2006年12月26日

レーリンクの東京裁判1

レーリンク判事の東京裁判人物像

「レーリンク判事の東京裁判」、この本は、東京裁判で判事を務めたオランダの国際法学者レーリンクを、イタリアの国際法学者のカッセーゼが1977年にインタビューした記録です。
ここでの引用文中、Cはカッセーゼ、Rはレーリンクの発言となっています。
roling2.jpg

引用開始
※判事
C:東京裁判の実施に話を戻しましょう。判事団はどのように構成されたのですか。
R:最初、判事は九人しかいませんでした。後で二人加わったのです。ひとりはフィリピンから、ひとりはインドからです。・・・インドからパルが加わりました。彼は真にアジアの態度を代表する判事でした。フィリピン判事は完全にアメリカナイズされていました。アメリカと協力するフィリピンの支配階級に属し、アジア的なところはまったくありませんでした。

C:判事のなかに他に優秀な法律家はいましたか。
R:実際にわれわれの間には大きな年齢差がありました。東京に着いたとき、私は39歳でしたが、大部分の判事は若い中国の判事を除いて、おおむね60歳前後でした。彼らは自国では裁判所の判事をしていました。したがって彼らは国際法廷が国内法廷とは違うということ、国際共同体は一国の共同体とは異なるので、国際法は国内法とは違うということを理解するには年を取りすぎていました。国際法はそれぞれ異なる制度の間で機能するものです。それは、立法者のいない、判事のいない、主権者のいない法的共同体であり、垂直的ではなく水平的な社会関係なのです。したがって、国内法では有効なことが国際法では必ずしもそうとは限らないのです。

C:外交官あるいは軍のエキスパートが加わっていましたか。
R:オーストラリア人の裁判長、ウイリアム・ウェッブ卿[クインズランド高等法院判事]は政治的な力をもった人物でした。ニュージーランドのエリマ・ハ―ベイ・ノースクロフト氏は[最高法院]判事でした。ロシアのI・M・ザリャーノフ[陸大法学部長]氏は軍事裁判所の将軍でした。最初のアメリカ人判事のジョン・P・ヒギンズは、おそらく自国で判事をしていたのでしょうが、政治家でもありました。アメリカでは判事は政治的理由で任命されるのです。しかし裁判が始まるとすぐに辞任してクレイマー氏に引き継ぎました。彼は軍の司法組織の責任者をしていた人物で、それほどの権威ではない、そう思います。

C:・・・どのようにして裁判長は決まったのですか。他の判事の互選によって選ばれたのですか。
R:いいえ、そうではありません。マッカーサーに指名されたのです。・・・
だんだんと、彼がとても傲慢で威圧的な人物であることがわかってきました。われわれ他の判事は、彼の事件の取扱いについて強く反対した問題が多々ありました。・・・・いざそれを堅持しようという段になると・・・非常に難しい立場に追い込まれました。唯一できることといえば「このようなことを進めるなら、私は辞める」というのが関の山でした。

C:他に対抗手段はなかったのですか。
R:いいえ、ありませんでした。われわれはほとんど彼と個人的につきあいませんでした。・・・・フランス人判事ベルナールともほとんどつきあいはありませんでした。ロシア人判事ザリャーノフと同じで、英語がしゃべれなかったのです。

※検察官
C:検察官はたぶんアメリカ主導だったと思いますが・・・
R:そうです、主席検察官はアメリカ人のキーナンでした。実際、アメリカが裁判の多くの局面で主導権を握っていました。現実に裁判はアメリカのパフォーマンスだったといえます。・・・
 キーナンの指名は政治的なものでした。彼は母国で検察活動に携わっていましたが、それも二流だったと思います。彼はしばしば法廷に酔っ払って現れたという噂でした。私自身はそれに気づいたことはありませんでしたが、たしかに彼は仕事に専念していませんでした。これは彼が主席検察官だったことを考えれば重大なことだと思います。・・・イギリスの検察官のコミンズ・カーのほうがキーナンよりもはるかに能力がありました。

※被告
C:被告について話してください。印象的な人物たちでしたか。
R:はい、大部分が一流の人物たちでした。全員とはいいかねますが、大部分は優れた人物たちでした。海軍の軍人たち、それに東條(英機・将軍)が非常に頭がよかったことは確かです。荒木(貞夫・将軍)のように非常に年をとった者もいました。広田(弘毅・外交官)も年をとっていましたがそれでも頭はよかったと思います。・・・・
東條の演説は別の面で注目すべきものでした。日本語では目上に話す場合と目下に話す場合、話し方が大きく違います。英語への同時通訳を聞いているわれわれにはもちろんそれはわかりません。東條は目下の者に対する言葉を用いて話していたのです。ある日本の友人がかつてこういいました。「彼の態度は侮辱的だと思いませんでしたか」。もちろん、法廷はそれに気づきませんでしたし、多くのアメリカ人当局者もわからなかったと思います。個人的には、私は彼の態度を評価します。・・・・
とくに東郷(茂徳・外交官、外相)に感銘を受けました。彼の妻は毎日法廷に顔を見せました。・・・最前列隅に、二年数カ月の開廷期間中ずっと、東郷夫人が坐っていました。彼女はドイツ人でした。・・・・・
反対意見で私は東郷の全面無罪を主張しましたので、東郷夫人にとても感謝されていました。裁判をとおして、この夫人に会えたことはとても印象的な出来事でした。
引用終わり

 この本は、日本人との対話でなく、オランダ人レーリンクとイタリア人の対話ですので、日本向けのサービスは一切なしの回想である点も考慮して、考えてみて下さい。
posted by 小楠 at 07:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚の中の東京裁判
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