2007年01月18日

歪められた日本神話1

そこには皇室を貶めたい意図が?

 ご存知のように、日本の神話も戦後は全く教えられることがなくなっているようで、おまけに神話が否定されたり、政治的な、イデオロギー的な意図が入り込んでいるとしか思えない解説等が主流となってしまっているようです。
 今回はそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
shinwa.jpg

引用開始
 ところで、日本神話についてものを考えるということは、古事記や日本書紀や古語拾遺や風土記や、そうした日本古典を主要なテキストとして考えるということにほかならない。
 本来政治的な主張・思想の面の相違・対立などはまったくかかわりのないはずの世界である
 例えば芭蕉や西行、枕草子、源氏物語などの研究において政治的保守派と、例えばマルクス主義者との間に激烈な対立が起こるといったことは、時にはあるのかもしれないがあまり普通ではないのではないか。
 はじめにも触れたがまことに残念ながら、日本神話についてはなかなかそうもいかない。

 日本神話は、現存する皇室のいわば先祖を語る物語であり、そして話が「皇室・天皇」となれば、現在の日本人にとっては、ほとんど政治的立場を二分する指標ともなっているからである。
 天皇の存在というものをあまり認めたくない立場の人々は、どうしても日本神話などは近頃のこしらえ物にすぎぬという意見に身を寄せたくなる。軽蔑的・冷笑的に考えたくなる。逆の人は逆になりがちである。・・・

 こうした事態になっている理由は、あえて言えば皇室の現存という事実にある。いつとも知れぬ遠い昔の、神話に語られる神々の末裔という王家は、こんにち世界に日本の皇室をおいてたった一つもない。ほかはことごとく滅びた。エジプト、ギリシャなどには神の末裔である王家はたくさんあったが、みな滅びた。世界中に普通だったのだが全部滅びた。残ったのは日本だけである。

 しかもそれが政論の主題となりうる。これでは日本人の神話に向う姿勢にひずみが生ずるのもある程度いたしかたもない。諸外国の学者は、政治的立場などまったく意識せずに、淡々と日本神話の研究をしている。・・・
・・・例えば福永光司(京都大学名誉教授)氏の『道教と日本思想』において、記紀神話が戦後、朝鮮の資料との関連で研究が進んでいることについて「戦後の学界を特徴づける革新的な動向であり、戦前の皇国史観的なタブーと呪縛の打破に、大きく寄与しているといえる」としていることにはっきり出ているし・・・
・・・ 古来の天皇の本質を論ずるにあたって、ついこの間の占領下の特殊な政治的文書を根拠にしているのは、私には客観的態度とは思えない。日本の古代思想という壮大な主題に挑戦しようというほどの学者の学問的動機が、そこらの野党議員や日教組講師団の言う程度のものであるのは、侘しい光景と言うべきではあるまいか。

 福永氏が、日本史側の協力者として恃む人が、上田正昭(京都大学名誉教授他)氏という、日本神話は皇室権力正当化のために官僚がでっちあげた文書にすぎないと徹底した論陣を張る人物であることもまた、氏の動機を曇らせる結果になっている。さらに、福永氏の弟子である高橋徹、千田稔両氏の共著書を見ると、・・・・

「わが国に道教は伝わっていないと、過去の歴史学者たちが無理にこだわってきた理由のひとつに『天皇』の問題がある。『天皇』の称号は、道教の神『天皇大帝』に由来するからである。
 道教は思想体系もしっかりしない土俗信仰の寄せ集め。(略)そんな低級宗教の神の名前が『おそれおおくも、わがすめらみことの御名前の由来などではあり得ない、いやあってほしくない』。そういう思いが日本人には強く、学者たちも意図的に研究をさけてきたのである。

 しかし、天皇の称号が道教の神に由来することは、『国民は天皇の赤子』だった戦前でも否定できなかった。国粋主義に反発した歴史学者の津田左右吉氏は、天皇の称号は道教の神の名とはっきり指摘している。」

 これを見ると、「天皇なんて、ありがたがるんじゃないよ」と教え込もうとする意図が、ほとんど「情熱」と化し「喜び」になってしまっているのがうかがわれる。師の福永氏の場合はまだ、純粋で真摯な態度が残っているが、これら弟子たちになるとだいぶ様子が違って、皇室を尊重する気持をからかうのが、もう嬉しくてたまらないといった様子だ。・・・・・

 動機と言えば、この道教起源論は、朝鮮に対する一種の偏見というか迎合というか、ある特殊な心情が言わしめているところがあって、はなはだ落ち着きの悪いものになっていることも指摘しておかなくてはならない。
 道教のこととなれば当然その中継地としての朝鮮半島の意味が大きくなるわけだが、福永氏はこれを「革新的」であり「皇国史観の打破」に寄与しているとして、いわば軍国主義批判として機能させている。これは同時に朝鮮半島へのある種の称揚、遠慮、思いやりといった形になるのだが、これが上田氏になると非常にはっきりし、その帰化人論では、日本書紀から「帰化」の語を探し出して、日本人の朝鮮人に対する当時の優位意識を糾弾するという狙いを明らかにしている。
 千年以上前の古典から、いわば差別語を指摘して「反省」とようというわけだ。・・・・

 古代から日本では半島から来た知識人が天皇皇族の師となり高位高官にのぼり、日本人は漢字漢文をはじめ文物・技術・制度等実に多くのことを彼らに学び尊敬してきたことは、日本の正史日本書紀に詳細に記録されていることであって、誰もが知る常識ではないか。それは日本の伝統と言ってよい。そのとき、日本書紀が「帰化」という語を使うのは「支配者の王化思想」であるとか「日本版中華思想」であるとか言ってことさらに非難して見せるというのは、ずいぶんバイアスのかかった話だと思う。
引用終わり。

 今回からは、日本の神話学者の主流が神話をいかに否定するかのために、古事記や日本書紀の内容を歪めてきているかを見てみたいと思います。
posted by 小楠 at 07:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本
この記事へのコメント
そんなに日本神話や天皇が嫌いならブタさんになりなさい と言います。支那人・鮮人の様に根無し草の下賎なブタ民族でも良いんでしょうかいわゆる”進歩的”日本人は。日本人がアジア族で突出して誇り高き民族だったのは天皇という見えない心のよりどころが有ったからではないでしょうか。日本神話や天皇が嫌いなら勝手に”凡胎の子ブタ”で生涯過ごしなさい と言います。素直に神話が心に染み込んでいけない者は人に非ず哀れで、餓鬼道の亡者で哂いを誘いますwww。
Posted by ケイさん語録 at 2007年01月19日 12:49
ケイ様
日本の神話をここまで貶めたいと思う輩が学者などと呼ばれていること事態が滑稽です。
彼らには先ず意図があって、それに沿うように神話をひねくり回しているだけでしょう。
大学ではこんな教授の説に反する者は干されてしまうらしいですが。
Posted by 小楠 at 2007年01月19日 19:43
 神話研究をしていますが、「日本神話解明と古代文明(平成20年改訂版)」を出版しました。
 神話の世界標準からみた日本神話の解釈とでもいうべき内容です。
 日本神話の真の姿に出会えると考えています。
 是非一度ご訪問下さい。
Posted by 飯田正孝 at 2009年07月01日 11:04
日本民族と漢民族の道徳の根本的な違い

 忠と孝という道徳には「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と言われるように根本的に対立する要素があり、日本では忠が優先され、漢では孝が優先される。忠と孝の根本的違いは、忠の本質は公であり孝の本質は私であることにある。この違いの分かりやすい例を挙げると、日本では親の危篤を知った歌手が涙をこらえて最後まで舞台を勤めた後とで急いで病院は駆けつけたといった話が美談として語られるがこれは孝(私)よりも忠(職務に忠誠、公)を優先したことである。一方漢では戦場にいた将軍が親の危篤ということを知り、戦場を放棄して家に帰ってしまったという話が美談とされるのであるが、これは孝(私)が忠(王、職務、公)に優先するということである。
 武士道においても主人への忠義が孝より優先されるが、主人が公を失った場合(私利私欲に走った場合)は主人に対する無条件な忠義は必要なく、主人を公に戻すこと(諌言など)が忠義とされるのである。
 この違いにより、日本は公(会社、勤め、法治)優先の社会であり、漢は私(親族、血族、人治)優先の社会となるのである。
西欧などでは私に優先するものとしてキリスト教が公となり血族の壁を破ったが、その代わりキリスト教が外壁となった。日本の公は国土が外壁となっていたため、国境意識が薄れるにしたがって、公の範囲があいまいになってしまっているが、国土以外の日本の本質的外壁である神道教徒という意識を明確にしなければ、日本人としての道徳が語れなくなってしまうと考えられる。
Posted by 飯田正孝 at 2009年08月02日 21:49
 小楠さま、はじめまして。
日本書紀や皇室を愛国精神のよりどころにするスタンスはありだと思います。
そのうえでこちらの記事については特に異論はありません。
 然しながら上記『ケイさん語録』なる読者のコメント・・・・他民族を「下賤なブタ民族」と名指しするような礼を欠いた人物のコメントに対しては、一言「そのような下品な言葉を私のブログに書き込まないでくれ」とおっしゃっていただきたいです。
 なぜなら侮蔑的な言葉はこのブログの品位を貶めることになりかねないからです。
 たとえあなたに対してではなくても、下品な言葉を書き込む読者に対してはまっとうに相手されなくてよろしいのでは?
Posted by 松下不良 at 2009年08月22日 16:48
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