2006年11月29日

逆転太平洋戦争史1

日本とアメリカの立場を逆にしてみたら

「昭和の戦争記念館」第二巻 大東亜戦争と被占領時代という本の最後に、歴史のフィルムを逆回転し東風が西風を圧したと想定して、列強と日本、清国の立場を入れ替えて、アメリカのやったことを日本のやったことと想定して記述してみようという試みがあります。どんな感じを持たれるでしょうか。日本が開戦に至った事情がよく判るのではないでしょうか。写真は真珠湾です。
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引用開始
 われわれがもっと発想力を鍛えるために、一つの方法を提示してみたい。それは、占領軍の作った『太平洋戦争史』を逆転してみることである。
 もし、15、6世紀頃にヨーロッパから起こった地理上の発見(大航海時代)が、東洋から起ったと仮定してみられよ。当時の日本や清国や李氏朝鮮などがアジアの大国として、ヨーロッパからアメリカ大陸に進出した場合、すなわち、「東風が西風を圧する世紀」の想定である。

 19XX年、その時すでに日本はハワイやグァムを併合し、そこには太平洋に睨みをきかす日本の聨合艦隊が駐留している。さらにパナマも、中南米も、カナダまでも東洋勢力の植民地になっている。東洋勢力に包囲された時、アメリカはどうするか。
 フロンティア精神を失わないアメリカなら、自衛のために武力を使ってメキシコを独立させ、生命線にするであろう。東洋勢力が主導権を握っている国際連盟は、アメリカが提出した独立国メキシコの承認案を否決してしまう。アメリカは体面を汚されたとして連盟を脱退し、孤立化の道を歩む。

 その頃ヨーロッパで現状打破を狙っている英・仏は、米との間に三国軍事同盟を結ぶ。米国には軍人大統領が登場し、「高度国防国家」の建設に走り着々と軍備を増強する。国内世論は沸騰し、新聞は「日・清撃つべし」の主張を掲げる。
 やがて米軍は日本が支配しているパナマ運河にまで迫る。パナマは東洋勢力にとっても「逆鱗」である。日本はJ(日)C(清)K(朝)ラインを呼びかけ、アメリカに対して経済封鎖を迫る。

 しかし、資源のあるアメリカはあまり困らない。そこでJCK諸国は結束して、「米軍はパナマのみならずメキシコからも撤退し、米英仏三国同盟を破棄しなければ、米の主要都市の安全は保障できない」と威嚇に出る。
 この時アメリカがJCKラインの恫喝に屈して、パナマ、メキシコから撤兵し、折角結んだ三国同盟を破棄すれば、独立国としての威信を一挙に失墜することは、目にみえている。
 国内世論は激昂して政府に開戦を迫る。それでも政府が世論に反して和平そして屈従の道を選べば、国内は強硬派によるクーデターが起るかも知れない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、死中に活を求めて、ついに開戦を決意するより他はない。

 しかし、ここまで追い込まれた米国が、戦争を互角に持ってゆくためには、全面的に奇襲戦法を採用するよりほかない。満を持していた米海空軍は、突如真珠湾の奇襲によって、日本のハワイ太平洋艦隊に大打撃を与えた。さらに米陸軍も南米諸地域にも敵前上陸を敢行、それは史上空前ともいうべき雄渾壮大な大作戦である。米の国内世論は湧きに湧き、各新聞は奇襲を称え、軍部に感謝し、東洋の勢力による「米州侵略百年の野望一挙に覆る」という、国民歌謡まで歌われ始める。

※米国は「大米州戦争」を宣言、日本は「太平洋戦争」に勝利
 アメリカの戦争目的は、自存自衛のために全米大陸から東洋勢力を駆逐することであった。南米諸国に対しては、「アメリカ共栄圏の建設」「アメリカ新秩序の建設」「アメリカの解放」を呼びかけ、戦争の名称も「大米州戦争」と名付けた。

 それに対して日本は、侵略国アメリカを撃つために立ち上がった。それは太平洋から南米に至る利権の保護のためである。
 しかしそれでは大義名分になりにくい。「文明と正義のために、米の野蛮なる膨張主義を粉砕する」という目的を掲げ、
戦争名も「太平洋戦争」と呼称した。

 合衆国の側でも奇襲戦法が功を奏し、緒戦は華々しく戦い、一時は南米のいくつかの国に独立を与えることができた。しかし合衆国は、英・仏との間に結んだ三国同盟がうまく機能せず、その上科学力においても物量戦においても劣り、太平洋で行われた各海戦でも各個撃破され、国内の各都市は空襲に見舞われ、焦土となった。
 その過程で合衆国の愛国心は燃え、独立戦争と南北戦争の勇戦ぶりが回想され、ワシントン・リンカーンにかえれと叫ばれる。各地において「アラモ砦」のような玉砕が続き、特攻隊まで繰り出して必死の抵抗を試みた。

 最後に米国民は「二億玉砕」まで呼号した。日本は自国の兵隊の消耗を恐れ、一刻も早く大戦を終結させねばならない。そのため、原爆をロスアンゼルスとシカゴに投下する。
 その機会を待っていたように、カナダを植民地にしていた清国は一挙に北から侵攻した。合衆国政府は抗戦派と和平派に分かれたが、大統領は、民族の存続を願い、「アメリカの国体の維持」を唯一の条件にして、降伏を受け入れたのである。
引用終わり。次回の2に続けます。

 
posted by 小楠 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本人の独り言
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Excerpt: 1941年12月、日本軍がハワイ真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まる。緒戦は日本軍が有利だったが、1942年6月のミッドウェー海戦で形勢は逆転。日本軍は敗退を続け、ついに1945年8月、日本の降伏で終戦..
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