2006年12月04日

支那事変侵略の嘘

盧溝橋事件を拡大させた中国

参考サイト考察NIPPONさんもご覧下さい。
 昭和六(1931)年の満洲事変は、リットン調査団の報告書にも明らかな通り、日本の侵略行動とは一言も書いていません。しかし、昭和十二(1937)年から四カ年に及んだ支那事変は、中国側は日本の侵略戦争だとうるさく言い、日本でもまた東京裁判史観の影響で、日本軍の侵略行動だとの認識が一般的になってしまっているようです。
 またユン・チアン著の「マオ」では、『張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいて、ナウム・エイティンゴン(後にトロッキー暗殺に関与した人物) が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。』と言うことも書かれています。
 今回の鈴木正男著「支那事変は日本の侵略戦争ではない」では、支那事変が侵略ではないことを詳しく説明していましたので、紹介してみます。
写真は事件一か月後の盧溝橋。
1m-rokoukyo.jpg

引用開始
 盧溝橋は北京(北平)の郊外にある。ここに日本以下諸外国の軍隊が駐屯することになったのは明治三十三年に起きた義和団事件の結果であった。ここに日英仏等諸外国の軍隊が久しく駐屯していたことは、中国が国家として近代国家でなかったことを物語るもので、日中悲劇の遠因はここにあった。このことは事件発生の大前提として銘記されなければならない。
 筆者は事件発生の直接の原因は西安事件であるとする。西安事件により第二次国共合作が成立、その上にたって中共軍が綿密な計画と準備の上で盧溝橋事件を起したのであると断定する。

 それでは西安事件とは一体何であったか。第一次国共合作が破れて以来蒋介石の国民党軍と毛沢東の中共軍とは戦闘状態にあった。蒋介石は剿匪総司令官に就任して中共軍の絶滅を期し、張学良副指令に命じてこれを西安の奥地に追いつめたが、なぜか張学良には戦意がない。蒋介石が督戦のためその総司令部のある西安に乗り込んだところ、張学良が反乱を起し蒋を逮捕監禁してしまった。昭和十一年十二月十二日のことであった。

 延安の毛沢東は狂喜し、多年の恨みを晴らすべく、これを死刑にしようとした。ところがモスクワのスターリンから蒋介石は絶対に殺してはならぬ。これを抗日統一戦線に最大に利用せよ、若し、この命令に反するならば中国共産党とソ連とは無関係になるという有無を言わさぬ電報であった。毛沢東は真赤になって怒ったが、どうしようもない。周恩来が延安より西安に飛び、ここで第二次国共合作の秘密協定が蒋介石、周恩来、張学良の三者の間に於て結ばれ、蒋介石は釈放され、中共軍は国民党軍に編入され、ここに抗日戦線は名実ともに整ったのであった。当時、日本の情報機関はこのことに全く気づかなかった。迂闊という以外にない。・・・・

 国会図書館に『コミンテルン並にソ連邦の対支政策に関する基本資料』(興亜院政務部、昭和十四年四月)という冊子がある。
『世界から見た大東亜戦争』の中の筆者が担当した「盧溝橋事件」の項に於いて、この興亜院資料を引用して筆者は次の如く記述した。
 中国共産党は七月八日の早朝、延安の本部から全国へ次の電報を打っています。

七月七日夜10時、日本は盧溝橋に於て中国の駐屯軍馮治安部隊に対し攻撃を開始し、馮部隊に対し、長辛店への撤退を要求した。日本軍のかかる挑発行動が遂に大規模なる侵略戦争にまで拡大するか否かにかかわらず、天津と華北は日本軍に武装侵略される危険があり頗る切迫している。
・・・中略・・・中華民族が抗戦を実行する事が吾々の責務であり、宋哲元軍は即時動員して応戦する様に、南京中央政府は二十九軍を即時有効に援助せよ、全陸海空軍、全国民衆の愛国運動を結集して侵略日本軍に立ち向うべし>(日本国際問題研究所『中国共産党資料集』第八巻)

 この電報が打電された時刻は、日支両軍の司令部でさえ事態の真相をつかんでいない時です。この時点でこのような電報が即刻打電されたことは、中共軍が陰でこの事件を画策していたことを推察するに十分な資料です。
 また、これに呼応するかの如く、モスクワのコミンテルン本部も直ちに次のような指令を発しています(興亜院政務部『コミンテルンに関する基本資料』)。

@ あくまで局地解決を避け、日支の全面衝突に導かねばならない。

A 右目的の貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。

B 下層民衆階級に工作し、彼らに行動を起させ、国民政府として戦争開始のやむなきにたち到らしめねばならない。

C 党は対日ボイコットを全支那に拡大し、日本を援助する第三国に対してはボイコットをもって威嚇せよ。

D 党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵並びに大衆を獲得し、国民党を凌駕する党勢に達しなければならない。
 
 中共当局はこの指令のままに行動し、幾度も停戦協定を破りました。その後、日本側から働きかけ、なんとか事変を解決しようとした和平交渉もすべて流産せしめたのです」

 ここで私どもが注意しなくてはならぬのは、この電報が打たれた日時である実は盧溝橋事件は予め予定されていた事件であった動かすべからざる証拠がこの電文の中に存するのである。 
 それは日本軍の攻撃開始の時間である。七日夜、事件は発生したが、日本軍は自重して一発も発射していない。二度三度の中共ゲリラや中共軍現地部隊の当方への射撃により日本軍が止むなくこれに応戦し、両軍が戦闘状況に入ったのは、七月八日の朝の五時四十分からである。しかるに中共の事件発生を全国に報せた電報は「七月七日夜10時、日本は盧溝橋に於て中国の駐屯軍馮治安部隊に対し、攻撃を開始」とある。実にその差は七時間四十分も違う。この差は一体何であろうか。
 これは電文が予め用意されており、その予め用意された電文をそのまま打った何よりの動かすべからざる証拠である。
引用終わり。

 この西安事件は、最近発刊されたユン・チアン著「マオ」の上にも、詳しく書かれており、ほぼ同様の内容です。彼女は旧ソ連の大量の公開公文書から記述していると言われていますが、プーチンになってから再び公開が厳しくなってきているということです。
posted by 小楠 at 07:51| Comment(2) | TrackBack(4) | 書棚の中の日中関係
この記事へのコメント
こんばんは。本日はコメントを有難うございました。とても寒くなってきましたね。「マオ」は読みました。他にもいろいろ読むにつけ、いかに日本は中共、ロシア、米国(の共産スパイ)らに陥れられて行ったかということが推測されますね。溥儀も人質をとられて偽証するし・・・溜息です。やり直しは効かない訳ですから、歴史を教訓にすることですね。教訓に出来ない人の多いことも嘆かわしいですが。
Posted by おばりん at 2006年12月05日 00:01
おばりん様
昨日は霰で一瞬真っ白になりましたね。
東京裁判での溥儀の証言には唖然としたことが書かれているのを何かで見ました。
全くあちらの民族は信用できませんね、昔も今も。
Posted by 小楠 at 2006年12月05日 07:59
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