2006年12月07日

上海事変の勃発

日本を戦争へ引きずり込む中共とコミンテルン

 石原莞爾少将は事件の背景にはソ連、更には満州国の成立を認めない米英の勢力があると睨み、一つ間違えば日支全面戦争になることを恐れました。
しかし、支那側は挑発に次ぐ挑発を重ねます。
鈴木正男著「支那事変は日本の侵略戦争ではない」から引用してみます。
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引用開始
※船津和平工作
 昭和十二年七月二十九日、天皇陛下は近衛首相を召され外交交渉による平和解決を熱望遊ばされた。この聖旨を体し、通州事件に動ずることなく外務省及び陸海軍首脳は根本的全面的対支国交調整案を作成した。参謀本部次長多田駿中将、同第一部長石原莞爾少将もこれに深く参画した。この案は実に寛大無比な驚くべき日本軍の譲歩を示すものであった。・・・・

 折柄滞京中の在華紡績同業界理事長・船津辰一郎を通して南京政府に接触し、平和交渉の糸口を開かんとした。船津は上海総領事を勤めた支那通で、その温厚な人柄で日支双方の信用を得ていた。・・・・

 それではその日支和平提案はどのような物であったか。骨子は凡そ次の通りである。

(一) 塘沽停戦協定、梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定その他、華北に存する従来の軍事協定一切を解消する。

(二) 特定範囲の非武装地帯を設ける。

(三) 冀東・冀察両政府を解消する。

(四) 日本駐屯軍の兵力を事変前に戻す。

国交調整案
(一) 支那は満州国を承認あるいは黙認すること。

(二) 日支防共協定を締結する。

(三) 排日取締りを徹底させる。

(四) 上海停戦協定を解消する。

(五) 日本機の自由飛行を廃止する。

(六) 冀東特殊貿易(低関税貿易)を廃止し、非武装地帯海面での支那側密輸取締りの自由を回復する。

 この案は要するに、満洲事変以後、我国が獲得した前述の既成権益の殆ど一切を放棄しようとする寛大極まるものであった。・・・・

 日本の近衛首相以下軍をも含めての最高指導者は、これならば必ず平和が到来すると感じていたであろう。・・・・
 この日支交渉の妥結を最も恐れたのは中共である。あわてて中共の毛沢東と周恩来が八月九日に南京にかけつけた。

※大山海軍中尉虐殺と旗艦「出雲」への爆撃
 この交渉の第一回目の八月九日に上海で起きたのが大山海軍中尉事件であった
 この日午後六時半頃、上海海軍特別陸戦隊西部派遣隊長・海軍中尉(のち大尉)大山勇夫は斎藤海軍一等水兵の運転する陸戦隊自動車で視察中、今でも飛行場がある虹橋付近、上海西部のモニュメント路上で支那保安隊によって斎藤水兵と共に虐殺されたのであった

 当初支那側は大山中尉が支那兵を拳銃で射殺したので、これはその報復であったと弁明し、その支那人の屍体を示した。この偽装工作は直に暴露した。屍体解剖の結果、偽装屍体から摘出されたのは支那軍の小銃弾であった。・・・・
 大山中尉の屍体は見るに耐えなかった。全身に大小十八ヶ所の銃創、刀創を受けていた。これは屍体を車外に引きずり出し、銃剣で突刺したり、銃の台尻で乱打したり、或いは刀で斬ったりしたもの、頭部は二つに割れ、顔面半分は全く潰され、内臓を露出し、心臓部には拳大の穴をあける等、実に鬼畜も及ばない暴行を加えており、かつ中尉の所持品は軍刀、靴、時計等一切が掠奪されていた。・・・

 十四日午前十時頃支那軍空軍十数機が、停泊中の日本海軍第三艦隊旗艦「出雲」を爆撃した。これは陸戦隊本部、総領事館、共同租界、フランス租界にも及び、多数の市民が犠牲となった。大衆歓楽ビル大世界にいた千人以上の人々、英人経営のバレスホテルに投宿中の人々二百数十名が死亡した。
 我が国は租界の中立を厳に守り、第三国の在支権益を保護したが、支那側は反対に損害を与えることにより第三国の干渉を引き出そうとしたのである。・・・・

 ここに於て日支和平への道は閉され、本格的全面戦争へと急転直下したのである。中共とコミンテルンはここまで日本を引きずり込んだのである。これが支那事変の真相である。

 以上の経過で余りにも明らかな如く、この大山中尉惨殺に端を発した上海事変はいずれも中国軍がしかけた本格的戦闘、戦争であった。日本側は少しでも戦線を拡大せずに収めたいという方針から兵力を最小限に止めて戦った。そのために四万人という未曾有の犠牲者を出した。

 これが上海での戦いであった。蒋介石の虎の子最精鋭部隊数万もの部隊もそのためにその大部分を失った。この間にあって、ほくそ笑んだのは一人中共軍であったのだ。日本は戦争に止むなく引きずり込まれたのである。これでも日本がおこした侵略戦争と中華人民共和国の主席以下は叫び続け、日本側はそれに土下座して許しを乞うているのである。これが現在の日中両国の倒錯した関係である。
引用終わり。

 この後日本は首都南京を陥落させれば支那事変を終結できると信じ、南京にむけて進軍し、包囲して降伏勧告しますが、中国側からの返答がなかったため、総攻撃の末南京を陥落させます。
 日本が一体どこをどのように侵略したのでしょうか。もういい加減に嘘は嘘として、日本の認識は、全く侵略ではないとするべきです。中共がどう思おうと、何を言っていようと、日本が嘘を基準にする必要は全くないでしょう。
posted by 小楠 at 07:54| Comment(4) | TrackBack(1) | 書棚の中の日中関係
この記事へのコメント
おはようございます^^
国共合作したにもかかわらず、日本軍と戦う国民党軍を尻目に自身は勢力拡大に勤しんでいた中国共産党。
これで日本軍を追い出したなどとはおこがましいにも程があります。彼らの2枚舌にはほとほと呆れ果てます。
まあ、だからこそ自国民衆やチベット人等の虐殺を棚に上げれる訳ですが・・
Posted by サウザンドキル at 2006年12月07日 11:15
その殆どを他国によって捏造された日本の近現代史が戦後巾を利かせてきましたが、ようやく見直されようとしています。「シナ大陸の真相―1931‐1938 K.カール カワカミ (著), 福井 雄三 (翻訳)」などは、日中戦争勃発翌年の1938年3月に、ロンドンで英文出版された「Japan in China」の邦訳ですが「後世の歴史家による後知恵や粉飾とは無縁の歴史的価値を持つ本」(「訳者あとがき」より)であり、まさに同時代の証言とも言える貴重な書だと思います。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4886561888.html

観天望気の総集編をアップしました。
http://captsato.net/blogdigest/index.html
Posted by カピタン at 2006年12月07日 13:25
既に「反日ワクチン・中国戦時下の虚偽」で取り上げられているこの「シナ大陸の真相」、中共政府の本質は裏に回れば今も一つも変っていないと思っています。
Posted by カピタン at 2006年12月07日 13:35
サウザンドキル様
コメント有難うございます。
>>これで日本軍を追い出したなどとはおこがましいにも程があります。

支那事変当時中国共産党は何をしていたかという本が出ているようですね。
欧米は植民地をすべて失い、蒋介石は台湾へ。すべてスターリンと毛沢東の勝利でしょう。そしてアジアの解放では日本の勝利です。

カピタン様
>>「シナ大陸の真相―1931‐1938 K.カール カワカミ (著)」

これはいい内容でした。現在との比較も面白いでしょう。また後日もっと詳しく引用してみたい本です。
観天望気の総集編製作お疲れ様です。
こうして見ると、大量の記事で、少し懐かしくもありますね。

Posted by 小楠 at 2006年12月07日 14:16
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