その当時(慶応三年)の日本を、フランス人がどのように見ていたか、なかなか興味があります。

引用開始
横浜 四月二十三日
きょうわれわれは、はじめて日本の都市内部の探検をおこなった。まだ人気のない、黒焦げのもえのこりが目につく一部の地域は別として、この町が昨年十一月の恐ろしい火災のため完全に破壊されたとは誰も気づかぬであろう。
道路は大変幅が広くて真っすぐだ。どの家も縦材でつくられ、ひと刷毛の塗料も塗られていない。感じ入るばかり趣があり、繊細で清潔かつ簡素で、本物の宝石、おもちゃ、小人国のスイス風牧人小屋である。
日本国民は木材を見事に細工する。滑り溝を走る隔壁、縦の棒で出来た細い枠ぐみ、その格子の上には綿毛で覆われ、光を通す紙が貼られる。こうしたもので支えられる、軽いが丈夫な屋根を見るのは興味深い。一軒の家がこのような紙製の薄い間仕切り壁しか持てぬということは、わたしの思いも及ばなかったところである。
日が暮れてすべてが閉ざされ、白一色のこの小店の中に、色さまざまな縞模様の提灯が柔らかな光を投げる時には、魔法のランプの前に立つ思いがする。・・・・
われわれはすでに挨拶の言葉を話しはじめている。「オハイオ」はボンジュール。「オメデト」はわたしはあなたを祝う。「イルーチ」はきれい、魅力的。「セイアナラ」はまたお目にかかりましょうだ。
それにこの民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。われわれのほんのわずかな言葉、ささいな身振りをたいへんに面白がる。
男たちは前に述べたとおり、ちょっとしたものを身に付けただけでやって来て、われわれの時計を調べ、服地にさわり、靴をしげしげと見る。そして、もしも彼らの言葉をまねて少々大胆すぎるほど不正確に発音すると、口火用の筋状に巻いた火薬に火をつけたように、若い娘たちの間から笑いがはじける。
そこからわれわれは弁天の社へ赴く。薫香、香水、何千という奉納物、大きな鐘から取るに足りない手芸品、要するに清潔さを別にすればシナの寺塔と何一つ変わるところはない。ああ、あのように不潔、下品なあの中国を離れて間もない今、どんなに深い喜びの気持で日本への挨拶をすることであろうか。
ここでは物みな実に明るく、美しい色調をもって眼に映ずるのである。何という対照であろう。健康を害う沼のどろどろした汚泥から、こんこんと湧き出る泉の、底の見える冷たい流れへ、死の平原から永遠の緑へ、または石ころを投げ、熊手を振るってわれわれを殴り殺そうとした民衆から、この地球上で最も温和で礼儀正しい住民へと転換するのである。・・・・
先へ行くと織物を売る女が、店の畳に腰をおろすよう、にこやかな笑顔で招く。これは彼女にとってたいへん名誉なことであるらしい。その証拠にわれわれが近づくと平伏し、顔を畳にすりつけるのである。
急いで彼女はわれわれ三人に可愛い茶碗でお茶を出し、パイプに詰める煙草を供する。そして、うやうやしい手付きで細い小さな棒二本を使って、火のついた木炭を差し出す。庶民の一婦人のこの優雅さを、動作の些細な点に至るまでのすべてを描き出すことは、わたしにはとてもできないであろう。彼女の顔立ちには表情があり、にじみでるごく自然な女らしい愛嬌があった。
この場合と限らず、どんな家でも人が訪ねて来れば、同じような敬意のしるしに出会うであろう。これにはわれわれはびっくり仰天し、感心し、われわれを野蛮人扱いする権利をこの民族に心底から認める。
路上で殴りあいも口論も見かけなかったし、誰彼となく互いに挨拶を交わし、深々と身をかがめながら口もとにほほえみを絶やさない。われわれが努めて愛想よくする時でさえも、この日本人たちに較べれば態度がぎこちなく、彼らにはそのつもりがなくても愛嬌がある。・・・
四月二十四日
・・・・ わたしは、日本人以上に自然の美について敏感な国民を知らない。田舎ではちょっと眺めの美しいところがあればどこでも、または、美しい木が一本あって気持のよい木陰のかくれ家が旅人を休息に誘うかに見えるところがあればそんなところにでも、あるいは、草原を横切ってほとんど消えたような小径の途中にさえも、茶屋は一軒ある。・・・・
われわれが馬からおりるとすぐに、ニ、三人の娘がやさしく愛らしくお茶と飯を小さな碗に入れて持ってくる。老婦人が火鉢と煙草をすすめる。他の小径を通ってやって来た日本人の旅人も、われわれと同じように歩みをとめる。
彼らはわれわれに話かけるが、たいそう愛想のよいことをいっているに相違ない。当方としては彼らの美しい国をどんなに愛しているかを伝えられないことが残念であった。しかし、古くから馴染んで日本人同然のランドウ氏は、彼らの丁寧に語ることをすべて通訳し、われわれの礼儀正さを彼らに伝える。
それから一同は再び出発し、湾の奥深い所に見える遠い村まで下りてゆく。そこでは、これはどの道を通る場合も同じだが、その住民すべての丁重さと愛想のよさにどんなに驚かされたか、話すことは難しい。
「アナタ、オハイオ」(ボンジュール、サリュ)、馬をとばして通り過ぎるわれわれを見送って、茶屋の娘たちは笑顔いっぱいに叫んだ。・・・
思うに、外国人が田舎の住民によってどのように受け入れられ、歓迎され、大事にされるかを見るためには、日本へ来てみなければならない。
地球上最も礼儀正しい民族であることは確かだ。そして、こうも違うわが母国の方へ思いを移すとき、悲しくなる。
引用終わり
まったく文化の異なる日本へ来た、フランスの、当時21歳の青年が見た日本と日本人です。
幕末から明治にかけて来訪した外国人の書物には、ほとんど全部に日本の街が大変清潔で、同時に日本人が大変清潔好きなことが書かれています。
当時はたいてい中国経由で来訪していますが、中国の不潔さと比較しているものが多いです。
更に彼らが共通して感心するのは、日本人の礼儀正さです。
今の日本人、特に一部若者には耳が痛い話でしょう。
外国人から見たこの時代の日本の様子を書いた話は、ついほのぼのとした気分にさせられますね。シナとの対比も可笑しかったです。
昨日あたりから社民党阿倍知子の発言に怒り心頭だったので、少し癒されました(笑)
ところで、「イルーチ」って何でしょう???
P.S.
「全文リットン報告書」はやっと読み終えました。
貴重な数々の蔵書のご披露、大変ありがたく感じております。
このサイトでなければ知り得なかった書物やエピソードばかりで、
我が国の過去に対する歴史観が大きく変わりました。
以前は、自分の祖父の世代だけモラルが突然低下し、戦後に
また元に戻った様な印象でしたが、それはそれで奇異な感じ
がしておりました。
しかし、いろいろな証言や書物の情報に触れるたびに、
そうではなかったのではないか?との思いを強くし、
現在に至っています。
今後とも、貴重なご意見や自分の知らない情報を求めて
お邪魔させていただきます。
よろしくお願いします。
>>社民党阿倍知子の発言に怒り心頭
もう漫画みたいな党と議員ですね。こんな者に税金が使われている日本がおかしい国ですよ。
>>「イルーチ」
私も判らないのですよ、「美しい」をこう聞こえたのか、当時の言葉があったのか、そのまま書いておいたので。
いつも見て頂いて有難うございます。
それに、このコメントは、継続意欲にまた力を授けてくれます。
このブログの内容が、K2様にとって、少しでもお役に立っているとしたら、私も嬉しい思いです。
またこれからもよろしくお願いします。
いつも見て頂いて有難うございます。
大変励みになるコメントを有難うございます。
経済やITが発展しても、今のままでは精神世界に於いては退化の一途をたどっていますね。
日本人としてまともな判断ができる方がもっと多く増えてくれることを祈るぎかりです。
今後ともまたよろしくお願いします。
それにしても、フランス青年の見た日本の風景を取り戻せるのかな?
>>社民党の議席には、マネキンでも置い>>といた方がまだ害がないよ。
確かに、しゃべらなければ害も無いですからね。
で人権費は無しの上傍聴料を頂きましょう。
マネキンは勿論人間の姿じゃないでしょうね。
売国日教組教師の自虐捏造史観や、やる気のない事務的な説教などより、よほど日本人である事の誇らしさや喜びをくすぐり、一層良き人間足るべしと、向上意欲を掻き立てると思いますね。
このブログは初見ですが、無知な自分には勉強になりますので、今後とも愛読させて頂きます。
応援しています。
コメント有難うございます。
今の日本に先ず必要なのは仰る通り、売国日教組教師の一掃でしよう。
彼らは本当に罪深いと思います。青少年の将来を嘘や捏造してまで枉げてしまうような輩は、およそ教師などと呼べるような存在ではありませんね。
このブログ記事がお役に立てれば私も嬉しいです。
これからも宜しくお願いします。
腰が痛いのは辛いものです。
私も14年間悩まされました。
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腰をお大事に。