘)

次の日から正規の仕事が始まった。回されてきた馬に乗って学校へ出かけた。学校は城の本丸で前の藩主の住居であった建物である。これから先入ることになる自分の部屋で、学校の役人と面会した。テーブルにはいつものカステラ、みかん、梅の生け花があり、いつどこにでもある茶が出され、小さなパイプでタバコが吸われた。
化学の教師をほしがっていた人が、化学とは何かについて漠然とした考えしかないことは明白であった。けれども人々は金をかけ、辛抱強く、必要な器具や講義室を設置しにかかった。準備について意見がまとまったので、学校を見てまわるため、ほかの部屋を案内してもらった。
学校が大きくて繁栄しているのには驚いた。全部で八百人ぐらいの学生がいて、英語、中国語、日本語、医学、兵学の各部門に属していた。・・・
数百人の青少年が教師とともに床にあぐらをかき、読書、学科の暗記、漢字を書く練習をしていた。すでにちょんまげを切りおとした学生もいた。・・・
この者たちをはたして規律正しい学生にきたえることができるだろうか。そう思った。しかし二、三ヶ月後にはもう学生から信頼と愛を受けていた。学生から習うことが多かった。この熱心な若者から礼儀と尊敬の念を失わないように気をつけねばならない。品行の自負と威儀、勤勉、勇気、紳士的振舞、洗練と愛情、真実と正直、道徳などにおいて、私の見聞する限りでは学生は私と少しも違うところはなかった。「愛はいつも盲目」だというが、この場合、だんじて盲目ではなかった。
引用終わり。