2007年01月07日

石橋湛山の新聞批判

真の自由人、石橋湛山の新聞批判

ご存知の稲垣武氏著「朝日新聞血風録」から、東洋経済新報社時代の石橋湛山の言動についての部分がありましたので、掲載してみます。
写真は石橋湛山内閣、岸信介外務大臣、池田勇人大蔵大臣が見えます。
ishibashi.jpg

引用開始
・・・湛山の言論はその後も一貫して変わらなかった。日独伊三国同盟締結に当たっては昭和四十年十月五日付の社説「日独伊同盟の成立と我が国官民の覚悟」で、

「世間には、新聞に現るる欧州の戦況を読み、その戦争は、間もなく独伊の全勝を以て終結するかに思う者も少なくないであろう。・・・けれども実際の戦局が果たしてどう転回するかは、そう易くは予断できない」
 と安易な「バスに乗り遅れるな」論に警告し、米英との摩擦激化を予測している。

 この間、湛山はさまざまな弾圧を受けた。内閣情報局から厳重な注意を受け、削除を命じられることもしばしばあった。社内からも湛山を社長の座から退けて軍部に協力しようとの動きもあった。しかし湛山は、
「新報社の伝統も主義も捨てて、軍部に迎合するくらいなら、自爆して滅びた方が、遥かに世のためになり、新報社の先輩の意志にもかなう」と信じ、断固として節を曲げようとしなかった。同じころの大新聞各社の首脳の覚悟とは月とスッポンではないか。

 湛山こそ、真の自由主義者だったと言えよう。だからこそ不撓不屈の姿勢を貫けたのだろう。「ファッショに対抗する」ために近衛新体制に積極的に協力し、ミイラ取りがミイラになった大新聞の論説委員諸公とは雪と墨だ。その湛山が当時のマスコミをどう見ていたか。二・二六事件直後の三十六年三月七日付の社説「不祥事件と言論機関の任務/建設的批判に精進すべし」を読もう。

「彼等は口を開けば言論の不自由を云う。なる程、現代日本において言論の自由のないことは、同じく筆の職に従うところの記者(湛山自身)が何人よりもこれを心得ている。しかしながら世には現在の言論の許される程度において、言論機関が報道し、批判しうることが山ほどあるのである。強力なるものの前には筆を投げながら、弱いものに対して飽くまで追求するのは言論不自由とは関係ないのである。又一方的な報道をなして性急な暴力主義に拍車をかくるのは言論不自由からではないのである。」

 湛山はさらに「言論自由は言論機関が自ら闘いとるべしである。現時の言論機関の有力さを以てして、協力さえすればそれができないわけではない。言論自由が不足しているのは、彼等にこれを得んとする熱意がないからなのだ」と喝破し、

「かれ等はファッショの排撃すべきものなること、憲政の常道の望ましきことをいっている。それならばその憲政の常道を持ち来すために、如何なる統一的努力をこれに捧げたことがあるであろうか。国民に対して政党政治を嘲笑することを教えたのは誰でもない。新聞自身だ。夕刊の三行評論と称するものは、自己に見識も、政策もなくして、ただ野卑なる罵声を浴びせる習癖を養うにすぎない。彼等は唯だ低級なる読者の歓心を買うために、知らず識らず議会を排撃し、言論の自由を自ら失うことに努力しているだけである

 と骨を刺す指摘をしている。湛山はさらに世界においても日本の新聞ほど財力を有しているものは少ないのに、徒に民衆の低劣な歓心を買うことのみを争い、救世的見識は少しも現れていないと嘆き、こう書いている。

試みに大阪系の二新聞(朝日、毎日)を開いて、これを西洋の大新聞と比較してみよ。日本は果たしてその新聞文化の発達を、世界に対して誇り得るであろうか。雑誌についても同じだ。
 マルキシズムが流行すれば、訳も無くマルキシズムの流れに従う。ファッショの波が盛んになれば又これに従う。そこには節操も、独立性も殆どない状態

※三百代言的詭弁で読者欺く
 湛山がいみじくも剔抉したマスコミの体質は、半世紀以上後の今日でもほとんど変わっていないのではないか。・・・

 消費税問題では徒にその欠陥のみをあげつらい、間接税と直接税の区別すら弁えぬようなマドンナ議員候補者を感情移入をほしいままにした紙面づくりで後押しした。さらに、お粗末極まる代案をおずおず提示した社会党を、朝日新聞のようにああでもない、こうでもないという三百代言的な詭弁で擁護もした。湛山は前掲の論文でこう書いている。

「かれ等(言論機関)は何等かことが起こると、必ず痛烈に要路のものを攻撃し、嘲笑し、罵倒する。しかし彼等自身が如何なる具体的建設案を提示したことがあるであろうか
 そればかりではない。彼等は重大なる事件が起るに当たってや明白なる順逆の理、善悪の判断をすら与うることをなさず、顧みて他をいう事実は、今回の事件(二・二六事件)について見るも明らかである」

 大衆社会を揺曳させる最大の情動は嫉妬である。その大衆への迎合を専らにするマスコミが、その嫉妬心を煽りたて、折角の民主政治を衆愚政治にひきずり落す役を演じてはいないだろうか。湛山はすでにこう警告している。

「かりに言論自由を無制限に与えるとするか。かれ等はその自由を、果たして国民の健全なる常識を養うために使用するであろうか。今までとても彼等の筆は、個人の台所に泥足であがり込むような暴状を敢えてしている。この傾向が、与えらるるところの言論自由によって、一層甚だしくなるようなことはないであろうか」
引用終わり

 まことに、現在の朝日をはじめ反日系新聞の言説はここで湛山が言う通りのものでしょう。幼稚な批判だけなら井戸端会議と何ら変わりません。
 言論の自由と言いながら、中国、韓国などの報道は、言論の不自由そのもの。中共のチベット侵略批判記事など見たこともありません。
 今の国民は、低級な論説委員や新聞記者、テレビの電波芸者などよりも数段レベルが高いと思います。
 国民は、朝日新聞などの幼稚な社説など必要としていないでしょう
posted by 小楠 at 13:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 反日マスコミ
この記事へのコメント
>彼等自身が如何なる具体的建設案を提示したことがあるであろうか

マスコミだけでなく、共産、民主党にも言えることですね。過去にふむふむその通りだ、と思った自分が恥ずかしい限りです

今現在このような方がマスコミ内部に居ないことが悔やまれます。

Posted by サウザンドキル at 2007年01月07日 21:20
サウザンドキル様
>>今現在このような方がマスコミ内部に 居ないことが悔やまれます。

今のマスコミはもう時代についていけないのではないですか?
一昔前までの、何でも政府批判、左翼っぽいことを書いていれば知識人のように勘違いする傾向だけにしがみついたままでしょう。
Posted by 小楠 at 2007年01月08日 11:46
 相変わらず素晴らしい記事をありがとうございます。
 この石橋湛山こそ、現在に必要な人であろうにと思います。
 しかし、その「ジャーナリズム」の何たるかを知り、現代の「邪な理積む」や「邪analyst」に落ちぶれた「増塵」を既に懸念している先見の目を持ったればこそ、当時に於いても必要な存在だったのでしょうね。
 「言論の自由」にかかるくだり、意を得たりという感じです。違った形ですが、その内、拙ブログに引用させて頂くやも知れません。
 その節は、小盗人が如き私を、大きな心でお許し頂きたく存じます。
Posted by tono at 2007年01月09日 14:46
tono 様
いつも有難うございます。
今の日本に必要と思われる記事でしたら、どんどん拡散して下さい。
マスコミのあまりにも反国益の報道は許せません。
Posted by 小楠 at 2007年01月09日 17:51
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