2006年12月20日

中国に見た反日の嵐

理由なき憎悪の理由探し

石平著「私は毛主席の小戦士だった」から引用してみます。
 石平氏は「中国民主化運動の世代」といわれている1980年代最初の80年に大学一年生となった方で、1988年に来日、以後日本で評論活動をされています。
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引用開始
 中国へ頻繁に帰るようになったのは、1997年以後である。・・・・
 国内で会った中国人たちが、日本のことを口にする時、誰もが憎しみの感情をむき出しにし、軽蔑と敵視の態度を露にしていることに、私はただただ、驚くばかりだった。・・・・
 食事会とかの社交の場や友人同士の集まりなどで、私という「日本帰り」が同席していると、必ず一度は話題が「小日本」のことに移っていく。
 たいていの場合、私に対する質問から話が始まる。「日本での生活はどうですか、たいへんでしょう」「日本人によく虐められているのでしょうか」「留学生は皆、小日本のことを憎んでいるのでしょうね」といった質問が、まず飛んでくる。

 答えに窮した私の顔を見て、皆は物わかりのよい微笑を浮かべながら視線をそらして、「質問攻め」を打ち切る。が、今度は彼らの間で、日本への罵倒合戦が炸裂するのである。

「あんな国、絶対許せないわ。昔から悪いことばかりやっている」と、Aさんは憤懣を言う。

「そうだよね。侵略戦争で、どれほどの中国人を殺したか」と、Bさんが相槌を打つ。

「だから俺が前から言っているさぁ。原子爆弾でも何発か使って、日本を地球上から抹殺すべきだ」と、C君は興奮して言い放つ。

「原子爆弾だけではダメだ。恨みを晴らすには、やはり一人ずつ殺した方がいい。今度、東京大虐殺をする時、俺の腕前を見せてやるぜ」と言いながら、D君は片手で人の首を切る仕草をしている。

「しかしね、日本人というのはそもそも進化が遅れている人種じゃないかしら。半分は人間で半分は豚なのね。やはり人類進化の不良品だわ」と、Eさんが皮肉たっぷりの「珍説」を展開する。

「そうしたらさ、今度日本に攻め込んで全員殺した後に、日本をそのまま、中国人のための養豚場にしようじゃないか」と、D君がわざと真面目な顔をして「提案」する。・・・・

 勿論、彼らの言っていることは、まったく理解できない。私がこの目で見た日本の“真実”は、むしろその正反対だったからだ。「日本は軍国主義を復活している」というのも、「もう一度中国を侵略しようとしている」というのも、まったくの事実無根である。

 過去の戦争において、日本軍のやった「無道」や「殺人」を日本憎しの理由に持ってくる彼らの言い分にも、まったく納得できない。というのも、もし戦争中の日本軍の残虐行為が、こうした日本憎しの感情を作り出した原因であれば、終戦からずっと、この戦後の時代を通してわが中国人民は日本のことを憎み続けてきたはずである。

 しかし、事実は決してそうではなかった。・・・・大人になってからの80年代を通して、むしろ日本に対する憧れと好意が、一種の風潮となった中で、いわゆる「日中友好」の時代を実際に体験したのである。・・・・

 「幸い」なことに、中国の隣国には、日本という世界のトップレベルの経済大国、技術大国があった。
 当然のごとく、日本は中国の最大の「友好国」にされてしまった。官民を挙げて、日本との交流を全面的に推進することが国策となった。・・・

 その中で、私たち若ものを含めた中国国民の大半は、日本に対しして「憎しみ」を持つよりも、むしろ多大な好意を寄せて親しみを感じていた。
 今でも鮮明に覚えているが、たとえばその時代、日本で活躍していた高倉健、中野良子、栗原小巻などの俳優は、この中国においてもそのまま、「国民的」なアイドルとなっていた。かの伝説の大物歌手、女優の山口百恵といえば、中国人ならその名前を知らない人がほとんどいないというほどの人気ぶりであった。・・・・

 1984年3月に、当時の中曽根首相が北京訪問中に、日本の首脳として、初めて北京大学を訪問して講演を行ったことがある。・・・・
 彼の来訪に合わせて、日本語学科の学生たちは、全校向けの「日本週間」と称するイベントを開催して、日本のことを色々と宣伝していた。・・・・
 80年代の私たちは、日本に対してむしろ好感と親しみをもっていた。それなのに、その10年後の90年代後半になると、若者たちと多数の中国人民は、一転して激しい反日感情の虜となっていたのである。

 その原因は、一体何か。それを探るために、私は中国滞在中には、仕事以外の時間を利用して、日本に関する国内の出版物や、新聞記事などをできるだけ集めて読みあさった。
 そうすると、私の目の前に現れてきたのは、一つの恐ろしいほどの異常な反日宣伝と、反日教育の世界なのであった。

 集めてきた資料を、まとめて検証していく作業を、何度も繰り返しているうちに、真相が徐々に分ってきた。
 この中国において、真っ赤な大ウソと悪意の捏造を内容とした、国家規模の反日宣伝と教育が、一つの統一された主題と台本に基づいて、学会やマスメディアを総動員する形で、組織的に行われてきたことの実態が、明らかになってきたのである。
引用終わり

 90年以後のこのような反日教育で洗脳された国民が隣にいるということを前提に、外交や経済交流を考えることが重要ではないでしょうか。
 うわべだけで相手を判断してしまうことが、いかに危険かは、進出企業が受けている契約違反や強制的な立ち退きなどを見ても分かるはずです。
posted by 小楠 at 09:16| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国
この記事へのコメント
その時代時代に国家権力を背景に国民を洗脳する中共の指導者、反日宣伝もしかり、そして北朝鮮の現実も同様に、共産党一党独裁政権の実態の表裏をしっかり知った上で、日本政府も中国と付き合う事が肝要ですね。
Posted by カピタン at 2006年12月20日 12:20
カピタン様
>>その時代時代に国家権力を背景に国民 を洗脳する

権力交替のたびに反日になったり親日になったり、国民はその矛盾を怒るべきでしょう。
共産主義というのは全く癌ですね。
Posted by 小楠 at 2006年12月20日 17:59
彼らは日中戦争時在留邦人にしたことを知らない、知っていても侵略した日本が悪いという。しかし、日本の仮想敵国は主にソ連であり中国とは共に戦うべき仲間であろうとした。であるのに日本と中国は戦争状態にはいった。ソレが何故なのか、反日よりも考えるべきだと思う
Posted by サウザンドキル at 2006年12月23日 14:20
サウザンドキル様
>>本の仮想敵国は主にソ連であり中国と は共に戦うべき仲間であろうとした。

仰せの通りでしたねー。ここのところ、米英がポーランドをそそのかしたのと似ているような気がしているのですが。
しかし、蒋介石を支援した結果、本人は毛沢東に中国を奪われるし、ソ連は強大になるし、米英は何のために自国の兵を犠牲にしたのでしょうか。
Posted by 小楠 at 2006年12月23日 17:13
姿三四郎もその役者もみんな英雄です、1990年中ごろまでは少なくても。
石平氏の書いていることは事実です。現代の支那人ネットの内容そのまんまで、並の支那人の考え方その通りです。
1993年ころから急激に対日感情が悪化したのはあの田舎者/江匪民の仕業なのは公然とした史実です。
江沢民の生みの父親は戦中日本の特務機関に協力をしていた”犬”でした。その反動で特に主席になってから反日を支那人に植え込んだと言われています。洗脳教育とはかくも恐ろしきなる物哉ですね。
Posted by ケイさん語録 at 2006年12月24日 20:07
ケイ様
>>並の支那人の考え方その通りです。

このような国民を相手に、まともな付き合いができるわけないですね。
幸い最近になってやっと投資が減少しているらしいので、どんなふうに政策転換してくるかが見ものですが、すべてウソのかたまりと認識すべきですね。
Posted by 小楠 at 2006年12月25日 08:05
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