2007年02月05日

明治日本体験記T

 今回ご紹介する本は、グリフィス(1843〜1928)というアメリカ人教師の記録です。
 ウイリアム・エリオット・グリフィスは、福井藩の招きで、自然科学の教師として、明治維新直後の、1870年12月29日に27歳の時日本に着き、1874年7月25日までを日本で過ごしました。
写真は渋沢栄一の招きで五十年ぶりに来日したグリフィス夫妻
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グリフィス著「明治日本体験記」(原書は1876年初版)から一部をご紹介します。
ここは、大阪から淀川をさか上って、伏見を通り、滋賀県の大津に到着し敦賀を経て福井にたどり着くあたりの記録です。
写真は明治初年の大津付近
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引用開始
 通訳の岩淵が福井からの五人の武士の到着を告げた。アメリカ人を迎えに百三十マイルを旅してきたところであった。・・・・
 襖が開くと、五人の頑丈な男が入ってきて、こちら向きに前へならって一列に立った。どんな儀式が始まるのかひそかに待ち受けた。一瞬のうちに男たちは床の上に膝を折って座り、両手を伏せて、そのままたっぷり十五秒間、頭を下げていた。それからパッと身を起して、羽織を広げて、はかまに手を入れて正座下。次に代表が岩淵にものものしい書状を渡して読むように言った。それは福井の大名からのもので、福井の政府筋の挨拶と福井までアメリカ人教師をおつれするよう述べてあった。・・・・

 不意の客と予告してある客についての差別は、旅館とその経営者に関していうと、高度な文明国と同様に日本にもある。冬、日本の宿屋に突然入ると、冷蔵庫にいるほど身震ぶるいが生じ、しびれをきらしてわびしく待つ間、グリーンランドのことを思いやっていると、ようやく火と食事が運ばれ、体が暖まり気分が和らぐ。けれども大津では、馬を中庭に乗り入れると、赤々と燃える火が用意してあった。靴と外套を脱ぐと、最上の部屋に案内された。寝床には絹のふとんが重ねて敷いてあり、部屋の真ん中にこたつがあったのが最高にうれしかった。気の毒だが文明国の読者、西洋の未開人には、こたつが何かわかりますか。わからなければ教えましょう。

 部屋の真ん中のあの一フィート四方の畳をあげてみなさい。そこに深さ数インチの石で内張りしたくぼみがある。太った赤いほっぺたの女中が十能いっぱいの燃えている炭をそこに入れる。その上から櫓を真似てその名をとった「やぐら」という高さ一フィートの木の枠を置く。さらにその上に大きなふとんを広げて掛ける。それは即席のむろで、ふとんをまわりにかけて体を焼くのである。なかに小さな熱の天国があって、体のふるえをぽかぽかするぬくもりに変えてくれる。日本が未開の国でひどい所だと信じている不平家を、十分間で、この国は天国だと喜んで言明する熱狂的な人に変えるのが、こたつであると断言してもさしつかえない。・・・・・・

 正午、近江の国境を越えて越前の国に入り、二時にその一画である福井藩の領地に入った。「わが藩主」の支配下に入ったので、その証拠を見たいと思った。その期待どおりであった。村ごとに名主(村長)が晴着をつけて出てきて、歓迎の挨拶をした。村から半マイルも前まで挨拶に出てくることもあった。うやうやしく地面にひれふして歓迎をすると、先頭に立って急ぎ足で村の中を外れまで案内し、そこでひざまづいておじぎをし、「サヨナラ」を言って別れた。昼二時間休んで昼食をした後、夕方ごろ敦賀に着いた。町の役人が出迎えて、町一番の旅館へ案内してくれた。

 八人の仲間はその晩いつもと違って陽気であった。
 ・・・二人の芸者が歌、踊り、酒をふるまいに登場した。数人の武士がいわゆる男だけの珍しい、たくましい踊りをした。・・・・
 私の部屋には中国の阿片戦争を題材にした外国船、大砲、戦術の生々しい絵のある日本語の本があった。手垢がついてページのすみが折れているところから、繰り返し読まれたことがわかる。この本は阿片戦争後まもなく日本で発行されていて、まさかの時の日本人の心の準備にされていた。
・・・略・・・

 武生を出て山あいを福井へと向った。・・・二時間元気よく馬に乗って行くと福井が見えてきた。・・・見るのはただ黒っぽく広がる屋根の低い家、大きな寺院、切妻、天守閣、竹薮、それに森であった。これが福井であった。
 例によって役人が町境まで迎えに来た。熱心に見たがる人でにぎわう通りを馬で行く。
 ・・・・まもなく橋を渡り川を越えると、急に止まって、木の立ち並ぶ美しい庭の門を通り、大きな古い立派な家の玄関先で馬をおりて中に入った。絹物の晴着を着て、刀を差し、草履にちょんまげの数人の役人から会釈と、今は慣れていないがたぶんうまくなると思われるような不器用な心のこもった握手とで、迎えられた。

 そしてこれから私が住むことになる家に入った。日本式家屋で、アメリカ人が生活を豊かにするためのものを入れて洋風化してあった。障子や窓にはガラスが入れてあった。ピークスキル・ストーブ(持ち運びできる石炭ストーブ)が真赤にたいてあって、暖かく歓迎してくれた。
 美しい寝台、洗面器台、上等の家具が置いてあった。こんなものがどうして手に入ったか不思議であった。しかしそれはすぐわかった。一人の愉快な目の役人がたどたどしい英語で「私ニューヨーク行きました。私わかります。あなた好きですか」と言ったからで、私はすぐ相手の手をにぎって友人になった。その後佐々木(権六)は私の右腕になった。

 それから食事になった。日本人にとってこの外国文明の人物は特に興味があった。皿、ナイフ、フォーク、薬味瓶立て、飾り皿の並んだ大きな食卓の椅子に座る。ピカピカの料理道具を使ってスープ、魚、野菜、肉の盛大な食事を経験する。肉、ぶどう酒、甘美な菓子が味覚を満足させ、腹を満たす。これらのことは外国文明のすぐれていることを明らかに日本人に証明しているように思われた。
 私の料理人が前日に福井に着いていたので、一行八人は飲食物の品数の多い外国式食事についた。役人が帰った後、トランクを開け、住居にアメリカの家庭の雰囲気を出すために部屋飾りをしてその日を過ごした。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
お久振りです、昨日は立春 ! 寒い冬もあればこれからだんだんと暖かくなって桜の季節、四季を持つ日本の自然は素晴らしいですね。慶応3年、福井藩で初めて海外留学生としてアメリカに渡った日下部太郎とグリフィスの結びつきは、有名ですね。当時の教育にかける福井藩の姿はそのまま日本の縮図であったと思います。
Posted by カピタン at 2007年02月05日 10:19
カピタン様
今年は未だに雪のない珍しい冬となっています。今日もいいお天気で、嘘のようですよ。

>>日下部太郎とグリフィスの結びつきは、有名ですね。

グリフィスは福井で日下部の父に会っています。太郎は首席で卒業しましたが、米国で死んでしまったのですね。太郎に授与されたラトガー大学のファイ・ベータ・カッパ協会のゴールドキーを父に渡したということです。

Posted by 小楠 at 2007年02月05日 10:37
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