2007年02月03日

大国主神の国譲り

 また古事記の続きを掲載します。
 いよいよ国譲り神話まで来ました。前回との間にも一つ物語がありますが飛ばして行きます。
 また、国譲りは、出雲側からは国造りをされた方へ奉還する、つまりお返しするという立場だと言うことです。
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※建御雷神(たけみかづちのかみ)と事代主神(ことしろぬしのかみ)
 天照大御神は「今度はどの神を遣わすのがいいでしょうか」と仰せられた。そこでオモイカネの神や諸々の神が、「天の安河の川上の天の石屋におられる、伊都之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)という名の神を遣わせばよいでしょう。もしこの神でなければ、その神の子のタケミカズチノヲノ神を遣わすとよいでしょう。またそのアマノオハバリの神は、天の安河の水を逆に塞き上げて、道を塞いでいますので、他の神は行くことができないでしょうから、特に天迦久神(あめのかくのかみ)を遣わして問われたらいいでしょう」と申し上げた。

 そこでアメノカクの神を遣わして、アメノオハバリの神に問われると、「畏まりました。お仕え申し上げましょう。しかし、このお役目には我が子のタケミカヅチの神を遣わすのがいいでしょう」と申し上げて、ただちに差し出した。そして、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)をタケミカヅチの神に副えてお遣わしになった。
 そんなわけで、この二柱の神は出雲の国の伊耶佐の小浜に降り着いて、十拳剣(とつかつるぎ)を抜き、逆さに波頭に刺し立て、その剣の切先にあぐらをかいて坐り、オホクニヌシの神に問いかけて、「天照大御神と高木神の命でそなたの意向を聞きに遣わされた者である。そなたの領有する葦原中国は、我が御子の治める国としてご委任になった国である。そなたの考えはどうなのか」と仰せになった。

 これに答えて「私には返事ができません。我が子の八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)がお答えするでしょう。しかし、鳥狩や魚取りで、美保の岬へ行って、まだ戻っておりません」と申した。そこで天鳥船神を遣わしてヤエコトシロヌシの神を呼び寄せてお尋ねになったところ、その父の大神に「畏まりました。この国は天つ神の御子に奉りましょう」と言って、ただちに乗ってきた船を踏み傾けて、天の逆手を打って、青葉の柴垣に変えて、隠れてしまった。

 そこでタケミカヅチの神はオホクニヌシの神に「今あなたの子のコトシロヌシの神はこのように申した。他に意見のある子はいるか」と問われた。するとまた申すには、「私の子に建御名方神(たけみなかたのかみ)と申す者がいます、この他にはいません」と、このように申し上げている間に、そのタケミナカタの神が、千人引きの大岩を手の先に差し上げてやって来て、
 「だれだ、私の国にやって来て、そのようにコソコソ話をするのは。それなら力くらべをしよう。では先ず私があなたの手を掴んでみよう」と言った。そこでタケミカヅチの神がその手を掴ませると、たちどころに氷柱(つらら)に変化させ、また、剣の刃に変化させてしまった。それで、タケミナカタの神は恐れて引っ込んでしまった。

 次に、タケミナカタの神の手を掴もうと申し出てお掴みになると、葦の若葉を掴むように握り潰して放り投げられたので、タケミナカタの神は逃げてしまった。それで、追いかけて信濃の国の諏訪湖まで追い詰めて殺そうとされた時、タケミナカタの神は「恐れ入りました。私を殺さないで下さい。私はここ(諏訪)から外へはどこにも行きません。また私の父のオホクニヌシの神の命令にも背きません、またヤエコトシロヌシの神の言葉にも背きません。この葦原の中つ国は、天つ神の御子のお言葉に従って、献上しましょう」と申した。

 そこでタケミカヅチの神は、また出雲に帰って来て、オホクニヌシの神に「あなたの子、コトシロヌシの神とタケミナカタの神の二柱の神は、天つ神の御子のご命令に従い背いたりしませんと申しておるが、あなたの考えはどうですか」と問われた。
 これに答えて「私の子の二柱の神の申しますように、私も背きません。この葦原の中つ国は、仰せの通りすぐに献上いたしましょう。
 ただ私の住居は、天つ神の御子が皇位継承をされる立派な宮殿のように、地底の磐石に宮柱を太く立て、空に千木を高々と立てた神殿をお造り下さるならば、私は遠い幽界に隠退していましょう。また、私の子どもの多くの神たちは、ヤエコトシロヌシの神が、神々の前に立ち後ろに立ってお仕え申したなら、背く神はいますまい」と申した。

 こうしてオホクニヌシの神が申して、出雲の国の多芸志の小浜に神聖な宮殿を造って、水戸(みなと)の神の孫櫛八玉神(ひこくしやたまのかみ)が料理人となって神饌を献上するとき、クシヤタマの神が鵜になって海の底に潜り、底の粘土をくわえてきて多くの平たい土器を作り、海藻の茎を刈って火きり臼とし、海藻の茎で火きり杵を作って、火をきり出して言うには、

「この、私がきり出した火は、高天原ではカムムスヒの御祖の神の立派な新しい宮殿の煤(すす)が、長く垂れ下がるまで焚き、地面の下は底の磐石に届くまで焚き固めて、千尋もある長い縄を延ばして海人(あま)の釣る、口が大きく尾ひれのみごとな鱸(すずき)を、ざわざわと賑やかに引き寄せ上げて、台もたわむほど沢山の神聖な魚の料理をたてまつります」
と言った。そこでタケミカヅチの神は高天原に帰り参上して、葦原の中つ国を平定し帰順させた状況を復命された。
終わり

この後、天照大御神と高木神が葦原中国の統治を委任していたオシホミミノミコトは降る準備中に子供が生まれたので、その子供を推薦した。
 この子は、オシホミミノミコトと、カムムスヒノカミ(高木神)の娘、万幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)との子で、名前は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと)で、ニニギの命として知られています。
 結局ニニギの命は、父方の祖母がアマテラス、母方の祖父がカムムスヒの神ということになります。

posted by 小楠 at 07:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 古事記で見る日本
この記事へのコメント
トラックバックありがとうございました。私はこの小楠さんのブログを目指す目標として始めました。よろしくお願いします。
Posted by 杳路庵主人 at 2007年02月11日 11:17
杳路庵主人様
ご謙遜を恐れ入ります。
私は自分で文章を書くよりも、信頼性の高い人々の著述の引用で、若い人たちが学校で教えられなかったことなどを知らせたいと思って始めました。
またこれからもよろしくお願いします。
Posted by 小楠 at 2007年02月11日 15:48
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