2007年01月23日

歪められた日本神話5

神話学者の想像力について

 ここでは簡単に言うと、日本神話は、古いものほど新しく作られたものだという「架上説」を取り上げています。例えば、古事記でいちばん最初に現れる神は、実は最も新しく作られたものだというようなことです。
今回もそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
画像は永濯画の神話物語より
eitaku3.jpg

引用開始
 日本神話でっち上げ説も数ある中で、特徴的なものに「架上説」といわれるものがある。これは特にアメノミナカヌシを論ずる人がたいてい依拠するもので、いまの学者では松前健氏などはその急先鋒といえる。
 古事記ではアメノミナカヌシは、いちばん最初に現れる原初神である。しかるに古代伝承というものは上へ上へと積み上げられて生成するものであるから、最も古い神とされるアメノミナカヌシは、実は成立は最も新しいのである、という考え方がその骨子だ。
 津田左右吉ももちろん、都合のよいところにはこの説を援用しており、例えばイザナギ・イザナミはアマテラスが作られた後、その親として後でこしらえられた神だと言っている。・・・・
 表現がきわめてわかりやすいのでその松前氏の言うところを見よう。

「・・・私の考えを率直に申し上げれば、皇室の本来的な王権の祭式といえば、大嘗祭です。それの縁起話として稲穂を持った皇孫の天下り、すなわち天孫降臨の神話ができる。天孫降臨神話は天皇家の基本的神話ですが、なぜ天孫が降臨するかということの原因として出雲神話が語られ、スサノヲの神剣奉呈が語られる。このスサノヲの出雲下りの原因として天岩屋戸の神話が登場するのです。
 天岩戸の神話がいったんできあがると、次には、なぜ太陽の神が隠れたのだろうかという原因の探求がなされる。そこでスサノヲの天界荒らしの話が語り出されるというふうに、結局、各説話が原因・結果の関係になって互いに結びつき、天孫降臨そのものがいちばん本筋で中核的な理念となっている。この原因として次々にそれ以前のこととして述べられている説話は、かえって新しくつけ加えられたものにちがいない。・・・」

 これを見る限りまことに明快というものだが、まったくいけない。
 氏の議論では、架上の原則というものが一切検証ぬきにまず成り立つものと設定しておいて、それに合わせて日本神話の各部分の成立次第をすべて割り切るわけだか、このようにまず仮定を立ててそれを個々の事例に適用するという演繹的方法は論理としてまったく成り立たない。・・・・

 神話の生成の問題の場合では、各民族の神話の生成について、架上によることが確実な事実が無数にあって、その法則が例外なく成り立っていることが確認されたときには有効だろう。・・・・
 ところが、世界中に、架上によると確実に言える神話はたった一つも存在しない。また日本神話の中でも、これだけは架上によって成ったものだと確実に言える説話はたった一つも存在しないのである。・・・・
 それは全部、例外なく、「架上説によって考えればこうなる」というものであって、架上の事実を例証するものではない。・・・・

 理由をこしらえたという以上は、まだこしらえられていない段階があったということだ。つまり、わけがわからない話の段階があったということだ。そんなときこれを語り伝えるという現象は起りようがない。・・・

※継体新王朝説をめぐる「想像力」
 世に「継体新王朝説」というものがある。二十五代武烈天皇が崩じて皇統が絶え、世が混乱したときその混乱に乗じて田舎の豪傑の一人が自分は皇胤だと称して世間の目をくらまし、まんまと皇位に即いたのが継体天皇である、という学説である。

 すべてに共通しているのは非論理と、想像力の欠如である。非論理というのは次のことを指す。
 つまり、継体天皇が応神天皇の五世の孫であるということは日本史の最大の基本文献である日本書紀に書いてあることである。古事記にも明記されていることである。さらに、古事記・日本書紀より成立が早いことが立証されている上宮記にも書かれている。

 継体を田舎の豪族だとする説は、これらの書物の内容をデタラメだと断定する説にほかならない。・・・・・
 例えば、継体は即位後二十年間大和の国に入らなかったということが日本書紀に書いてある。・・・・
 学者はそれをとらえて、大和に入らなかったのは、偽称の王であるから殺されるのを警戒して近寄れなかったのだと憶測する。・・・・
 正史の大筋がそんなにデタラメなものなら、まず河内樟葉宮に入って即位し、次に山背の筒城宮に遷り、さらに弟国宮に遷り、といったこまごました話がどうしてデタラメではないのかそれらも全部嘘だと主張し出したなら、そのときは彼らの「論理性」を多少は認めてよかろう。勿論そのとき彼らは歴史家ではあり得ないが。

 今挙げた例で言えば継体はたしかに二十年大和に入らなかった。もしこれが殺されることを警戒してのことだったなら、なぜ樟葉宮だの筒城宮だの弟国宮だのという、いちばん危険な所に宮居していたのか。そこからは大和から軍勢が攻め寄せたら一日ももたない無防備の地である。要害の地ではない。城塞もない。・・・・
 二十年間も、殺されるのが恐くて大和の地に足も踏み入れられないような臆病な簒奪者が、なぜ敵地の近所でうろうろしていたか。
 ここで、初歩的な、しかし正しい想像力を働かせるとこうなる。それは
「危険がなかった」からである。
引用終わり

 どうも主流と言われる学者は、なんとしても日本の神話を貶めたいために色々な説を考えているようにしか思えないのですが。 近いうちに、古事記の概略をアップしてみますので、またご覧頂きたいと思います。 
posted by 小楠 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本
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