2006年12月18日

日本国憲法とユダヤ人

日本国憲法は、ワイマール憲法の丸写し

 モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」という本があります。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
 1941年米国へ亡命、ルーズベルトのブレーントラストとして活躍、1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画したという方の本です。
写真は日本国憲法作成の中心人物ケーディスkades.jpg

引用開始
 ユダヤ人の一人として将来の日猶関係のためにも、是非とも日本人の皆様の前に白日の下にさらしておかなければならない日本国憲法の本質についてご説明申し上げたいと思う。・・・・
 日本国憲法はワイマール憲法の丸写し、しかもかなりずさんであるといった方が正確であろう。
 ワイマール体制の支柱となったワイマール憲法は、ご存知の通り、ユダヤ人で内相も務めたヒューゴ・プロイス以下三名のユダヤ人によって作られたものである。また日本国憲法はこれもご存知の通り、ユダヤ人ケーディスを中心としたGHQのニューディーラーによって僅か二週間という短日時に作られたものである。・・・・

※民主主義とは何ら実体のない虚構概念
 われわれが日本の戦後改革の支柱としたのは、「自由」「平等」であり、それのコーディネーターとしての「民主主義」という言葉であった。
 ここで大切なことは、「自由」「平等」はそれぞれ一つの確たる概念であるが、「民主主義」という言葉は単なる言葉にすぎず、何ら具体的概念ではないということである。

 われわれのいう「民主主義」は古代ギリシャ時代にいわれた「デモクラシー」とは何の関係もないものであることをご説明申し上げねばならない。われわれのいう「民主主義」とは、「自由」と「平等」の非両立性をカバーするための結節語にすぎず、なんら実体のないものなのである。

 日本人の皆様はお気づきだろうか。日本国憲法に「自由」「平等」ということばは、というより概念は、ふんだんに盛り込まれているが、「民主主義」という言葉は一語も発見できないのである。・・・
 「自由」と「平等」が互いに両立し得ない概念であるという事実、それは真理というべきものであろうが、案外一般には理解されていない。もし「民主主義」という言葉が巧妙に両者をコーディネートして結合させていなかったら、この「自由」「平等」の非両立性はもっと早く見やぶられていたであろうと思われる。・・・・

 戦後三十年このかた、「民主主義」というものを批判した論調は皆無といえよう。ただ部分否定的に批判したものはあるかも知れないが、その場合でも大抵「民主主義」そのものを批判するというよりも、むしろ日本人の「民主主義」に対する受け取り方、対応の仕方に誤りがあるかの如き論調が多く、やはりここでも「民主主義」は聖域に祭られているといえまいか。日本国憲法に憤懣をぶっつけるが、「民主主義」は聖域に祭り上げておくといった態度にタブーの存在を許す半分の責任があると思うが如何。

 この「民主主義」を絶対的な無謬性を誇る善玉の神と考えている戦後の日本人は、この考えにどんな論理的根拠を添えているというのであろうか。
 はっきりいえることは、なんらの論理的根拠を伴っていないということではないか。これはやはり、一種の信仰ではないだろうか。この辺でもう一度ふり返ってみる必要がありはしないだろうか。憲法のタブー性を考える前に「民主主義」のタブー性を考えてみる必要はないであろうか。

※戦後占領体制はユダヤ人の君臨しないワイマール体制 
 ワイマール憲法と日本国憲法は、そのイデオロギー性については全くといっていいほど同じものである。しかるにただ一点、ワイマール憲法下のドイツと日本国憲法下の戦後日本とでは根本的に異なる点がある。
 それは、ワイマール憲法下のドイツは直接ユダヤ勢力が君臨するものであったということである。日本にはユダヤ人は存在しない。ワイマール体制というのは、少数民族たるユダヤ人が権力を初めて握った時代であるということである。

 一方、戦後日本では一時占領軍(これを事実上支配していたのはユダヤ勢力、もっとはっきりいえばニューディール派)というものがオールマイティであったが、これは日本国内に永久に存在する勢力ではない。いわば国際的ユダヤ勢力である。占領が終われば、引き上げざるを得ない。そこにケーディス以下の焦慮があったわけである。

 だが現実には自分達は引き揚げても、己のエピゴーネンを養成して残していった。それが日本共産党である。このエピゴーネンは真に忠実に主人のために働き、戦後三十余年たった今日でもケーディスの心配を吹き飛ばすかの如く日本国憲法には一指だに触れさせていないのである。

※第九条のルーツ―マルクス主義国家論
 第九条の「戦争の放棄」という言葉の意味するところは「武装解除」に外ならない。
 マルクス主義国家論にみる如く、国家を覆えさせるのを至上目的とするなら、国家破壊の最大の障害物となるのは軍隊であり警察力である。したがって戦争反対、平和に名を借りて「軍縮」をとなえ始めたのも、第一次大戦後のユダヤ勢力に外ならない。
 軍縮という耳ざわりのいい言葉だが、これの狙いとするところは、列強の武装解除への第一歩でしかない。

※国家の混乱を助長するもの
 第十三条における「個人として尊重される」というのは、個人主義思想の導入が目的であることは論を待たない。個人主義というものは国家崩壊の第一歩と考えられているものであり、特に君主制打倒の捷径であると考えられている。
 これは第十二条の「自由」と密接に関係ある問題である。また第十一条の基本的人権とも関係あるものである。個人主義に自由をプラスし無限大にこれを追求させればどういう結果になるか、国家内部の不統一、混乱を助長するものであることは説明の要はあるまい。・・・・

 第十四条は最大の問題点を内蔵するものである。「平等」の押し付けである。・・・戦後の日本においてこの「平等」という言葉くらいこの世の中をまどわせたものはないであろう。
 天から授かった神の言葉の如く神聖視している者も多い。・・・・
さらにこの「平等」は「自由」とコンビにされ倍増した威力を発揮することとなる。
引用終わり

 GHQの目的が、日本を再び強国としないための弱体化を意図していたことはご存知の通りでしょう。まして占領国の憲法や法律を勝手に変更するなどは、国際法にも違反すると言えます。
 この日本弱体化のために押し付けられた現憲法を講和条約締結と同時に破棄し、日本人の手による日本国憲法を制定しなかったことが悔やまれます。
posted by 小楠 at 08:02| Comment(9) | TrackBack(1) | 書棚の中の東京裁判
この記事へのコメント
こんばんわ^^
>「自由」と「平等」が互いに両立し得ない概念であるという事実
確かに反するものですよね。平等は自由を制限せねばできぬものであり、自由は平等を無視せねばできないものです。徹底的に「平等」を目指した国の末路を見れば一目瞭然なのに誰かに指摘されるまで気づかなかった・・・。目が覚めた気がします。
Posted by サウザンドキル at 2006年12月19日 02:32
サウザンドキル様
おはようございます。
>>徹底的に「平等」を目指した国の末路を見れば

そうですね、いい見本が目の前にありますからねー。
自由、平等、どちらも一定の条件下においてというのを無視して無制限に要求する輩に利用されていますね。
国益に適うか、国民の安心、平和、幸福に適うか、という視点が無視されているのではないでしょうか。
Posted by 小楠 at 2006年12月19日 07:10
「日本はアメリカに民主主義を貰わずとも独自の民主主義があった。それは大正デモクラシーである。しかし、それは共産主義に阻止された」という話を本で読んだことがあります。
共産主義は何処まで行っても人類の進歩の楔なのですね
Posted by サウザンドキル  at 2006年12月20日 02:19
お(´・ω・`)は(´-ω-`)よ(´_ _`)ぉー♪御座いまーす。

まさにいい加減に作られたと、作った人たちが言っているんですね。でもわざと『民主主義』の文言を外しているってところが、凄い巧妙さを感じます。


それにしてもそんな憲法9条を経典にしている信者ってなんなんだろう。

中には大真面目に本当に写経したりしてるし・・・

( ̄∀ ̄*)ウヒッ
Posted by keinoheart at 2006年12月23日 10:59
サウザンドキル様
>>共産主義は何処まで行っても人類の進 歩の楔なのですね

私の学生の頃は、まだ共産主義といえばソ連の代名詞のような頃でしたが、その頃から、ソ連は地球の癌だと思っていました。未だに癌の特効薬はできませんねー。

keinoheart 様
>>憲法9条を経典にしている信者

本来、強力な軍備と警察力が必須なのは、これを経典にしている輩でしょう。
彼らにとっては現政権下の軍備は敵になりますから、絶対に反対しても当たり前なのでしょう。
共産党の軍隊は綺麗な軍隊か?

Posted by 小楠 at 2006年12月23日 17:07
日本人ほど自由と平等の概念が解っていない民族も少ないんですよね。この憲法が理解の邪魔をしていたんですね。
日本ほど不自由な国は少ないし、日本ほど不平等な国は無いと思っていました。何故って、いまだに封建社会丸出しで上下の隔たりを強制する社会でみんなやってる振りだけれどもそれに従っているし、出来る者と出来ない者の格差が非常に小さくて出来る者にとっては不公平な社会ですよね。そりゃあ、みんな平等で競争を煽らない社会は仲良しクラブの会員みたいで居心地が良いですが、これでは社会は活性化しません。やっぱり現行”日本国悪憲法”は改正すべきだと真剣に思いました、今日の記事を拝読して更に。
Posted by ケイさん語録 at 2006年12月24日 19:24
ケイ様
>>出来る者と出来ない者の格差が非常に 小さくて

この点では共産主義社会以上ですね。
弱者の味方気取りの反日、左翼は、これも国家崩壊の目論見のひとつでしょう。
反対のし難い美名を持ち出すのが得意ですからね。
Posted by 小楠 at 2006年12月25日 07:55
こんばんは。
私現在この本読んでいるところです。
おばりんさんから反日ワクチンさんがコメントしていたと
伺いやってきました。
善玉悪玉の二元論や、資本主義が虚構論理であるなど、腑に落ちることばかりの内容でした。もともと憲法改正に賛成でした。だって、外人が短期間で作った物をありがたがっている意味がわかなかったから。この本よんで、やはり改憲!と強くおもいました。
Posted by るい at 2007年02月28日 00:42
るい様
>>私現在この本読んでいるところです。

そうでしたか、この本、途中まではすらすら読めて納得でしたが、途中からは結構難しい内容になってきたように覚えています。
善玉悪玉の二元論のあたりからはしっかり考えながら読んでいました。
憲法は一旦廃棄した上で、新しく最初から日本人が作ったものにして欲しいですね。
Posted by 小楠 at 2007年02月28日 07:55
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