山田のかかしも童謡として歌われていましたから、お馴染みでしょう。

※少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と御諸山(みもろやま)の神
さて、大国主神が出雲の御大(美保)の御前(みさき)におられる時、波頭から羅摩船(かがみのふね)に乗って、蛾の皮を丸剥ぎに剥いだ着物を着て近づいてくる神があった。そこで、その名前をお尋ねになったけれども答えがなかった。また、お供の諸々の神にお尋ねになっても、みな「知りません」と申した。
そこで、たにぐく[蝦蟇、ひきがえる]が、「これは、くえびこ[かかしの神名]が知っているはずです」と申したので、すぐにくえびこを呼んでお尋ねになると「これは神産巣日神(かむむすびのかみ)の御子でスクナビコナの神です」とお答え申しあげた。
そこで大国主神がカムムスビの御祖命(みおやのみこと)にこのことを申し上げると、「これは本当に私の子です。子供の中でも、私の手の指の間から漏れこぼれた子です。そしてお前は、葦原色許男命(あしはらしこをのみこと[大国主の別名])と兄弟となって、その国を造り固めなさい」と仰せられた。そしてそれ以後オオナムヂ(これも大国主の別名)とスクナビコナとの二柱の神が共にこの国を造り固められた。その後は、スクナビコナの神は常世国にお渡りになった。
さて、そのスクナビコナの神であることを顕し申し上げた、いわゆる「くえびこ」は、今でも山田のそほど(かかしの古名)という案山子である。この神は歩くことは出来ないが、ことごとく天下のことを知っている神である。・・・・
※葦原中国の平定
天照大御神の仰せで、「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきながいはあき[長久の意])の水穂の国は、私の子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の治めるべき国である」と委任されて、高天原からお降しになった。
オシホミミの命が降りる時、天の浮橋に立って言われるには、「豊葦原の水穂の国は大そう騒がしいようだ」と。そしてまた戻って、天照大御神に指示を仰がれた。
そこで、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と天照大御神の御命令で、天の安河の河原に八百万の[あらゆる]神を集められて、オモイカネの神に策を考えさせて、「この葦原の中つ国は、私の子が治めるべきであると委任した国である。ところが、この国には暴威をふるう乱暴な神が沢山いると思われる。どの神を遣わせて平定しようか」と仰せられた。
それで、オモイカネの神や八百万の神が協議して、「天菩比神(あめのほひのかみ)を遣わせばいいでしょう」と申し上げた。そこでアメノホヒの神を遣わされたが、この神は大国主神に媚びへつらって、三年たっても復命しなかった。
このため、高御産巣日神と天照大御神、がまた諸々の神々に、「アメノホヒの神は長らく復命しない。次はどの神を遣わすのがよかろうか」とお問いになった。するとオモイカネの神が答えて、「天津国玉神の子の天若日子(あめのわかひこ)を遣わすのがいいでしょう」と申し上げた。そこで天のまかこ弓と天のはは矢をアメノワカヒコに授けて遣わされた。ところが、アメノワカヒコはその国に降り着くや、大国主神の娘、下照比売(したてるひめ)を娶り、おまけにその国を自分のものにしようと計って、八年たっても復命しなかった。
そこで天照大御神と高御産巣日神はまた、諸々の神に、「アメノワカヒコは長い間復命しない。今度はどの神を遣わして、アメノワカヒコが長く留まるわけを問わせようか」と問われた。すると諸々の神やオモイカネの神が、「雉で、鳴女(なきめ)という名のものを遣わすとよいでしょう」とお答え申し上げると、鳴女に、「お前が行ってアメノワカヒコに、『お前を葦原の中つ国へ使いさせたのは、その国の乱暴な神々を平定し帰順させよということである。何故八年になっても復命しないのか』と問うてほしい」と仰せられた。
鳴女は高天原から降り着いて、アメノワカヒコの門前の神聖な桂の木の上に止まり、くわしく天つ神の仰せの通りに言った。すると天のさぐめが、この鳥の言うことを聞いて、アメノワカヒコに語って、「この鳥は、鳴き声が大変不吉です。射殺してしまいなさい」と勧めた。
そこでアメノワカヒコは天つ神から授かった天のはじ弓、天のかく矢でその雉を射殺してしまった。それでその矢が雉の胸を貫通して、逆さまに射上げられて、天の安河の河原におられる天照大御神と高木神(たかぎのかみ)の所に届いた。この高木神は、高御産巣日神の別名である。
高木神がその矢を取って見られると、血がその矢の羽についていた。そこで、高木神は、「この矢は、アメノワカヒコに授けた矢である」と仰せられて、諸々の神に見せて、「もしアメノワカヒコが命に背かず、悪い神を射た矢がここへ飛んできたのなら、アメノワカヒコには当るな、もし謀反の心があるのなら、アメノワカヒコはこの矢に当って死ね」と言われて、矢をとって、矢が通ってきた穴から下に向って突き返されると、朝の床で寝ていたアメノワカヒコの胸に当って死んでしまった。また、その雉も戻らなかった。そこで今も諺に「雉の頓使(ひたつか)い」と言う由来はこれである。
終わり
最後の「雉の頓使い」というのは、行ったきり帰らない使いのことを言います。