
※神の神生み
伊邪那岐、伊邪那美の二神は国を生み終わって、更に神をお生みになった。その神の名は、・・・・・・・次に海の神、名は大綿津見神(おほわたつみのかみ)を生み、・・・・次に風の神、名は志那都比古神(しなつひこのかみ)を生み、次に木の神、名は久久能智神(くくのちのかみ)を生み、次に山の神、名は大山津見神(おおやまつみのかみ)を生み、次に野の神、名は鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)を生んだ。亦の名は野椎神(のずちのかみ)と言う。・・・・・
次に火之夜芸速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生んだ。亦の名は火之拡堙ソタ(ひのかがびこのかみ)と言い、亦の名は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と言う。この子を生んだために、陰部が焼けて病に臥せた。・・・・
こうして邪那美神は,火の神を生んだために遂にお亡くなりになった。
伊邪那岐・伊邪那美の二神が共に生んだ島は十四島、神は三十五神。
そして伊邪那岐命は、伊邪那美が亡くなる原因となった子、迦具土神(かぐつちのかみ)の頚を十拳剣(とつかつるぎ)で斬られた。・・・・・
※黄泉の国、(概略で飛ばします)
そこで伊邪那岐命は、女神の伊邪那美命に会いたいと後を追って黄泉の国へ行かれた。そして現世に帰ってくれるよう頼みます。
すでに黄泉の国の食べ物を食べてしまった伊邪那美命は、それでも黄泉の国の神と相談してみますと答え、その間自分の姿を見てはいけませんと言います。
その間が大変長いので、男神が覗いてみると、女神の身体には蛆がたかり、ゴロゴロと鳴って、頭には大雷(おおいかずち)がおり、・・・・・・
これを見て伊邪那岐命が驚いて恐れ逃げて帰られるとき、伊邪那美命は「私によくも恥をかかせた」と言って、ただちに黄泉の国の醜女(しこめ)を遣わせて追いかけさせた。・・・・・・
最後に、女神の伊邪那美命自身が追いかけて来た。そこで男神は、巨大な千引きの岩をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据えて、その岩を間にはさんで二神が向き合って、夫婦離別のことばを交わすとき、
伊邪那美命が申すには「いとしいわが夫の君が、こんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を一日に千人絞め殺しましょう」と申した。すると伊邪那岐命が言われるには「いとおしいわが妻の命よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てるだろう」と言われた。こういうわけで、一日に必ず千人の人が死ぬ一方、一日に必ず千五百人の人が生まれるのである。・・・・・
そして、かのいわゆる黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂という坂である。
※禊祓(みそぎはらへ)と三貴子
伊邪那岐命は言われるには「吾はなんといういやな穢らわしい国に行ってきたことだろう。そうだ、私は体を清めよう」と言われて、筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)に到って、禊(みそ)ぎ祓えをされた。・・・・・・
ここに左の御目を洗われた時に成り出た神の名は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)。次に右の御目を洗われた時に成り出た神の名は、月読命(つきよみのみこと)。次に御鼻を洗われた時に成り出た神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。・・・・・
この時、伊邪那岐命が大そう喜ばれて、「吾は子を次々に生んで最後に三柱の貴い子を得た」と言われて、すぐさま御頚の飾りの玉の緒を、ゆらゆらさせながら、天照大御神に授けて言われるには、「汝命(いましみこと)は高天原を治めよ」と委任された。・・・・・
次に月読命に言われるには「汝命は夜の国を治めよ」と委任され、次に建速須佐之男命に言われるには「汝命は海原を治めよ」と委任された。
※天照大御神と須佐之男命(すさのをのみこと)
こうして各神は委任された言葉に従ってお治めになったが、その中で速(はや)須佐之男命は委任された国を治めず、長い髯が胸にとどくようになるくらい長い間泣きわめいていた。
その泣きわめく有様は、青々とした山が枯れ木の山となるくらい泣き枯らし、河や海は悉く乾してしまうほどであった。そのために悪神の騒ぐ声は田に群がる蝿のように充満し、あらゆる悪霊の禍が一斉に起った。
そこで、伊邪那岐の大御神が速須佐之男命に仰せられるには、「なぜお前は委任した国を治めずに泣きわめいているのか」と言われた。これに答えて申されるには、「私は亡き母(伊邪那美命)の国、下界へ行きたいと思って泣いているのです」と申し上げた。そこで伊邪那岐大御神は大変怒って「それではお前はこの国に住んではならない」と仰せられ、ただちに須佐之男命を追放された。さて、その伊邪那岐大神は、淡海(滋賀県)の多賀に鎮座されている。
そこで須佐之男命が申すには、「それでは天照大御神に説明して、参り(下界)ましょう」と申し上げて、天に参上する時、山川が悉く鳴動し、国土はすべて振動した。これを天照大御神が聞いて驚き、仰せられるには、
「我が弟君が上ってくるのは、きっと善い心からではない、我が国を奪おうと思ってのことに違いない」と言われて、ただちに髪をお解きになり、角髪に纏めて、左右の角髪にも鬘(かずら)にも、左右の手にも、それぞれ沢山の勾玉を通した長い玉の緒を巻きつけて持ち、背中には千本の矢が入る靫(ゆき[矢を入れる武具])を負い、脇には五百本の矢の入る靫を着け、また、威勢のいい高い音を発する鞆(とも[ひじに付ける武具で弓を射た時弦が当って音をはっする武具])を着けて、弓を振り立てて、固い地面に股まで没するほど踏み込み、沫雪(あわゆき)が舞うように土を蹴散らして、盛んに男建(おたけび[勇ましい動作])して待ち受け問いかけて、「何の用で上って来たのか」と言われた。
そこで速須佐之男命が答えて、「私には邪心はありません。ただ伊邪那岐命に私が泣きわめく訳を聞かれたので、『私は亡き母の国に行きたいと思って泣いているのです』と申し上げました。 すると伊邪那岐の大御神は『お前はこの国に居てはならない』と言われて追放されました。それで、あなたに母の国に参ろうとする事情を申しあげようと思って参上しただけです。反逆のつもりではありません」と申し上げた。
終わり
ここに出てくる「筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)に到って、禊(みそ)ぎ祓え」の部分は、住宅の新築などで地鎮祭に参列されたことがある方は、神主さんの祝詞奏上の時に、「かけまくもかしこき・・・」の後で、聞き覚えがあるのではないでしょうか。
前回の記事に、祝詞のことをコメントしようと思っていたところでした。
氏神様の巫女をやっていたので、古事記には聞き覚えのあるような言葉がでてきて面白いです。
紀元節が近づいてきたので、私も古事記がらみの本を紹介できたらいいなぁと思って本を読んでいますが、ちょうどこの三姉弟の生まれたところを昨日読んだところです。同時に読めて得した気分です。
>>氏神様の巫女をやっていたので・・
そうでしたか、じゃあこの祝詞は何度もお聞きになって、覚えてしまわれたでしょうね。
昭和天皇が勉強された「国史」は、白鳥庫吉氏が書かれたものを、milesta様がご紹介されていた出雲井晶氏が訳されて出版されています。
おばりん様
丁度おばりん様のページに神棚の写真があったので、TBさせて頂きました。
古事記の記述は掲載しても、なかなか読み難いので、どうかなと思いますが、とにかく続けられるだけはアップしてみます。