2006年12月27日

レーリンクの東京裁判2

被告と日本人弁護団の態度

「レーリンク判事の東京裁判」、この本は、東京裁判で判事を務めたオランダの国際法学者レーリンクを、イタリアの国際法学者のカッセーゼが1977年にインタビューした記録です。
ここでの引用文中、Cはカッセーゼ、Rはレーリンクの発言となっています。
写真は東京裁判法廷全景
zenkei.jpg

引用開始
C:東京裁判の被告の態度はニュルンベルグとはずいぶん違いますね。ニュルンベルグの被告は国家ではなく、自分の生命、自分自身の立場を守ろうとしたのですから
R:そうです。・・・ドイツでは、人々はなるべくヒトラーから距離をとり、彼の行為は忌むべきものだといっていました。ヒトラーを守ろうとするものは誰もいませんでした。・・・・
日本人は、アジアと世界で、アジアを解放し、世界を変えるためにとられた日本の行動を擁護しました。そして、こうした観点から彼らは行動を起こしたのです。

C:日本人被告は、いわば一種の宿命論者だったのでしょうか。あえて有罪となることを覚悟していたのですか。自分が絞首刑になろうとなるまいと大きな問題ではなかったのですか。
R:ある人が日本人弁護団の態度を称して、「被告の墓に優雅に花を手向ける」人々と言いました。ある意味でこれは事実です。彼らは諦めているようでした。彼らは戦争に負けたのだから、自分たちの行動が非難されることがわかっていたのです。彼らはただ、ある観点からは自分たちの行動が理解され、おそらくは正当化されることを世界に示したかったのです。

C:被告たちは自分たちの威厳や名誉を保とうとしていると感じましたか。つまり、彼らは臆病ではありませんでしたか。
R:臆病? いいえ、そういう人はひとりもいなかったと思います。彼らには威厳がありました。二年以上、彼らの正面にすわっていて、言葉はかわさずとも、彼らの動きやしゃべっている様子はわかりました。彼らには信条がありました。・・・・あなたが日本人の内側に身をおいてみれば、彼らの多くが大衆に尊敬されていたことが理解できるでしょう。

C:被告人についてわからないことは、実業界の関係者がひとりも含まれていないこと、それに天皇が訴追されなかったことです。どうしてなのですか。
R:・・・経済帝国主義を拡大するために戦争を支持したことで財閥を訴追すべきだという議論があったのです。しかし、実際、財閥は戦争が起こらなくても、日本はしだいにもっとも強大な経済勢力になり、アジアの周辺地域での核になることはわかっていたのです。ですから彼らは戦争に関係なく、日本の明るい未来をみていたのです。彼らは戦争がその発展を妨げると確信していましたし、それゆえ戦争に反対しました。彼らが裁判にかけられなかったのはまったく正しいと思います。

C:そうするとあなたの見解では、実業界の関係者を裁判から除いたのは政治的意図からではなかった、ということですね。
R:いいえ、ただ彼らを訴追する事実がなかったからです。・・・・
天皇、それは国家の象徴でした。日本人は天皇を日本の真髄と考えていました。しかし、彼には何の権力もなかったのです。彼は立憲君主でした。日本でどのように事態が処理されていたかをみれば、政府が戦争の決定を下したことは明らかです。そしていったん政府が決定を下した後に、天皇は登場を要請され、同意を求められたのです。彼にできたことはただそれだけでした。

C:天皇免訴の決定にあなたは同意しましたか。
R:もちろんしました。今でも考えは同じです。裁判の後、歴史家の著述を読みましたから。私の受けた印象では、多くの人々が天皇の役割を誤解していると思います。彼らは日本政府の非常に複雑な構造を理解していませんでした。

C:「広田外交」はどのようなものでしたか?
R:それは日本の大国化をめざし、「大国の武力外交を駆逐」して東南アジアでの覇権を確立しようとするものでした。「アジア人のためのアジア」という思想がその背景にありました。しかしながら、この駆逐を軍事行動で達成しょうとしたわけではありませんでした。その文書では次のように述べられています。「われわれは大国ともっとも友好的関係を維持することにつねに注意を払うべし・・・われわれは努めて他国に対する刺戟をつねに避けつつ、漸進的かつ平和的手段を用いる」。広田外交の方針は東南アジア諸国の解放にあり、それは経済的・イデオロギー的手段によるものでした。すなわち、経済的な進出による構造転換、独立運動の推進、経済的援助と助言による大衆の擁護です。当該地域の植民地が独立を宣言すると同時に、日本が相互援助のための条約を締結するというものです。
 このようにして、ヨーロッパの植民地勢力は以前イデオロギー的に失ったものを軍事的に回復することを阻まれるわけです。新しい「国家」に反対する軍事行動は日本との戦争を意味することになりますから。日本が巨大な陸・海軍力を保有していれば、あえてどのヨーロッパ諸国も軍事行動にでるようなことはないでしょう。日本の保護により、かつての植民地の地位は保証されるのです。そして、それとともに、その地域における日本の地位も上昇するはずでした。
 広田時代の政府の極秘文書は、「新秩序」は「外交政策と国防によって」建設されるべきであると明確に述べています。しかも「この政策を実行するにあたり、他国との友好関係を保持するように努めるべきである」とされていました。
 しかし、軍事力によってアジアから列強を駆逐しようとする意図は微塵もありませんでした。

C:そうすると広田は平和に対する罪にはあたらないと考えているわけですね?
R:もちろんあたりません。もし広田外交が進展すれば、西欧列強をアジアから駆逐することになったでしょう。そして日本は世界の指導国の仲間入りをしたことでしょう。しかし、それにしても彼の行為は戦争犯罪にはあたりません。
引用終わり

 よく左翼が口にする、「財閥が戦争の仕掛け人」というようなことは完全に否定されている点が注目に値します。
posted by 小楠 at 07:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判
この記事へのコメント
最近様々な外国人による書籍等を知るにつれて思ったことが一つ。日本人より日本という国を理解しているということです。これは日本人として恥ずべき事でしょう。知ろうともしなかった自分も。
Posted by サウザンドキル at 2006年12月27日 14:46
サウザンドキル様
>>最近様々な外国人による書籍等を知る につれて

私は客観的に日本を見るためには、できるだけ海外からの目を紹介するのがいいと思って、そのような本を探しては掲載しています。
また何かいい本がありましたら教えて下さると嬉しいです。
Posted by 小楠 at 2006年12月27日 16:54
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