2007年01月03日

ティンパーレーの正体

ティンパーレーは国民党中央宣伝部の顧問だった

 最近アメリカでいわゆる「南京大虐殺」の映画が製作されるというニュースがあり、未だに中国の大嘘を世界に蔓延させるという事態に、日本としても徹底して抗議をする必要を感じます。
当時の朝日新聞の報道も見て下さい。
鈴木明著「新『南京大虐殺のまぼろし』」から引用してみます。
写真は大虐殺真っ最中の南京の様子です。拡大可
kanraku01.jpg

引用開始
 ティンパーレー(田伯烈)の『外国人の見た日本軍の暴行』、この史料は「南京大虐殺」を語る上で、戦前から、特に中国では有名になった本といわれ、「東京裁判」でも、「南京難民区」の実状を語る証人に選ばれたのは、この本でティンパーレーに手紙を送った人たちであった。
 しかし何故か「東京裁判」にティンパーレーが呼ばれることはなかった。そればかりではなく、ティンパーレーがどのような人であるかは「マンチェスター・ガーディアンの記者である」という以外は全くわからず、僕はイギリス、アメリカ、オーストラリアの人名辞典を頼りに、ティンパーレーなる人物を探しまくったが、どの人名辞典にも「Timperley」の名はなかった。

 僕が、ティンパーレーの原著作と思われる『What war means : The Japanese terror in China 』と、その最初の中国語訳と思われる『外国人目睹中之日軍暴行』を初めて発見したのは、全くの偶然であった。・・・・
 何回目の中国旅行のときであったか、A君(中年のガイド役)はある日、七百頁ぐらいの『近代来華外国人名辞典』(中国社会科学出版社、1981年12月出版)の奥付がある本を持って来て、「多分、これじゃないか」と、なにげなくこの、やや手あかによごれた一冊の本を渡してくれた。彼の友人が以前買って、結構便利に使っている、という人名辞典であった。そして、そこに「田伯烈(ティンパーレー)」の名前が出ていたのである。

 たまたまコピーもなかったので、これはそっくり手書きで書き写した。
・・・「(訳文)ティエンパレー、ハロルド・ジョン・ティエンパレー、1898年生まれ。オーストラリア人、第一次大戦後中国に来る。ロイター通信の北京記者となる。その後マンチェスター・ガーディアンとAPの北京駐在記者を兼ねる。1937年盧溝橋事件後、国民党政府は彼を英米に向けて派遣し、宣伝工作に当らせ、次いで国民党中央宣伝部の顧問に任命した。編著に『中国に於ける日本人の恐怖』(1938年)一書がある」
 ついでに同じ本の中でエドガー・スノーの箇所も参考に見て、その内容の正確さを比べてみたが、スノーの部分は完璧といってもいい正確さであった。・・・・

 とにかく、長い間続いていたイライラが一挙に解消したのは、ティンパーレーが「国民党中央宣伝部顧問であった」ということである。
 その上、僕が二十五年以上も前に買って参考にした、ティンパーレーの日本語訳本を出した「龍渓書舎」というのは、実は「チャイナ・ウイークリー・レビュー」が中国語訳本を出版するときに使われた書店名であることもわかった。チャイナ・ウイークリー・レビューは、そもそもが国民党の息のかかった英文紙だったのである。・・・

 ここで新たにわかったことは、ティンパーレーは、南京から送られてきた手紙を、ただ「真実」として読者に伝えようと思ったのではなく、「宣伝部」という国民党組織と一緒になってあの本を書いた、ということである。
 もし「真実」を伝えたい、と思うのがジャーナリストの本来の責任であるとするならば、「南京戦」が終わったあと、ティンパーレーは「中立外国人」の立場で、南京を取材することも可能であったはずである。・・・

※口をつぐむ南京市民
 「東京裁判」で読み上げられた「南京の惨状」の報告書は、「東京裁判記録」の中に残っている。
 その中で代表的なものは「南京地方法院首席検察官」という肩書のついた、陳光虞と署名のある、長文の「宣誓供述書」である。
 これは「前文」と「本文」にわかれ、「本文」の方には多くの「虐殺」の事項、数字が出てくるが、不思議なのはその「前文」に当る部分である。

 まず「前文」の日本語速記録は、「調査の経過」からはじまるが、南京地方院では、1945年11月7日(日本敗戦後約三ヶ月近く経って)所定の文書を印刷して一般の市民に告知し、南京市民がどのように日本軍に暴行を受けたか、そのアンケート調査を南京中央調査統計局ほか十四の部門を総動員して第一次会議を開催し、調査を開始した。

 ところが、ここから速記録原文をそのまま引用すると、
「此間、敵側の欺瞞、妨害等激烈にして、民心消沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者、甚だ少なきのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際に於ても、冬の蝉の如く口を噤みて語らざる者、或は事実を否認する者、或は又、自己の体面を憚かりて告知せざる者、他処に転居して不在の者、生死不明にして、探索の方法なき者等あり」
 で、調査は異常な困難があった、という文章からはじまっていることである。

 本来なら敵国日本が無条件敗北をし、市民は狂喜して、進んで「調査」に協力すると思うのが常識であろう。
 ところが、南京の市民は全く協力しなかっただけではなく、「敵側の欺瞞、妨害」を恐れていた、というのである。戦争が中国側の勝利に終わって三ヶ月も経つのに、「敵側の妨害」とは一体何を指していうのだろうか。委員まで出張させているのに、何故市民は口を閉ざして語ろうとしないのか。・・・・

 それにもかかわらず、続いて陳光虞が書いている内容は、例えば「虐殺に関するもの」を例にとれば、
 「敵軍入城の日より起算し、集団屠殺二十余万人の外、凡そ我軍民にして未だ退去せざりし者は、敵人に遭えば必ず殺され、身を匿し居りて発見逮捕されし者は、多く刀剣の下に生命を失い、四肢と体とバラバラと成り、血肉の区別も分らぬ状態と成り、此虐殺の惨状は、実に有史以来未曾有の事なり――」
引用終わり

 よくもまあ、こんな供述書が書けたものです。調査の結果は「そんな事実がない」ことを表しているにもかかわらず、本文には虐殺の模様ばかりが出てくる。
 裁判の席で平気でこのような嘘を並べられるのが、かの国の民族性なのでしょうか。
 そう言えば、現在でも、国民に嘘を煽っていますからねー。
posted by 小楠 at 10:54| Comment(4) | TrackBack(1) | 書棚の中の中国
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。
南京事件に付いて疑問点は何を言っても死者数がかみ合わないということでしょう。証言者によってバラバラ。挙句の果てには30万人に証明されたのではなく「決定」
原爆二個分の死者数を銃剣等しかも1ヶ月未満でできるのか。埋葬者数を根拠にする人も居ますが、その数は1万数千等など、疑問が盛りだくさん。ココまで裁判にすらならず、逆に名誉毀損で訴えれそうなものですが・・・
Posted by サウザンドキル at 2007年01月03日 15:22
サウザンドキル様
新年おめでとうございます。
いつも有難うございます、本年がサウザンドキル様にとって、より良い年となりますよう。

陥落から六週間でと言われていますが、一日24時間休まずに七千人を毎日殺害して、どうして運んで埋葬したのか。
こんなに大量の死体を写した証拠写真は有無を言わさないもののはずですが、そんなものも一枚もない。
考えただけでもあり得ないことですね。
Posted by 小楠 at 2007年01月03日 16:56
6週間でしたか。勉強不足で申し訳ないです。
さらに付け加えるなら30万もの遺骨が発見されてないということでしょうか。

Posted by サウザンドキル at 2007年01月03日 16:57
サウザンドキル様
戦闘による兵士の戦死数は30万どころではないでしょうが、いわゆる大虐殺は、民間人と言うことですから、ある訳がないでしょうね。
昭和13年の秋には南京の人口は30万を超えていますし、二千以上の店舗が店を開いていたと言うことですよ。
虐殺があった恐怖の街に、これだけの中国人が集るでしょうか。
Posted by 小楠 at 2007年01月03日 18:01
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