2007年01月20日

歪められた日本神話3

切り貼り、ツギハギ、でっちあげ神話

 とにかく日本国の成り立ちを貶めるのが目的のような神話学者が多いのにはいやになります。これを元にして教えられるのですから、戦前からの神話になじんだ方々には驚きではないでしょうか。
 今回もそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
画像は米国教科書の挿絵、岩戸開き。アマテラスが自分の姿が鏡に写っているのを見ているところ。
iwato.jpg

引用開始
 ― むかしむかし、どこかから、なにやらわけのわからぬ乱暴な男がやって来て、おどしつけて国をよこせと言いました。大国主は承知しました ― ・・・・
 どこかの乱暴者に国を渡す約束をさせられた。
 たったこれだけの話を語り伝える集団などあり得ないことである。
ここで改めて注意したいのは、「強引な接合」ならば、交渉にやってきた男たちにはもともと名前がないということである。
しかし、素性が知れぬ名前も知れぬ男どもの話などは、長く人々に語り伝えられるということがあり得ない。桃太郎にしろかぐや姫にしろ、名前がないのでは文字通り話にならない。・・・・

 大国主という名前だけは現れるが、これは無名と同じである。なぜなら、これがアマテラスや天孫の話と無関係である以上、大国主がアマテラスの弟スサノヲの直系子孫ではあり得ないからである。これはほかのいかなる神々とも関係がない。
それなら何者であるか。何者でもありはしない。そこらのただのオヤジにすぎない。そんな話は伝承されることはないのである。
 
 互いに無関係な別々の話を、適当に切り貼り細工をしてくっつけたのが記紀神話だとするこの種の説を、私は上品に統合説などと名づけているが、実際は切り貼り、ツギハギのでっち上げ説である。
 国譲りと天孫降臨だけではない。古代史や古代文学の専門家はほかの部分についてもほとんど統合説である。例えば上田正昭氏は、スサノヲを論じて言う。

「高天原での荒ぶる行為と、中つ国でのまったく逆の荒ぶるものを平定する行動と、この神の行動はあまりに背反する。(略)なぜこのように矛盾する神語りとして、スサノヲの神代史が形づくられたのか」。

 といった問題の立て方をする。ここでもまた「矛盾」と「形づくり」の話となる。矛盾があるから新しい作文だとする例の説である。ちなみに国譲りの話がでっち上げられたのは和銅元年(708年)以後だとしている。古事記の完成は古事記の完成は和銅五年(711年)なのだが。
 さて上田氏がここで言っているスサノヲの荒ぶる行為というのは、次のような行為を指す。

 イザナギが禊のときに左の目からアマテラス、右の目からツクヨミ、鼻からスサノヲが生まれ、それぞれ領知すべき所が命ぜられる。スサノヲは海原が指定される。しかし承知せず猛烈に泣き叫んで、青山は泣き枯らし河海は泣き干すという様子となる。天界は大混乱に陥り悪神悪霊の跳梁するところとなる。そこで高天原を追放される。

 その後アマテラスに挨拶すると言って天に上るが、その暴悪の様子がアマテラスに警戒される。そこで天の安の河で誓約、子生みがある。スサノヲは勝ったと誇って乱暴の限りを尽くす。有名な畔離ち、溝埋み、屎まり、また馬の逆剥ぎなどである。
 このため姉のアマテラスは天の岩屋戸にこもり、全宇宙は暗黒に閉ざされることになるのだが、つまりはそれほどの暴虐だった。これがスサノヲの荒ぶるわざである。

 荒ぶるものを平定する恭順の態度というのは、高天原を追放された後、出雲で八岐大蛇を退治したこと、大蛇の尾から出た宝剣をアマテラスに献上したこと、クシナダヒメと結婚して喜びの歌を歌い、平和的に出雲を経営したこと、などを指している。
これを上田氏は「矛盾」と見「不安定」と見「混乱」と見る。そして次のように結論する。

「ほんらい荒ぶる神=国つ神としてあったスサノヲの神話が、高天原系の天つ神の神話に附会されたために、こうした混乱がおこったともいえよう」。

というわけだ。
「附会」だというのである。切り貼りのでっち上げ説だ。
 上の暴虐と恭順についてはことさら「矛盾」とは見ない学者もあるが、この「附会」であるという点では日本の学者はほとんど全部この説である

 上田氏は、スサノヲの高天原での乱暴と出雲での八岐大蛇退治が矛盾すると言うのだが、あんな恐ろしい怪蛇を退治するのだ。強大な戦士神たる神威がなくてはどうにもなるまい。また神話の全体系の中でも主要な神であるスサノヲであるからには、各局面においてさまざまな性格、神性を顕示するのは当然のことである。
 アマテラスにしてもただ優しいだけではない。恐るべき戦闘神としての性格も見せるのである。イザナギにしても、妻を失って泣き叫びもするが、我が子の首を大剣で斬り飛ばしもするのである。あたりまえの話だ。

―― ところで、私はいま、なにか非常につまらないことを言っているような気がする。神にしても人にしてもいろいろな表情を見せるなどということは、幼児でも知らぬ者のないまったくあたりまえのことである。大の男、大の大人が黒けむりをあげて主張するような話ではあるまい。

 しかしながら上田正昭氏は、人(神)が優しかったり暴れたりすることを、明確に「矛盾」「不安定」「混乱」と主張してやまない。上田氏ご本人は、笑ったり怒ったりしないのだろうか。
 上田正昭といっても知らない人は知らないだろうが、現代日本で古代史学の第一人者だと評しても首をかしげる人は多くないはずである。京都大学教授を長く務めた有名な学者だ。私は決して、市井の古代史マニアの珍説をあげつらっているのではない。「珍説」にはちがいないが。
引用終わり

 読まれた方、どう思われましたか。これが代表的といわれる学者の説らしいですが、無理やり矛盾ときめつけているとしか思えません。荻原氏は「非常につまらないこと・・・」と言われていますが、私も本当にバカらしい説としか思えません。
posted by 小楠 at 07:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本
この記事へのコメント
別件で申し訳ありません。
漢字が読めない韓国政府が慰安婦募集の広告を”強制連行”だと言っているみたいです。(写真つき)
http://photo.jijisama.org/ianfu.html
Title:大爆笑!韓国政府が自爆!慰安婦の正体を暴露!
失礼します。
Posted by ケイさん語録 at 2007年01月20日 10:21
ケイ様
有難うございます。
早速あのページに追加でリンクしておきました。
それにしても憎きは朝日!!
Posted by 小楠 at 2007年01月20日 10:47
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