2007年01月26日

古事記、天地の初め

 古事記成立の直接の動機は、天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に勅語して、帝皇の日継(ひつぎ)と先代の旧辞をくり返し誦(よ)み習わせられたことですが、天武天皇が崩御されたためその計画は実行されなかった。しかし、天武天皇の御遺志は皇后であった持統天皇に受け継がれ、さらに天武天皇の崩御後二十五年を経て、天武天皇の姪にあたる元明天皇に受け継がれて、太安万侶の手で記され、和銅五年(712年)に献上されました。
 今回は、古事記の中からかいつまんでその物語をご紹介してみます。
eitaku1.jpg

参考書は、講談社学術文庫の古事記です。

※天地(あめつち)の初め
 天地(あめつち)が初めて発(ひら)けた時、高天原に成った神の名は、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日(かむむすひのかみ)である。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)として成り、その身(姿形)を隠されて[姿を現さない]いた。

 次に国がまだ稚(わか)く、脂の浮いたような状態で、海月(くらげ)のように漂っている時、葦牙(あしかび)のように萌え騰(あが)る物から成った神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)である。この二柱の神もみな独神で身を隠されていた。
 上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は別[・・特別]な天(あま)つ神である。
 次に成った神の名は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、次に豊雲野神(とよくもののかみ)である。この二柱の神も独神として成り身を隠されていた。

 次に成られた神の名は、宇比地邇神(うひぢにのかみ)、次に妹須比智邇神(女神のすひぢにのかみ)である。
 次に角杙神(つのぐひのかみ)、次に妹活杙神(女神のいくぐひのかみ)である。
 次に意富斗能地神(おほとのぢのかみ)、次に妹大斗乃弁神(女神のおほとのべのかみ)、次に於母陀流神(おもだるのかみ)、次に妹阿夜訶志古泥神(女神のあやかしこねのかみ)である。次に伊邪那岐神(いざなきのかみ)、次に妹伊邪那美神(いざなみのかみ)である。
 上の件の国之常立神より以下、伊邪那美神より前を、併せて神世七代と称(い)う。

※伊邪那岐命と伊邪那美命 淤能碁呂島(おのごろしま)

 ここに天つ神諸(もろもろ)の命によって、伊邪那岐命(いざなきのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)二柱の神に、「この漂う国を修め理(つく)り固めよ」と詔(の)りて、天の沼矛(ぬぼこ)をさずけて、言依(ことよ)[委任]された。

 かれ、二柱の神、天の浮橋に立たれて、その沼矛を指し下ろして画(か)き廻されたが、潮をごろごろとかき鳴らして引き上げられた時、その矛の末(さき)より垂(したた)り落ちる塩が、累(かさ)なり積もって島と成った。これが淤能碁呂島である。

 その島に天降(あも)りになり、天[神聖な]の御柱を立て、八尋殿(やひろどの[広い御殿])をお建てになった。そして、その妹伊邪那美命に問いかけ、
「汝が身は如何に[どのように]できていますか」と聞かれると、「吾が身は成り整って、成り合わない処が一箇所あります」と答えられた。
 そこで伊邪那岐命が言われるには、「我が身は成り整って、成り余る処が一箇所ある、そこで、この吾が身の成り余った処で、汝(な)が身の成り合わない処にさし塞いで、国土を生み整えようとおもう。生むについてはどうか」と聞かれると、伊邪那美命は「然善(しかよ)けむ[それはいいでしょう]」と答えられた。

 そこで伊邪那岐命が言われるには、「では吾と汝とこの天の御柱を廻って出会い、夫婦の契りをしよう」と言われた。こう約束して、「汝は右より廻って会え、我は左より廻って会おう」と言い、約束通り廻るとき、伊邪那美命が先に「ああ、なんと愛しい男性でしょう」と言い、
 後に伊邪那岐命が「ああ、なんと愛しい女性だろう」と言い、各(おのおの)言い終わった後、その妹に告げて、「女人が先に言うのは良くない」と言われた。けれども寝所でむつんで、不具の子、水蛭子(ひるこ)を生んだ。この子は葦の船に入れて流し棄てた。次に淡島を生んだ。これも御子の数には入れなかった。

※神の国生み概略
 二柱の神は高天原に戻って、天つ神の指図を仰がれた。仰せられるには、「女が先に言葉を発したので良くなかった、帰って改めて言い直しなさい」ということで、それに従われた。そして生まれた子は、淡路之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)[淡路島]である。次に伊予之二名島(いよのふたなのしま)[四国]を生んだ。・・・次に三つ子の隠岐島を生んだ。・・・

次に筑紫島[九州]を生んだ。・・・・次に壱岐島を生んだ。・・・次に対馬を生んだ。・・・・次に佐渡島を生んだ。

 次に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)を生んだ。・・・・・そしてこの八つの島を先に生んだので、わが国を大八島国という。
 こうして大八島を生んで帰られる時に、吉備児島を生んだ。・・・次に小豆島(あずきしま)を生んだ。・・・次に大島を生んだ。・・・次に女島(ひめしま)を生んだ。・・・次に知訶島(ちかのしま)を生んだ。・・・次に両児島を生んだ。


 大変読みづらかったかも知れませんが、できるだけ簡単に飛ばしてみました。現在でも使われている名前がこのように出てくるのが興味深いと思いますが、いかがですか。
posted by 小楠 at 07:25| Comment(2) | TrackBack(1) | 古事記で見る日本
この記事へのコメント
確かにちょっと読みづらかったです(^^;)
後半は私も何となく知識があるので理解できるところはありましたが。
でも、いつかちゃんと勉強してみたいなと思っていたところではありますので、参考になりました。
Posted by j.seagull at 2007年01月26日 14:32
j.seagull 様
>>確かにちょっと読みづらかったです(^^;)

日本語の読みに漢字をあてて書かれているので、なかなか読みにくいですね。
内容は非常に易しいことなんですが。
児童書くらいで読むと楽しいかもしれないのですが、これからもできるだけ簡易に書き替えながら掲載しょうと思っています。
Posted by 小楠 at 2007年01月27日 07:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/3169795
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

『にっぽんのかみさまのおはなし』 いずもい あき
Excerpt: にっぽんのかみさまのおはなしいずもい あき (1999/10)産経新聞ニュースサービスこの商品の詳細を見る 子供達の通うオーストラリアの公立学校では、週に一回宗教の時間がある。初め、いくつかの..
Weblog: 本からの贈り物
Tracked: 2007-01-26 18:39